第2節 伸べられた手

 痛い。熱い。


 息が切れて体のあちこちが痛む。バケモノの吠える声があちこちから聞こえ、痛みに意識が持って行かれそうになる。


 何だ? どうしてこうなった?


 事の発端は、そう、あいつだ。あっちで犬みたいのに食われて死んでしまった男。名前は天原だったか。


 あいつが肝試しに行こうと誘ってきたんだ。普段だったらそんなもの行かなかった。


 高校2年、2学期終了の打ち上げ……その帰り。普段と違う状況でつい浮かれて、男たちだけでやってきてしまった。


「ギビビビビィィッ!」

「ひぃぃぃっ、来るな、来るなぁぁ!! うわあああああ――!」


 そしたらこれだ。中が異常に広い廃屋。外観から見た建物を遥かに超える広さ。


 おまけに民家みたいだったはずの入り口から、ドアを1つ開ければまるで気配の違う、ショッピングモールの家具店みたいな部屋。


 ベッドやソファの陳列された空間、そこに現れる訳のわからないモンスター。何もかもがメチャクチャだった。


 左目が激しく痛んでいた。爪が生えた小さな悪魔みたいなやつに引っかかれた。


 明らかに血がダラダラ流れているのがわかる。失明しているかもしれない。


 だが失明程度なら別にいい。むしろここから、失明だけで助かるなら泣いて喜ぶだろう。


 何しろ、ここには今も大量のモンスターがいるんだから。


 大きな口を開けて笑っている人間みたいなやつ。


 黒い霧のボールみたいなやつ。


 頭が花みたいになってる巨人。


 死体を食い散らかしている犬。


 天井からぶら下がっている猿みたいなやつ。


 並んでいるベッドを背に倒れた俺を、そいつら全員が見ている。当然か。さっき最後の1人が殺されて、俺以外のやつはもう全員死んでるもんな。


「あぁ、クソぉ……! 助けてくれよ……神様」


 多くの日本人と同じように俺は無神論者だが、今ここから助けてくれたらどんな宗教にだって入ってやる。


 だというのに、願いは届かず。花の頭がこちらに近付いてくる……。


 ――次の瞬間、激しい風圧とともにソイツが吹き飛んだ。景色がスローになり、体液が空中に弾けたのが見える。


 代わりに目の前に現れたのは――怪物を殴りつけた人物。


 照明に照らされ、その髪がやや緑色を帯びる。凛とした横顔で真っ直ぐに怪物を睨み、腰の入ったパンチを入れている。


 ボタンを止めていない紺色のブレザーを風にはためかせ、チェック柄のミニスカートや括ったポニーテールが爆風に揺れる。


 ……神様、か?


 神様にしてはパンチが達者すぎるが、それ以外には思えない。そんな彼女は、口だけで微笑み俺に手を差し伸べた。


「大丈夫? ……まだ死んではないみたいだね」


 彼女は俺の肩と首に触れ、それから斬り裂かれた左目を見ていた。


「あ、あん、たは……」

「お友達のこと……助けられなくてごめん。もう少し早く来れればよかったんだけど」


 その少女はおそらく俺と同年代くらいながら、妙に達観というか、大人びた憂いの表情を見せた。


「ゆっくり目を開けてみて。……たぶん大丈夫。失明はしてないと思う」


 優しい声でそう告げたあと、彼女は立ち上がる。その背後に4体の化物が迫ってくる。


「足柄さん! 要救助者1名。死者4名! 早めに来てね。私はさっさと奥に行って解体するからさ」


 それから目の前で起きたことは……とても言葉にはし難い。


 とにかく彼女の動きが早回しのように加速したかと思うと、人間離れした膂力で次々に周りの化物をぶっ飛ばしていったのだ。


 現れたときと同じように、懐に飛び込んで掌底を突き上げたり、後ろ回し蹴りを叩き込んだり、貫手で犬の体を貫いたりする。


 ……ようやく少しだけ認識が追いついてくる。どうやら神様ではなさそうだ。バイオレンスすぎるからな。


 ひと通り辺りの連中を片付けたあと、彼女は颯爽と奥に向かって歩いていく。


 危ないぞ――そんな警告を発する猶予もなく。


「君! 大丈夫か!」


 俺はその後にやって来た、スーツ姿の数名の男に保護されて外に出ることになった……。

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