第11節 その正体【sideルカ】

「待て……!」

「ひいいぃっ、来るな、来るなぁ!」


 古びてボロボロの、木造の図書館。床じゅうに破れた本が散らばり窓も割れている。


 この異常空間の第4層はおおよそそんな場所だった。それだけに、教祖の足跡も追いやすい。


 頭はまだ混乱している。足柄さんが生きていた? 教祖と組んでいた? 私にまで攻撃しようとしていた……?


 何もわからない。わからないが、今はただやるべきことをやるだけだ。


「行け! 奴を止めるんだ!」


 大きな口を持つ細長い人間めいた異常実体がこちらに飛びかかってくる。


 それを拳で振り払うと、異常実体は本棚に叩きつけられ血しぶきを上げた。


「なっ、なんだ、なんだ! 何なんだお前はああぁっ!?」

「……!」


 捨て駒のように次々と襲い来る異常実体を蹴散らしながら逃げる教祖を追う。


 足の速さも「強化」されている今の私は、すぐにあの肥った男へと辿り着く。


「こっちはもういっぱいいっぱいなの。だからもう余計なことしないで。黙って……寝てて!」

「ひっ、ひいいぃぃ! く、来るな! 来るなぁ、止まれぇぇ!!」


 怯えきって甲高い悲鳴を上げる男。まったく、うるさいな。人を化物みたいに。


 ――その瞬間。私の足が、突然、動かなくなった。


「ひいぃっ、ひいぃぃ……!?」

「……は?」


 足が。動かない。ぐっと力を込めても、前にも後ろにも動かない。


 まさか異常実体の伏兵? いや、そんなものはいなかったはず。何より教祖にそんなものを仕込むだけの精神的余裕はもうないはず。


 教祖は恐る恐るといった様子で顔を上げ、こちらを見る。


「……手を。上げろ」

「な……!?」


 教祖がそう口にすると、私の両手が勝手に上に上がっていく。何なに……!?


 なぜだかわからないが、教祖の命令に体が従ってしまう。


 ……どうして? 階層をまたいだことで能力が強化された?


 いや、だとすればこの階層でも教祖が逃げ回っていた説明がつかない……!


「……ふっ。ははっ、ははは……! はははははははっ!

 そうかそうか……最初からなにかおかしいと思っていたんだ」

「何を……言ってるの……!?」


「お前――化物が混ざっているな」


 …………。私は言葉を返せず、ただ教祖を睨む。


「私の迷宮奥義は化物を従える力。だからなのかはわからんが……お前が純粋な人間でないことは薄々感じていた」

「……違う。私は……人間だよ」

「フッ! 『跪け』」

「……!」


 男の声にマイクのハウリングのような音が混ざり、私の体は勝手に跪いてしまう。


「私の声に従うのがその証拠だ! どういう訳だか知らんが、お前の体は半分化物になりかけているのさ!」

「……く……」


 正直なところ、自覚はあった。自分の体がだんだん異常実体に近付いているということ。


 私は以前――生まれたときは黒い髪と茶色い瞳だった。


 しかし、「アレ」をするようになってから、だんだん今の緑色の目と髪に近付いていったのだ。


 それに呼応するようにアシストフォースの力と、異常空間内での身体能力が飛躍的に高まっていったのも知っている。


 だけどまさか……こんなデメリットがあるなんて想定もしていなかった。


「しかし、これは良い。化物をだいぶ殺されはしたものの、実に良い拾い物だ!

 これほどの化物を手に入れられたなら、今度こそ私は迷宮において最強の存在となれるだろう……!」

「ふざけっ、ないで……! このっ、くそ……っ!」


 なんとか立ち上がろうとするが、ものすごい力で押さえつけられているみたいに立ち上がれない。


「おまけに他の化物と違って見た目もいい。まぁちょいとガキくさいが……フフフ。どんな命令でも聞く女というのも面白そうだ」


 粘ついた視線がまとわりついてくる。……気持ちが悪い。でも、どうすれば……。


「大磯。やめろ」

「ぬ……足柄。戻ったか」


 ……!? 私はその声に振り向こうとして振り向けない。体を動かせないままだ。だけど、これが誰の声なのかはすぐにわかる。


「足柄さん……! どういうことなの!? なんでここに……そうだ、セイジ君は!?」


 彼の相手はセイジ君がしていたはずだ。彼がここにいる、ということは、負けてしまったのだろうか?


「……悪いが……手加減できる相手じゃなかったのでね。……殺したよ」

「――は……?」


 頭を、ハンマーで殴られたような――衝撃が走り、視界が揺れる。


 殺した。……殺した? だめだ。もう何もわからない。足柄さんのことも、この状況も、なにもかも。


 頭が混乱しすぎて爆発しそうだ。もう何も考えられない。……何も考えたくない。


「……セイジ……くん……」


 いっぺんに、大量の情報が頭の中で入り混じる。


 過るのは、この前の夏の夜。彼と花火をした夜の景色――


「大磯。これからの計画を話そう。予定は狂ったが、とにかくこの2人の一件で警察の出方を伺う」

「結果次第では皆殺しでいいんだな?」

「ああ。それも仕方がない。痛みを伴わなければ、組織というものは変わらない――」


 2人が何かを話しているが、ちっとも頭に入ってこなかった。言葉ではなく、ただの音として耳を通り過ぎていく。


「立て」

「…………」

「よし、とりあえず奥に行こう。他の幹部を集めるのだ――」


 私の体が勝手に立ち上がり、教祖の後を歩いていく。まるで魂が抜けて、自分の体を外から眺めているような気分だ。


「――待てよ」


 そんなとき、背後から聞こえた声。


 その声は。何度も何度も聞いてきた、その声は。


 教祖が振り向いて怯えた顔を見せ、隣の足柄さんもまた目を見開く。


「おい……おい、足柄! なぜ奴がここにおるのだ!?」

「バカな……!? さっき確かに、体を真っ二つにしたはず。生きてるわけが――」

「ところが生きてるんだよ。この通りな」


 教祖が動揺したせいか、体の自由が少しだけ戻る。私は後ろを振り向いた。そこにいたのは――


「セイジ君!!」

「――まだ勝負はついてないぜ。第2ラウンドだ!」


 血だらけの制服を着て立っている、彼の姿だった。

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