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 目覚まし時計のアラームで起きたあたしは、ベッドからおりて、冷気に軽く身震いをした。

 九月も半ばを過ぎ、酷暑もようやく落ち着いてきたと思ったら、もう秋の気配がしはじめていた。

 制服に着替えてキッチンに行くと、悪魔が新聞を読んでいた。

「……おはよう。日本語読めたの?」

「何年日本に住んでいると思っている」

 悪魔は変わらず偉そうで、口調は冷たかった。でも不思議と以前のように腹立たしくは思わなくなっていた。

 あたしは味噌汁を暖め、ご飯をよそった。

「そんなに長く住んでるの? なのに日本が火葬っていうのも知らなかったの?」

「俺は葬儀には出られないからな」

 キリスト教系の施設だけでなくお寺もだめなのか――そんなことを頭の片隅で考えながら、冷蔵庫からおかずを出してテーブルに並べた。

「日本に住んで何年目なの?」

「さあな」

 悪魔は新聞を閉じて、丁寧にたたんでキッチンカウンターの上に置いた。母が新聞を置く角度と寸分変わらない。ほんとうに几帳面な男だと思う。

 あたしは「いただきます」と手を合わせた。

 悪魔は学校とお風呂とトイレ以外は常にあたしのかたわらにいる。食事中もである。そして悪魔は何も食べない。いつもあたしが食べるのをじっと見ているだけだ。

「食べ物はくほどあろうに、なぜ木の根をあえて食べる?」

 きんぴらごぼうを箸でつまんだあたしに、悪魔は言った。

「一度でも食べてみないで何言ってんの。おいしいんだよ」

「味覚が理解不能だ。鰹節はおがくずにしか見えんしな」

「おがくずじゃないよ。魚だよ」

 そう言いながら、甘辛く煮た牛蒡を口に入れる。確かに木のようだと思いながら咀嚼する。悪魔はそれをあきもせず見つめている。

「――面白い?」

「お前の体が何からできているのか知っておくのは大切なことだ。最後には俺のものになるのだから」

 ふうん、と納豆をかき混ぜ、ご飯の上に流して口にかき込んだ。悪魔が不快そうに眉根を寄せた。

「そろそろ家を出ないと遅刻するんじゃないか?」

 あたしは時計を見上げ、「あっ」と声を上げた。

 いつもより十五分ほど遅い出発になりそうだった。



 あたしは悪魔と並び立って通学路を歩いた。

 悪魔は登下校にもついてくる。ついてくるというか、校門の前まで送ってくれる。あたしはもう教室までついてくるように言うことはなかった。

 そして不思議なことに、あれ以来、数学教師の中島にちょっかいを出されることはなくなった。それどころか、あたしをあからさまに避けている。悪魔が何かしたのかもしれない。一度目が合った時、その目に確かに怯えのいろが走ったから。

「え? 詩織?」

 ふいに声をかけられ、振り返った。公立高校の学ランを着た男子が、驚いたようにこっちを見ていた。

(……近藤こんどう

 思わず身を強張らせた。

 近藤は馴れ馴れしげな笑みを浮かべながら近づいてきた。

「久しぶりだなあ。中学卒業してからぜんぜん姿見ねえから。頭のいい高校行ったんだろ?」

 あたしは曖昧に返事をした。

 近藤は小中学校と同じ学区だった。母子家庭なこと、同級生の母に比べてうちの母だけが特に若いこと、そして母の仕事を理由に、中学卒業までの九年間、あたしをいじめてきた筆頭の男子だった。

 嫌なやつに会ってしまった。心中で舌打ちをする。登下校時に小中学校時代の同級生とかち合わないよう早めに家を出ていたというのに、今日は少し遅れてしまったのだ。

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