開かない左手【KAC2024第五回:はなさないで】

青月 巓(あおつき てん)

開かない左手

 こう言っちゃ何だが、生まれてこの方障害があるわけでもないにも関わらず片手が使えないことに不便を感じていた。

 医者が言うには無意識に使わないように制御しているらしいが、何か要因があるかと聞かれれば「ない」と答えるしかない。

 なにせ、本当に平凡な人間なのだから。

 それにもかかわらず俺の左手はずっと何かを握ったようにギュッと握り締められたまま生まれてからずっと開くことはない。

「何か知ってる?」

 と母に聞くと、いつも決まって気まずそうに「知らない」と答えるばかりだった。

 結局成人になっても開くことはなかった左手は、医者の元に赴いて改めて調べても硬直しているわけではないらしいということしかわからなかった。障害として認定はされているものの、俺はこれを障害ではないものだと思っていた。

 母が何も言わないのであれば、あとは自分で調べるしかない。ただ、平々凡々な俺の頭でこれが病気ではないのであれば何であるかを考えれば、一番最初に出てくるのは“霊的なもの”しかなかった。

 とは言っても大学に通っている最中なんかはずっと実家に暮らしていて、バイトもさせてもらえなかったが故にそれを裏付ける根拠を調べにいくことは不可能だった。

 最初のチャンスが訪れたのは、二十三歳のゴールデンウィーク。ちょうど就職した会社が長期の休みに入った頃だった。

 一人暮らしを始めたものの物欲もなく、給料が手に入っても何も買う気が起きなかった俺は、そうだと思い立って近くの寺を探し始めた。

 運よく、というよりも一人暮らし先が京都であったがために、近くには何件かそういったものを調べることができる施設が存在していた。

 俺はすぐさま家から一番近い住所に電話をすると、その日のうちに見てもらえることとなった。

 そこは少し大きな寺で、まあ街中なんかにあるような大きなものと比べると一軒家程度の大きさにおさまっているちょうど良いサイズのものだ。

「お待ちしておりました」

「あ、どうも」

 入り口で会釈をする坊主頭の男性(後で聞いたら本物のお坊さんらしかったが、服装はシャツにジーパンとやけに俗っぽかった)に案内され、俺は畳が敷き詰められた一室に案内された。

 そこは仏……のような像が飾られている部屋で、やたらと香の匂いが強い部屋だった。

「ではそこの中央にお座りになってください」

 言われるがまま、俺は部屋の中央に敷かれた座布団の上に座る。

「今回のご依頼はその左手について、でしたね?」

「ええ、もし何かあるのであれば、その……除霊? みたいなこともしてもらえると嬉しいです」

「そうですね。ただ、除霊というものはいわゆる、皮膚にできたイボを無理やり取ってしまうようなものです。傷もできれば、その痕が強く浮き出てしまう場合もある。なのでまず先にあなたの左手にあるものを見て、その上で対策を立てて行かないといけません。それでも構いませんか?」

