第8節 逃避の末に
「あ……ぐっ……!?」
呼吸がせき止められ、パニックになる。何……!? どうなってるの!?
なんとか彼の手を解こうとするがびくともしない。そのまま体ごと持ち上げられたかと思うと、勢いよく放り投げられた。体が地面に叩きつけられる。
「うっ……!」
「そうだったね。君のことを教えてあげよう」
ゆらり、と月に照らされた彼のシルエットが動く。私は彼から少しでも離れようと、痛む体を起こす。
「君は僕から全てを奪ったんだよ。妻も子供も、仲間の信者たちも……皆」
「がはっ……な、なんで、私がっ、そんなことするのよ……!」
「だから思い出してほしいんだよ。君の罪を思い出して、懺悔しろ。
死ぬのはそれからだ……アシストフォース、闇蜘蛛」
彼の目が怪しく赤く光ったと思うと、網のネットのようなものが私に向かって飛んできた。
横にジャンプしてなんとか避けたあと、受け身を取れずにまた地面に激突する。
くそ。痛い。怖い、苦しい。体が震えているけど、震えて固まっていたら殺される……それだけはわかった。
「逃がさないよ。僕が味わった恐怖と絶望を、君にも与えてやる」
「そんなのっ、知らないって……!」
私は跳ね起き、通路に向かって一目散に逃げた。余裕があるのか、彼はすぐには追ってこず、ゆっくりと歩いてくる。
チャンスだ。この調子で距離を離して、一気に5階層まで行ってしまおう。
5階層に辿り着きさえすれば、私のアシストフォースでダンジョンを終わらせられる。
そうなれば、外に人がいる。中で襲われたことを話して、この人を逮捕してもらおう……!
微かな希望に望みを託し、私は新藤から逃げ始めた。細長い通路は両脇が障子になっていて、月の光が漏れ入ってくる。
障子の向こう側には、明らかに人間のものではない細長い手が大量に貼り付いていた。ガサガサと無数の音を立てている。
不気味なダンジョンの光景に、いつもより遥かに恐怖を感じる。
……そうだ。ここには助けてくれるセイジがいない。自分だけの力で切り抜けないといけない。視界が曇り始める。
(……泣いてる場合じゃない!)
目を塞ぐ涙を拭い、通路を走り抜ける。そこには大きな神輿のようなものがあり、さらに左右に道が別れていた。
「あぁもう! どっち行けばいいのよ!」
こんなときに分かれ道とかやめてよ! いちいちどっちが正解か、なんて考えてる暇はない。減速することなく左側の通路に向かう。
いつになく「迷宮」らしいダンジョンで道を1つ折れ、2つ折れ。
景色はどこに行ってもほとんど変わらず、顔のない仁王像は私を見つめ続け、木板の床を走り続ける。
「ウウゥウ゛ゥウウ゛ゥウウゥ゛――!」
暫く走ったあとで、私は広場に辿り着く。そこで聞こえてきたのは、人の断末魔にノイズを被せたような不気味な声。
……ああ。そうだった、と全身から力が抜けそうになる。
そこにいたのは、灰色の長身に花の頭部を持つモンスター……フロリスト。
それと、名前の知らない巨大な綿毛のようなモンスターだった。
そうだ。ダンジョンにはモンスターがいる。私はあの変質者に追われながら、モンスターもどうにかしないといけないんだ。
だけど私のアシストフォースは、5階層まで行かないと効果を発揮しない。目の前のモンスターへの対処方法は――。
「あっ、そうだ……!」
制服の内ポケットを探り、ハンドガンを取り出す。最初にセイジと出会ったときに渡されていた銃だ。
こちらに気付いて近付いてくるフロリストに銃口を向ける。
「く……くらえっ!」
ドン、と体に響く衝撃と音。銃の先から火が出て、フロリストの体に小さく穴が空いた。
……それだけだった。全く意に介さず、痛みすらもない様子でモンスターたちは近付いてくる。
「この、この……!」
負けじと2発目、3発目、引き金を引く。だけど先に、反動を受けすぎた私の手が限界を迎えた。
手が痺れて握ることができなくなり、銃がするりと地面にこぼれ落ちる。
もちろん、フロリストはほとんど無傷のまま。むしろ少し苛立っているようにすら思える。
「や、ば――」
そのままズカズカと歩いてきたフロリストが、無造作にその長い腕を振るう。
衝撃が、咄嗟に防御のために挟んだ腕の上で弾け、浮遊感が全身を襲う。
私の体は軽々と吹っ飛ばされ、空を飛んだ。背中から壁に叩きつけられる。
……すごい。まるで映画のワイヤーアクションみたいだなぁ、なんて呑気な感想が浮かんだ。
そのままズルズルと地面に落ちる。あまりの痛みに声も出ないのに、頭だけは高速で回転していた。
「か――は――……」
何とか立ち上がろうとするが、足が言うことを聞かない。背中が痛いし、全身が重い。頭を打ったのか、視界が定まらずぐるぐると回っているようだ。
ぼやけた視界に、ゆっくりと歩み寄ってきたフロリストが映る。
まるで獲物をいたぶるかのようにゆっくりした動きで、私の周りをぐるぐる回る。
咳が止まらず、何も話せない。
死にたくない。
人はいつでも死にたくないと思ってるけど、死が目の前にないからいちいち考えたりはしないものだ。だけど今は、目の前に死があった。
「アシストフォース――闇蜘蛛」
そのとき、ぼやけた視界の中で、フロリストが何かに貫かれて吹っ飛んだ。
代わりに現れたのは、またしても厄介な相手。……新藤。
どんな表情をしているのか見えないし、首が痛くて上がらないから顔は見えない。
「ハッ……無様だ。こんな奴に……迷宮教はメチャクチャにされたのか」
「……な、にを……言って……」
「皆、君のことを……。アンタのことを信じてたんだ。だから多少姿が変わったってすぐにわかったさ……!」
彼は顔面をガリガリと掻き毟りながら焦点の合わない目でこちらを見下ろしてくる。
爪が尖っているのか、それとも異様な力を込めているのか、彼の皮膚が破れ顔が赤く染まり始める。
「どうして僕たちを! 迷宮教を捨てた!? 答えろ!
――ブライト!!」
「――は?」
一瞬、思考が止まった。
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