それじゃあとりあえず女子高生を救おうか【KAC20245】

夏波ミチル

それじゃあとりあえず女子高生を救おうか


「は、はなさないで……おねが、い……」


 今にも泣き出しそうな必死の瞳で訴えかけられる。

「んなこと言ったってなぁ……っ」


 握りしめた手は、哀れなまでに震えていた。

 強い風が吹き抜ける。

 宙に浮いた彼女のつま先の下の地面は遠い。

 ここは10階建てのビルの屋上だから、少なく見積もっても、地上まで30メートルぐらいはあるだろうか。


 落ちたら確実に死ぬ。

 ゾクリとした恐怖が這い上がってきて、自らの手まで震えだしそうになるが、こっちまで恐怖に負けたらおしまいなので、俺は震える細い手をさらに強く握りしめた。


 引っ張り上げたいところだが、いくら相手が細っこい女子高生といえども、人ひとりの重さというのはそう軽くない。


 吹き付けてくる春一番の風が、かろうじて繋いでいる生存確率を容赦なく揺さぶってくる。


(くそ、なんだってこんなことに……)


 勤めている会社のオフィスビルの喫煙スペースが先月撤去され、仕方なく屋上でこっそり吸おうとして行ったら、セーラー服を着た女子高生がフェンスから身を乗り出して、今にも飛び降りようとしていた。


 こういう時は、どうするのが正解だったのだろう。

 下手に刺激してはいけない、とかなんとかいう話は、だいぶ昔にテレビかなにかで聞いたことがある気がする。

 しかし、声をかけずに止めることなどできない。


「あの……」

 俺が発した言葉はそれだけだった。

 その声で彼女は俺の存在に気づき、慌てた拍子に足を踏み外した。


 かろうじて手首を掴むことには成功したが、俺には、巻き添えを食らって自分も落ちないように柵を掴みながら、彼女を落とさないようにするので精一杯だった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 か細い声が、ぶつぶつと呪文のように呟いている。

 ちょっと怖い。

 女子高生と接する機会なんてめったにない俺だというのに、突然の出会いに、全然ラッキーな気がしない。


「す、すみません……あの、もし一緒に死ぬことになっちゃったら、責任取って、あの世で結婚してあげますから……! だからお願い! この手を離さないで……!」

「はあぁっ!? ふざけんな! こっちは、楽しみにしてるゲームの発売が来週なんだ! 発売日当日に、ちゃんと有給まで取った! てめぇなんかと死ねるかよ!」

 怒りというのはエネルギーになる。

 イラッとした拍子に、力が沸いてきた。


(これでも高校時代、バスケ部のレギュラーだった俺の腕力、今こそ発揮する時だ……!)


 もっとも、大学時代はサークルにも入らず遊んでいたし、社会人になってからはゴルフに誘ってくる上司もいないので、すっかり体は鈍ってしまっている。

 だがしかし、今はそんなことを言っている場合ではないのだ。


「う、うう……じゃあやっぱり私、一人で死ぬしか……」

 目元にたまっていた涙が、とうとうあふれだした。

 儚げな涙は哀れそのものだが、生憎と俺には同情してやる余裕などない。


 彼女の体重を支える右手は限界が近い。

 痺れて、感覚が麻痺してきた。


「そんなに死にたいならゲームの中で死ねぇぇ! ゲームはいいぞ! 何度だって生き返れて、好きなセーブポイントから人生やり直せるんだからな!」


 自分でもわけのわからないことを叫びながら、俺はありったけの力で女子高生の体を引っ張りあげていた。


 ちょうど、風がこちら側に向かって吹いてくれたので助かった。

 風に煽られるかたちで、紺色の靴下に包まれたつま先が宙を舞う。

 まるで背負い投げをされたかのような勢いで、彼女の体は、屋上のコンクリートの上に叩きつけられていた。


 助かったのだ。

 開放感と疲労感から、俺は床に崩れ落ちる。


 すすり泣きが聞こえてきたので見ると、セーラー服の肩が震えていて、泣いているみたいだった。


「おい、どこか怪我でも……」

 床に着地した拍子に、どこか打ちつけていてもおかしくはなかった。

 とりあえず命に別状はなさそうだが、骨折や捻挫をしていたらまずい。

 慌てて顔を覗き込むと、涙でぐちゃぐちゃに汚れた顔がこちらを見上げてきた。


「……わたし、やっぱり死にたくない……」

「そらそうだろ……」


 革靴は綺麗に揃えられて屋上の縁に置かれていたし、その上に遺書らしき封筒もおいてあった。

 それなりの覚悟を持ってここまでやってきたのだろうと察することができる。

 それでも、いざとなるとやっぱり死にたくない、となるのが人間というやつだ。


「あー、えっと、病院、行くか?」

 このあと俺は、会議の予定が入っている。しがないサラリーマンの俺もそれなりに忙しいのだが、病院までタクシーで送ってやるぐらいの人情は持ち合わせていた。


「……たぶん、ちょっとあざになったぐらいだからへいき」

「じゃあ、親御さんとか学校に連絡は……」

「絶対しないで」

 だったらどうすればいいのだろう。

 このまま帰してもいいのだろうか。


 濡れた目元を手の甲でこすりながら、彼女はよろよろと上半身を起こした。


「……ねぇ、ヒロインになれるほど可愛くもなくて、世界を呪うほど不幸でもない、どこにでもいるような、ちょっとだけ不幸せな子が幸せになれるゲーム、ってある?」

「……あるだろ、そりゃ」

 多分、ジャンル的には乙女ゲームの類いだろう。

 俺はそっち方面にはあまり詳しくないが、姉に聞けば、有名どころのタイトルぐらい教えてもらえるはずだ。


「教えて」

 赤く腫れた目がこちらをまっすぐ見つめてくる。

 思っていたよりも可愛い。というか、綺麗な子だった。

 今日の俺は運が悪いと思っていたが、逆に幸運だったのかも?


「……待ってくれ、ギャルゲーの攻略方法を調べてくる」

「? なに言ってるの?」

「いや、えーと……ゲーム屋、の前にとりあえずメシだな」


 どんなに仕事でクソみたいな気分を味わっても、美味いものを食べれば、生きててよかった、と思うこともある。

 そんな俺のおすすめの店を、特別に教えてやろう。

 といっても、駅前の天丼屋なんだけど。

 このあたりのオフィスのサラリーマンには大人気だから、それなりに自信を持っておすすめできる。


「生きてりゃ、たまには現実で主人公みたいになれる日だってくるさ」


 たとえば、今日の俺がそれだ。

 そして今日の俺は物語の主人公みたいなことをしたので、堂々と会議をサボってもいいはずだ。


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