第32話 取り残された人々1

 パルラという町に住民に分類される人達は居ない。


 この地の領主であるドーマー辺境伯が接待のために造った町には、招待客とその客を接待する従業員が居るだけだった。


 身の危険を察知した客達の動きは素早く、あっという間に町から逃げ出していった。


 そして取り残された従業員達は、頼れる者が居ない中、自力で生き残る事を強いられていた。



 パルラには用途別に3つの宿屋がある。


 上級貴族用の最高級宿「七色の孔雀亭」、貴族や豪商用の高級宿「流麗な詩亭」、それ以外の客を泊める普通宿「野外の宴亭」だ。


 その中で最高級宿である「七色の孔雀亭」は、最大の敷地面積を誇り、町の中心である中央広場に面した一等地にあった。


 今この宿では、利用客である貴族達が慌ただしくチェックアウトの手続きをしていた。


 この宿の使用人であるジルド・ガンドルフィは厩舎に止めてある貴族の専用馬車を誘導しながら客を送り出す手配を休みなく続けていた。


 偶に荷物が多く出発までに時間がかかっているとお客様から怒鳴られるため、ポーター達は顔を真っ赤にして作業に追われていた。


 ジルド自身もチェックアウトしたお客様の馭者に合図を送り、正面玄関まで馬車を誘導する仕事をしているが、こんなに急かされたのは初めてだった。


 客達が先を争うようにこの町から出て行く理由が分からなかったが、仕事に就く時に繰り返し言い聞かされた「客には逆らうな」という教えに従って作業を熟していた。


 ようやく馬車の流れが止まった時には、くたくたになってその場にへたりこみそうだった。


 ジルドは疲れた頭で何かが変だと感じていたが、それが何なのか分からなかった。


 だが、その答えは宿に戻ってきた時に直ぐに分かった。


 宿の支配人が居ないのだ。


 そのため宿の従業員が皆途方に暮れていた。


 ジルドは支配人から指示が出ていないので、いつもの手順で宿を運営するように他の従業員に伝えていた。


 +++++


 マウラ・ピンツァは、彩花宝飾店の新米社員だ。


 15歳になった時に口減らしのため無理やりお嫁に行かされそうになったので、丁度彩花宝飾店の従業員募集に応募し、計算が得意だったため社員として採用されたのだ。


 マウラには弟と妹達が3人いるのでここで稼いだお金の半分はそのまま実家に仕送りしている家族思いの人だった。


 彩花宝飾店の給金は歩合制なので、売り上げを上げなければ給金が下がってしまうのだが、この店に来るお客は貴族や豪商の婦人達でただでさえ高いプライドをちょこちょこと擽ってやると幾らでも高い買い物をするので、給金も満足のいく額になっていた。


 今日もどこぞの貴族婦人のプライドを擽ろうかと考えていると突然真っ青な顔をした店長が現れてマウラにバックを投げてよこした。


「ピンツァ、急いで店を閉めて展示品をバッグに詰めるんだよ」


 マウラは店長の鬼気迫る勢いに押されて急いで店を閉めると、店舗の見えるところに展示している宝石をカバンに詰めていった。


 まるで夜逃げでもするような店長の態度に焦りを感じながらも、指示されたとおり宝石を全てカバンに詰めると裏の食堂に運んでいった。


 そこには既に保管庫から持ち出した宝石を入れたと思われるカバンが何個も置いてあり、それを男性社員が馬車に詰め込んでいた。


 そこでオーナーは馬車に乗るとマウラに向けて馬車の窓から声を掛けていた。


「いい、マウラ、貴女はこの店を守っているのよ」


 え? 私はなんだか知らないが、ここの置いてけぼりってことなの?


 マウラは店長達が乗った馬車が見えなくなるまで見送った後で店に戻ると、外と繋がる扉を施錠しそれから店長が慌ただしく出て行った原因を突き止めるため、何があったのか思い出そうとした。


 そう言えば今日は昼に広場で公開処刑が行われたはずだ。


 そこで最もまずい事態に思い至って冷や汗が流れてきた。


 この町には獣人奴隷が沢山居た。


 そんな中、彼らの仲間が公開処刑に処され、それを見た獣人達が反乱を起こしたのだとしたら、店長のあの行動はひどく納得がいくのだ。


 マウラは自分もこの町を脱出しなきゃと思ったが、曲がりなりにも彩花宝飾店の社員である彼女は、店長から店を守れと指示されていたのを放り出すことが出来なかった。


 それからもし反乱があったとしても、この町の領主が直ぐに鎮圧してくれるだろうという期待もあった。


 そこで籠城するための食糧と水の確保に走るのだった。


 +++++


 賭場では仕立ての良い服を着た貴族や豪商達が様々な遊びに金をかけ、高級酒に舌鼓を打ち、紫煙草の香りに酔っていた。


 皆この町に来て羽目を外すのだ。


 女は妖艶で大胆になり、男は普段の自制心を置き去りにして素で楽しんだ。


 ピアッジョ・アマディはドーマー辺境伯に雇われた使用人の一人で、この賭場において会計係を任されていた。


 膨大な金が動く賭場での会計係は、資金洗浄の仕事も任されることになり口の堅い奴でないと務まらない。


 少しでも疑われたら、明日の朝には死体になっているだろう。


 だが、この仕事の給金は他に比べても魅力的であり、この仕事を楽しんでいた。


 今日も出入りの客数や動いている金の量を経験で推測していると、突然ドアが勢いよく開きドーマー辺境伯の兵士が大慌てで中に入ってきた。


 客や従業員の注目を一身に浴びた兵士は若干怯んだが、直ぐに自分の役目を思い出したようで、一度だけ周りを見回してから大声でここに来た目的を叫んだ。


「皆さん、この町に亜人の殺人鬼が侵入して中央広場で大虐殺を行っています。一部には奴隷獣人の反乱もあったようです。大変危険ですから、一度この町を脱出してください」


 それを聞いた客達は一瞬固まった後、女性客の悲鳴を合図にしたかのように一斉に出口に向けて駆け出していった。


 それは整然とした動きではなく、もはやパニックに近かった。


 ピアッジョはそんな客達が出て行き誰も居なくなった賭場で、床に落ちていたゴミやチップを見るとはなしに眺めていると、後ろから支配人の声がした。


「アマディ、お前は客達が残していったチップの数を全て記録するんだ。後で苦情を言われるのは堪らんからな」


 ピアッジョは夕方になってようやく記録を取り終わると、記録した紙とチップを持って支配人室の扉をノックした。


 だが、中から返事はなかった。


 そのまま突っ立っている訳にもいかないので、「失礼します」と言って扉を開けるとそこには誰も居なかったが、よく見ると机の後ろに飾られていた絵画が床に落ちており、絵画の後ろにあった金庫が空になっていた。


 ピアッジョは書き記した書類とチップをその隠し金庫の中に入れると、これからどうするか考えなければならなかった。


 支配人が慌てて逃げ出したという事は、現れた亜人の殺人鬼を制圧する事が出来なかったという事だろう。


 だが、彼はこの町から出られない事情があった。


 入口の扉を施錠して2階の窓からこっそりと外の様子を窺ってみると、3人のメイドを先頭に制服を着た従業員達がこちらに歩いて来る姿があった。


 恐ろしい獣が自由に闊歩している時に、その光景はとても場違いに見えた。


 恐らく事情を知らないで歩いているのだろうと察すると、ピアッジョは何も知らない人達に警告を与えるため慌てて外に走り出した。

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