第7話 大森林の悪魔

 アースガル・ヨルンド・レスタンクールは、バルギット帝国の3大公爵家の1つ、レスタンクール家の御曹司だ。


 バルギット帝国では皇帝が短命で頻繁に交代するため、国内の貴族達が反乱を起こさないように定期的に視察を行っていた。


 そして彼が帝国の北端であるブルレック伯爵領の領都カルメに訪れた時に、魔物の襲撃が起こったのだ。


 アースガルが緊急警報を聞き急いで城壁に繋がる階段を上ると、そこは既に戦場だった。


 そしてそれは上空を飛んでいた。


 人間の女性らしい姿なのだが、人間にはありえない程長い耳と蝶のような大きな2枚翅が背中から生えていた。


 だが、その顔はとても美しく、思わず息をするのも忘れるほどだった。


 3大公爵家のプリンスという立場は、社交の場では引く手あまたであり女性を見る目も肥えているはずなのに、初めて興味を引いた女が人間ではない金髪赤眼の魔物だったことに、自分のことながら気でも振れたのかと思ってしまった。


 その時、領軍の隊長が俺の元にやって来て、あれは「最悪の魔女」だと言ったのだ。


 襲撃のあった翌日、カルメの町中に「最悪の魔女が出た」という噂が広がり、それを憂慮したブルレック伯爵から、要請という名の呼び出しを受けた。


 領主の館に行くと、最奥の席に着いているブルレック伯爵は直ぐに立ち上がり入口まで俺を出迎えてくれた。


 その表情には、何か企みのある者特有の狡猾さがあった。


「レスタンクール卿、良くおいでくださいました。ささ、こちらにおかけください」


 そう言うと奥側の上席を俺に進めると、自身はその相対する席に座っていた。


 椅子に座ったのは俺とブルレック伯爵だけで、他の者は立ったままだったので伯爵の護衛なのだろうと判断した。


「レスタンクール卿、昨日は魔物の撃退にご協力頂きまして、大変ありがとうございました。おかげで街への被害も無く助かりました」


 俺は見え透いた世辞に返事を返したが、伯爵の目が笑っていない事に気が付いていた。


 目的は俺への謝辞ではないだろうと想定していると、それは当たりだった。


「それと領兵の一部や平民共が、あれは最悪の魔女だと騒いでいるのです。全く困ったことです。そんな事はあり得ないというのに」


 成程、伯爵は事を荒げたくはないという事か。


 俺には黙っていろと言いたいのだろう。


「あれが最悪の魔女だとしたら、今頃この町は跡形もなく消し飛んでいるはずです。 レスタンクール卿もそう思われるのではないですかな?」


 確かに伯爵の指摘は的確だ。


 昨日のアレが御伽噺に出てくる魔女だとしたら簡単に撃退など出来る訳が無いし、この町は今頃壊滅しているだろう。


 御伽噺では、最悪の魔女がバンダールシア大帝国の帝都キュレーネを赤色魔法で廃墟にしたと言われており、実際キュレーネ跡と言われている場所は、今ではキュレーネ砂漠と呼ばれているのだ。


 そんな最悪の魔女も7百年前に討伐されて、その後、復活したという噂も聞かない。


 だが、俺は昨日のアレの瞳が赤色だった事を記憶していた。


 この世界では、内包する魔力量の大きさで瞳の色が変わるのだ。


 その色は虹色魔法と同じで最低が紫、最大が赤なのだ。


 人間の瞳は大半が最低の紫だが、魔法が得意な俺の幼馴染は綺麗な緑色をしていた。


 そして魔力の高いエルフは黄色、ハイエルフは橙色だと言われている。


 そして過去瞳が赤だったのは「最悪の魔女」しか居ないのだ。


 まあ、それを指摘したとして誰も喜ばないのは確かだ。


「ええ、私もそう思いますよ」


 俺の返事に満足したのか、伯爵は何度も頷いていた。


「レスタンクール卿、実はこれからアレの討伐に関して関係者を招集した会議を開こうと思っているのです。出来れば御身にも参加していただきたいのですが、如何でしょうか?」