 坊主の言葉に俺は首を縦に振った。

「わかりました。ではまずは見るところから」

 そう言うと、坊主は何かを唱え始めた。般若心経に似ているようで、しかし内容は全く違う何かだ。

 左手には何も見えないまましばらくその読経を聞いていると、ゆっくりとそれは終わり、坊主が静かになった。

「ふむ、可愛らしい女の子がついておられる。お、珍しいですよ。この子、私と会話ができるようです。そこまで強い霊も久しぶりだ」

 変な坊主だ、なんて思いながら、俺は黙っている。坊主はそれを無視するように、俺の左隣を見つめ続けていた。

「うん、うん。わかった。そう伝えるね。で、時々左手は……そう。無理か。残念」

 その瞬間、俺の左手に激痛が走った。まるで何かに握りつぶされるような痛みだ。

「あぁ! 大丈夫大丈夫。除霊なんてしないよ。それよりもどう伝えたらいいかな……? あ、お母さん? わかった。じゃあこれで会話はおしまい。大丈夫? はい」

 お坊さんが手を鳴らすと、部屋の中の空気が少し軽くなったように感じる。そこで俺はやっとこの部屋の空気が最初に入った時よりも少し澱んでいたことに気がついた。

「君よりも先に生まれてくるはずだったお姉ちゃんって名乗る女の子が、ずっと君の左手を掴んでいるね。私が守るんだから、なんて意気込んでいたよ」

「そ、そうだったんですね」

 姉がいた。そんなことは聞いた事なかった。だが、母は絶対に知っているはずだ。

 その日は代金を支払い俺は家へと帰ることになった。お坊さんはしてほしいならば除霊をするが、あまりおすすめはできないと帰り際に俺に伝えてきていた。

 一人暮らしといっても実家も京都にあり、何なら今住んでいる家から電車で数駅しか離れていなかった。

 せっかくであるからと俺は実家に帰り、母親に顔を見せつつ、それとなく今日のことを伝えてみる。

「……ってことがあったんだけど、俺に姉なんていたの?」

 母はじっと俯いていたが、観念したかのようにゆっくりと顔を上げた。

「ええ、そうよ。ただ、お父さんの前ではその話はしないでね」

「なんで?」

「お父さん、そのことでひどくショックを受けちゃったのよ。あなたが産まれたときも、あまり喜んではいなかったの。もちろん、愛情はあるって言っていたし、産まれてから数日経てばそのことなんてケロリって感じだったんだけど、あくまでもあの人の中で消化し切ったものってだけだからね」

 俺はなんとも言えなかった。愛されていなかったわけじゃない。ただ、姉が産まれてこれなかった事実が父の心に少しだけ辛い過去として刻まれただけの事実だ。

「でもよかった。あなたの左にずっとあなたを見守っていてくれてたなんて。教えないけどあの人が知ったらちょっと喜んじゃうかもね」

 母は少し嬉しそうに語る。

「でもなんで教えないの? 別にいいじゃんそれくらい」

「あはは、あの人もプライドがあるからね。それを教えたってことは、あなたにもこの話をしちゃったってことになるでしょう? それは本人にとっても嫌な事だろうからね」

 そんな事を話していると、ちょうど父が帰宅してきた。ゴールデンウィークだからと早めに仕事が切り上がったらしい。

「お、帰ってたのか」

「ちょうど、ね」

「左手がそんなんで、一人暮らしはできてるのか?」

 心配そうな父を宥めながら、俺は暫くぶりの実家での夕食を食べて家に帰るのだった。

「それにしても、姉かぁ」

 帰宅し、ベッドに入った俺は天井を見ながらつぶやいた。

 姉なんて考えたこともなかったな。しかも俺を守ってくれているなんて、少しロマンチックだ。まあ、あんまりよろしくない妄想もしてしまうが、その程度は許してくれ。名前も知らない姉。

 関係ない事を考え始めると眠くなる、という話が本当であるように、そこから妄想を続けていると脳がゆっくりと入眠モードに切り替わっていった。

 枕に頭が沈む感覚と共に、俺は夢の世界に初めて姉と一緒に足を踏み入れて行った。

 夢の中で俺は姉と向かい合って座っていた。その顔はわからない。

 形容するのであれば、みて、そうだと判断しているにも関わらずすぐさまその記憶が飛んでしまうといったような状況だ。そんな姉が、何かを必死に訴えようとしている。

 俺が耳を傾けると、姉のその小さな声がだんだんと大きな声に変わっていった。

「……じゃない…………は……しじゃない」

「何? 姉さん、ごめんって。妄想したのは謝るから、もっと大きな声で言ってよ」

 その大声はまるで俺の耳をつんざくように通り過ぎて、それが要因で俺の意識は覚醒した。

 全身がびっしょりと汗だくで、硬い床に寝転んでいる。いつの間にか俺はベッドがら落ちていたらしい。

 目の前にあるローテーブルに左手が乗っている。その手は開くことがなかったのに、なぜかサインペンを握っていた。俺は無意識に何かを書いていたようだ。

 俺の記憶していない夢の中での姉からのメッセージでも書き留めたのだろうか、なんてて思いながらテーブルを見る。

 生まれてから一度も動かしたことがなかったが故にわからなかったのだが、左手は俺の意思を無視して動き、まだそこで何かを書き続けていた。

 白いテーブルに、サインペンの文字が延々と綴られていく。


離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで離さないで

偽物の姉の言うことを信じるな


 除霊? もちろんしたよ。お坊さんに詳しく説明したら、痛みもなくすぐにやってくれた。

 だって怖いじゃん。姉だとしてさ、そんなことを書く奴なんて。左手はまだ動かないけどね笑

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