第7節 12月24日20■
「……で、落ち着いたか?」
「ぐすっ……うん……」
私は鼻をすすって涙を拭った。なぜだか溢れた涙が、しばらくして止まる。
屋形船からは降りて、港の柵に寄りかかって海とビルを眺めていた。
海から吹いてくる風は変わらず冷たいままで、ほぉ、と白い息が空に登っていく。
「なんか……苦しいっていうか、悲しいっていうか……?」
「どうしたんだ、一体」
「わかんない……。ただ、ええと……」
私はぐちゃぐちゃの頭の中を整理しようとする。
海を見て、夜景を見て。楽しそうな人を見て、遊園地で遊んで。
「今日はすごく。すごく楽しかったよ。今までの人生の中で一番!
ホントに……記憶なんてなくたって、幸せになれるんだってわかったよ」
「そうか。人生で、ね」
セイジは皮肉げに笑う。……そうだ。それが、私の唯一の心残りだ。
「だけど、本当はね。もっと胸を張って、『人生で一番』って言いたかった」
「なに?」
「今の私の『人生で一番』はね。ほんの2週間くらいの中で一番でしかないんだ」
「……!」
「セイジとのデートが楽しかったって言いたいのに、小さな尺度で測ることしか今はできない。それが悲しい、かな」
「……ルカ」
セイジは私の横に並んで、柵に体を預けるようにして海を眺めた。
「セイジ。……教えて。私の、正体を」
心臓が嫌な脈の打ち方をする。ざわざわと体が2つに割れて、ズレて動いているみたいな不快感。
波の音が消えて、人の足音が消える。心臓の音だけが大きく鳴り響く。
「もし私の正体がどんな奴でも。今ここにいる私は消えたりしないから」
「……!」
今ここにいて、考えている「ルカ」だって私なのだ。記憶を取り戻したとしても、ゼロになるわけじゃない。
「だから、信じて。私は確かめたいんだ。このデートが人生で一番楽しかったのかどうかを。
――私の正体を教えて、セイジ。そうすれば、少しは記憶も蘇る気がするんだ」
「…………」
「……ああ。わかった」
セイジは長い沈黙の末に頷き、懐から何かを取り出した。大きめの、四角いファイルみたいなもの。
「それは……?」
「20年前の異常空間特別調査係……。ASSISTの所属隊員名簿だ」
卒業アルバムみたいな分厚い装丁のファイルの表紙には、金色の文字が刻まれている。
それを捲ると名簿と顔写真が載っていた。いつのものなのか、画質はやや低い。
ほとんどはスーツ姿の男性だ。足柄ソウヤ、佐伯ソウジロウ……。
私はそれらの写真の末席に、「神凪セイジ」の名前と写真を発見する。
……何年前の資料なんだろう。彼はとても若い。高校生のような制服を着ているが、あの特徴的な目の傷は当時からのようだ。
「――!」
――そしてその横に、私は……「私」の姿を見た。
やや緑がかった瞳と髪。今の私と何ら変わりない姿の女の子の写真。
その名前は、「
「――――あ」
頭の中が掻き乱される。脳の奥から大量の情報が流れてくる。
――そうだ。記憶を取り戻すトリガー。私の名前。当時の。ASSISTの。
あのとき何があったのか、なぜ私は記憶を失ったのか。それらをすべて思い出す。
死んだASSISTの人間の死体――
迷宮教教祖の悍ましい笑み――
涎を垂らした信徒たちの群れ――
ダンジョン化した国会議事堂――
弟の最期の苦悶の顔――そして幾多のダンジョン。
それらがストロボ写真のように次々にフラッシュバックした。
「……おい。ルカ?」
――私は。
「ルカ、大丈夫か? ……何か思い出したか」
私を■■■て■■■■が■■■てく■。
(……だめだ)
先ほ■■で「私」であった■識が■■■■く。
滝■ような情報■■いやら■て、「ル■」という仮初■人■が消え■いっ■しま■。
(消え、る。消される……「私」が、消されていく……)
肩を揺■る■■■■。口が■■ない。
(助けて、セイ――)
「……いや。あんまりハッキリとは思い出せないかな」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
「そうか。まぁ、実は俺にもよくわかってはいないんだが……そのASSISTの名簿は今から20年前のものなんだよ」
「20年前? その割に、私が映ってるみたいだけど」
■■■、■■■。■■■■■■■■■■■■!
「ああ。つまり……お前の正体は」
「……ごめん、セイジ君。ちょっと気分悪くなっちゃったかも。どこか座れるところに行かない?」
「あ? あぁ――」
■■■■■、■■■■■■■。■■■■■■■■■■、■■■■■■。
「――いや、待て。お前今……セイジ『君』って……?」
「…………」
「その呼び方。お前。……お前は。ルカじゃない。まさか――ブライト!?」
――彼の言葉に、私は思わず口角を吊り上げ、笑いを堪えられなくなった。
「そうだよセイジ君。久しぶりの再会だね?」
先ほどまで「ルカ」のものだった体で、私は嗤った。
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