第4節 デート、偽りの世界④
――牢に幽閉されていたイカロスは、蜜蝋で鳥の羽を固め、空を飛んで脱出した。
しかし彼は、さらに空高くを目指す。太陽を目指して飛んでいく。
太陽の熱で蝋は再び溶け出した。羽が散り、もはや彼は飛べなくなる。イカロスは真っ逆さまに海へと落ちていき、死んだ。
■
いつの間にか結構な時間が経っていたようで、屋上に着く頃にはもう太陽が沈みかかっていた。
夜の青色が空に満ちて、地平線が太陽の赤に染まり美しいグラデーションを描く。いわゆる、マジックアワー。1日で最も美しい空、というやつだ。
「うわー、綺麗! めちゃくちゃいいタイミングで来れたんじゃない!?」
それを見てルカは興奮し、屋上の柵に駆け寄った。柵の向こうには植物が植えられ、夏の終わりの涼やかな風に揺れていた。
周りには静かな賑わいがあり、ベンチはまばらに埋まっている。
これ以上ないほどに美しい景色。美しい時間。胸が高鳴っていく。俺は――
「ルカ先輩!」
「んー?」
彼女がこちらを振り向き、微笑む。その髪が風で揺れ、夕陽に照らし出される。
「これは――違うんだ」
やめろ。言葉を止めろ。
「あんたは、このショッピングモールができる前に……俺を置いていった。だから……こんな風に、デートできる時間なんてなかったんだ」
それ以上喋るな。「これ」を壊すな。何より望んでいた奇跡を。都合のいい夢を。
「このモールが完成してすぐ……1階にダンジョンが出来た。
当時はダンジョンについて何もわかってなかったから、ニュースで当たり前みたいなツラして『ダンジョンになりやすい空間はこんな場所です』、なんてことも言っていたりした」
まばらだった人が、段々いなくなっていく。
「一度ダンジョンになった場所はまたなりやすいとか。そういう風評被害があって、このモールには人が寄り付かなくなった。
すぐガラガラになって、テナント募集中まみれになって。1年も経たずに、このショッピングモールは潰れちまったんだよ」
太陽が完全に沈む。マジックアワーはただの夜の空に変わっていく。
「……セイジ君」
「馬鹿だよなぁ。こんな真実なんか気付いたところで幸せになれるわけがないのにな。
けど、今なら……お前の気持ちがわかるよ、ルカ」
気付くと俺の体は、もう学生の頃のものではなくなっていた。首と肩の痛みが取れない、くたびれたオッサンの俺だ。
「真実を見つめたり、真実に気付くことが大事で。時にそれは、生ぬるい嘘の中に生きるよりも尊い……。あの映画でも、他のいろんな言説でもそう語られがちだけどよ。
それは嘘だ。俺たちは、弱いから真実を求めてしまうんだ」
目の前のルカの姿が変わっていく。俺が20年ぶりに出会った、どこか不安げな、記憶を無くした彼女の姿に。
「もしライオンが記憶を無くしたとして、『明日からどうしよう』なんて考えない。幸せになれない、なんてこともない。
俺たちは弱いからこそ真実を求めて、不安から逃れようとする。真実を見なかったことで、落とし穴に落ちるかもなんて考えて。
目の前に幸せがあったとしても、それを見ないで真実とやらを探してしまう」
横浜でのデートを楽しいものだと理解しながら、それでも
太陽を求めて空へと飛び上がりすぎたイカロスのように、俺たちは真実に惹かれ、その熱に焼かれて堕ちていくのだ。
「セイジは、ここにいたくないの?」
「……いたいよ。いたくてたまらない」
声が震えた。視界が滲む。もういい年だというのに情けないな。
「本当はお前と戦いたくなんかない。普通に、一緒に生きていきたい。けど、それはできないんだよな」
「……夢から覚めたら。もうできないよ」
俺はダウンのポケットに手を突っ込む。赤と青の錠剤がそこにあった。
「青の錠剤を飲めば、セイジはもう戦う必要はない。この世界から目覚めることもないんだよ」
「あぁ。……あぁ。そうだな」
「赤の錠剤を飲めば、現実に目覚める。私と戦うことになる」
俺は考える。こんなのは本来、考えるまでもないような馬鹿げた2択だ。
ずっとルカを、彼女を愛していた。その行いが悪に落ちても、止める理由は彼女を愛していたからだ。そんな彼女と戦う? こうして夢の世界にいれば一緒にいられるのに?
(お前は幸せになりたいのか? それとも不幸せになりたいのか?)
こんな問いかけ、問いかけにすらなっちゃいない。後者を選ぶわけがない。
『たとえ不幸に……じゃない。知ればお前は確実に不幸になる。それでも知りたいのか』
ああ。昔、こんなことをルカに聞いたっけな。そりゃそうだよな。確実に不幸になるってわかっているのに、真実なんて知りたがるわけがない。
『……覚えておいてくれ。
真実を知っても、人は。幸せにはなれない』
これは、足柄さんが死に際に残した言葉か。そうだな。その真実を求めた末に、ルカはブライトとなった。
あいつはいつだって、真実を求めて不幸を手にしてきた。――その気持ちが。今なら、わかるよ。
俺は赤い錠剤を飲み込んだ。
「……そっか」
周りの景色が溶けて消えていく。俺と、目の前のルカだけを残して夢の世界が消えていく。
「君を責めたりしないよ。私だってそうだったからね。幸せになれないと断言してくれたのに、それでも過去を求めてしまったんだ」
その姿、体はそのままに声色が変わる。その目つきが鋭くなっていく。
「おめでとう、セイジ君。君は第4階層を抜け出した」
「……そうかよ」
「決着をつけよう。現実とダンジョン。どちらの世界が残るのかを」
ルカ――ブライトは俺に背を向け、光の中へと歩いていく。
俺はその背中に手を伸ばしかけ……その手を引き、拳を握った。
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