 成程、もしその会議でアレは最悪の魔女だと発言があったら、俺に否定させるつもりなのだろう。


 そうすれば後で何かあった場合、帝国に泣きつけるという訳だ。


 だが、ここはそれに乗ってやろう。


 そうすれば、またアレに会える可能性もあるのだから。


「ええ、構いませんよ」



 俺達が会議室に入って行くと既に先客が居た。


 一人は、額から右目に駆けて刀傷がある男で、細身の体付きだが筋肉はしっかりついているようだった。


 不機嫌そうな顔をしているのは、伯爵に呼び出されたことが不満なのだろう。


 そしてもう一人は、不安そうな顔をしているでっぷりと太った男で、先程からチラチラと周囲の参加者達を見回していた。


 俺達が席に着くと、早速伯爵が刀傷のある男に話しかけた。


「ユーグ、君の所で冒険者達にヴァルツホルム大森林地帯への入林規制をしているというのは本当かね?」

「はい、昨日最悪の魔女が現れたという報告がありましたので、森に入るのは危険と判断いたしました」


 それを聞いた伯爵は、とても不満そうな顔をしていた。


「ユーグ、この町の経済は、ヴァルツホルム大森林地帯から得られる素材で回っているのだぞ。そんな事をしたら経済的打撃が計り知れないではないか」


 伯爵が不満を口にすると、それに同調するように先程のでっぷりと太った男が口を開いた。


「ユーグ、お前がそんな臆病者だから、町の商人達が商品を仕入れられなくなると不安がっているんだ」


 どうやらあのでっぷり太った男は、商業ギルドの関係者らしい。


「リュカ、商業ギルドが素材の流通を心配するのは分かるが、あんな奴が森の中を徘徊していたら危なくて冒険者を森に入れられん」

「では、素材の流通が止まるという事か? この町の経済が止まるんだぞ」


 商業ギルドマスターのリュカと冒険者ギルドマスターのユーグの口喧嘩を、伯爵が止めていた。


「おい、2人とも止めろ。だが、この町の経済が止まるのは困るのだ。それに昨日のあれは最悪の魔女じゃない。それは昨日アレを撃退されたレスタンクール卿も認めておられるのだぞ」


 それを聞いた2人が俺の方に顔を向けてきたので、肯定の意味で頷き返してやった。


「それでは何だったのですか?」


 そう聞かれて俺はどう返答しようか考えてしまったが、此処は素直に見たままを話すことにした。


「蝶だ」

「は?」

「え?」


 2人のギルドマスターが呆気にとられた顔をしていた。


 まあ、世界の破滅だと思ったら、唯の蝶だと言われたのだから仕方がないだろう。


 その時、伯爵がパチンと両手を叩くとそれまで固まっていた2人が再起動した。


「ユーグ、私は今の状況に強い不満を抱いている。早急に私の不満を解消するのだ」

「それには依頼料が必要となりますが?」


 ユーグのその一言に伯爵は渋い顔をしていた。そして俺の方を見て、俺が何も言わないのを確かめると直ぐに商業ギルドマスターの方を見てから、再びユーグの方を見ていた。


「分かった大金貨1枚だ。それで何とかしろ。リュカ、お前の方で費用の半分を持つのだ」

「え、ちょっと待ってください。伯爵様、それはあまりにも」

「黙れ、素材が入手できなければお前も困るだろう。協力するのは当然だ」


 大金貨1枚といえば百万ルシアだ。


 至れり尽くせりの帝都の超高級宿の一泊料金が10万ルシアなのを考えても相当な額だ。

 その半分を持てと言われたら、商業ギルドも素直に「はい」とは言えないだろうな。


「それでユーグ、キャッチコピーは決まっているのか?」

「キャッチコピーですか?」

「そうだ。名うての冒険者を呼ぶには、自尊心をくすぐるそれなりの餌が必要だろう?」

「ああ、名前ですか、そうですね・・・大森林の悪魔では如何でしょう? ヴァルツホルム大森林地帯で暴れる大森林の悪魔の退治、報酬は大金貨1枚って具合ですかね」

「おお、良いじゃないか。他国のギルドにも回してやれ」

「承知しました」

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