第8節 牙を剥く狂気

「さて。……もうそろそろ落ち着いたか?」

「ぐすっ……うん。ありがと……」


 涙を拭い、鼻を啜りながらなんとか立ち上がる。


 まだ視界の端にアレは見えているし、ひどい匂いも消えていない。


 だけど、いつまでもこんな所にいたって仕方がないんだ。私はなんとか立ち上がる。


「セイジはなんで平気なの……?」

「ただ死体に慣れてるだけだ。ダンジョンにたくさん潜ってりゃよく見るさ。……ここまでのものはなかなか無いけどな」


 彼はまだ休んどけ、と私の肩を叩くと死体の海に向かっていった。


 ……頭が茹だるような熱に支配される。彼の言うとおりに死体部屋の入口近くでしゃがんで休んでいると、しばらくして彼は戻ってきた。


「……わかったぜ。こいつらは信者だ。どいつも迷宮教の衣服を身に着けてる」

「え……どういうこと!?

 だって、ここは迷宮教の住んでる場所で安全なはずでしょ!?

 それに、教祖を迎えるために準備したって――!」


「それだ。2週間前くらいに教祖が来たって言ってたよな?

 こいつらも、だいたい死後それくらい経過してるんだよ。

 つまりこの死体の山ができたタイミングと、教祖『ブライト』がここに来たタイミングは同じってことだ」


「……ちょっと待ってよ? それって……」

「こいつらを殺したのは、『ブライト』の可能性が高い」


 その推測を聞き、背筋が凍りつき、体のあちこちから汗が流れてくる。


 なぜ? 何のために自分たちを慕う信者たちを、こんなふうに殺した……?


 理解不能な恐怖が足元から這い上がってくる。


「――ギュオオ。ギュオオオオ」


 音が聞こえた。あるいは声かもしれない。


 死体の海の空間の向こう側から、風の抜ける音のような、うめき声のような。


「まずいぜルカ。ここはまだ1階層だってのに……異常実体が来るぞ!」

「え……えっ!?」


 混乱も恐慌も冷めやらぬ中、事態は悪化していく。スパァン、と勢いよく襖を倒した音と共に、エンジン音のような音色とうめき声が同時に迫ってくる。


 恐怖に顔を上げると、死体の海をグチャグチャに踏み荒らしながら、大きな人間? がこちらに迫っていた。


 裸で筋骨隆々の体、腕はまるでカマキリのようだ。その両腕の先に巨大な鎌を備えている。


 胴体はバイクのマフラーのようなものが貫通しており、そこからエンジンの振動音が漏れているらしい。


 頭部はまだ人間らしさを残していたが、代わりに口は粘土のように異様に長く開かれ、顎が胸元でプラプラと揺れていた。


「くそ! 『リーパー』だ。他のダンジョンだと5階層での目撃情報しかない奴だぞ!」

「な、何それ!? どういうこと!?」

「アシストフォースの弱い1階層で戦ったって勝ち目がねぇ。すぐ2階層まで行くぞ!」


 セイジは私の手を掴んで先に進もうとする。駆け出した私は、反射的に足を止めてしまった。


「どうした! 走れ!」

「だ、だって……死体が……! それにあいつ、前から走ってくるじゃん!?」

「ああ、クソッ! 世話の焼ける子供だ……!」


 そう言うと、セイジは私に突撃してきた。何なに!? そのまま腰辺りを両腕で掴まれ、頭と視界が揺れ、浮遊感を感じる。


 ……持ち上げられた? 彼はそのまま私を肩に担いで走り出した!


「ちょっ……ちょっと!? めちゃめちゃお腹苦しい! 揺れる! 持ち方! 持ち方!」

「舌噛むぞ、黙ってろ!」


「ギュオオ、ギュオオ……!」

「ていうか前から来てるって、ぶつかる……!」

「アシストフォース、時間停止弾!」


 私を左手で担ぎつつ、彼は右手を怪物に向ける。いつもと比べて明らかに小さな赤い弾が指先で旋回する。


 人差し指を怪物の体に押し付けるようにして、彼は弾丸を撃った。


「ギュオ――」


 ――すると、けたたましいエンジン音も、うめき声もピタリと止んだ。


 ……時間停止弾? 何それ、弾じゃなくない? そんなものまで撃てるの? 1階層じゃ勝てないとはなんの話だったの?


 疑問が大量に浮かんでくるが、セイジはそのまま私を担いで走り抜ける。


 部屋の奥にある襖を蹴り破るころには、再び背後でうめき声とエンジン音が鳴り始めた。


「色々訳わかんないんだけどっ! ていうかっ、吐いた直後の人をお腹圧迫して揺らすのっ、どうかしてる……! うぷっ」


「絶対俺に吐くなよ! 吐いたらここに投げ捨てていくぞ! ……見えた! 2階層だ!」


 走る勢いもそのままに、彼は色の違う青色の襖を蹴破った。そのまま奥まで駆け抜けると、ようやく私をその場に下ろした。


「はぁ……ふぅ……。おぇ……」

「なんとか階層は跨いだ。このままダンジョンの調査を継続するぞ、ルカ。迷宮教について何かわかるかもしれねえ」


「わ、わかった……けど、セイジのアシストフォースだったら、あんなの倒せるんじゃないの?」

「……俺のアシストフォースは、『俺が思い浮かべたあらゆる弾丸を射出する』能力だ。

 つまり水鉄砲も撃てるし、その気になれば核弾頭も撃てる」


 か、核弾頭って……。でも、嘘ではないんだろう。S級解体人っていうのはきっとそれくらいできるものなのだ。


 だけどなおさら疑問が浮かぶ。いつも無双してるセイジがなんであのモンスターからは逃げたのか。


 そういえば、私と初めて会ったときもモンスターから潜伏しようとしていた。


 もしかして、最強に見えるあの能力にもなにか弱点があるのだろうか?


「俺の能力は確かに強力だ。だが他のアシストフォースと同じく、階層が浅いと能力が弱い」

「階層? ……あっ、そっか。階層が深くなるほど能力が強まるんだよね。逆に浅いと弱くなるんだ?」


「ああ。さっき撃った時間停止弾だって、1階層じゃ数秒止めるのが精一杯。

 その上、特殊な弾丸は消耗も激しい」


 消耗? と首を傾げる私に、彼は自分の指を見せた。彼の人差し指は、焼け焦げて炭化したかのように黒く染まっていた。


「な、何なに、それ!? 大丈夫なの……?」

「痛くはねぇしほっときゃ治る。が、さすがに手全体が黒くなるとしばらく何も撃てねぇ。例外はあるけどな」


 なるほど。納得すると同時になんだか不安になってくる。


 セイジは強い。だからどんなダンジョンでも心配ないと思っていた。だけど、ここは……。


「お察しの通りさ。自然発生してるダンジョンなら、1階層には1階層相応の強さの異常実体しか出ない。

 だがブライトによる改造ダンジョンは、そのルールも簡単に破れちまう。だからいつもより慎重に進まなきゃならねぇんだ」


 私はゴクリと唾を飲む。彼の言うことに心して頷き、2階層の探索を開始した。

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