第2節 『迷宮教』
「それは……迷宮教のシンボルだ」
彼は厳かな声色でそう呟いた。
その目はいつになく鋭く、その名前への憎しみが感じられる。
「めいぐう……きょう?」
聞き返す私に、彼は重々しく口を開いた。
「ダンジョンと、ダンジョン解体人を崇拝する連中だ。
ダンジョンは神からの試練であり、それに適合した人間は新時代に進むべき新たな生命。
それ以外は全部ゴミだ、って考えてる過激派だな」
なんだそれ、と笑いたくなってしまった。考えが大げさすぎる。
……そうして一笑に付す一方で――勿論そこまで極端な思想には行かないが――ほんの少しだけ、ダンジョン解体人を崇めたくなる気持ちはわかってしまう自分がいた。
ダンジョンでセイジが見せた力、「アシストフォース」。
アレは人間が使うにしてはあまりにも強力な力だ。見た目の凄さも相まって、宗教ができても不思議ではない。
「だが迷宮教の危険なところはソコじゃない。問題は教祖だ」
「教祖? どんな人なの?」
「……教祖の名は通称『ブライト』。そいつは今から20年前……アシストフォースを使って、世界をこんな姿にした張本人。人類史上最悪の犯罪者だ」
胸がざわつき、鳥肌が立つ。彼の目は殺気に満ちていた。無関係の私まで殺されそうなほどの冷たい殺意を感じる。
「それまで、ダンジョン……当時『異常空間』と呼ばれていたものは、ほんの小さなものが偶発的に生まれるばかりだった。
その世界の仕組みを、ヤツが変えた。今、日本には平均して常に300。世界中におよそ6000のダンジョンが、消えてはすぐに現れるようになったんだ」
「……何のために、そんなことを?」
「何のために、なんて俺が聞きてぇよ。ただ、確か……今の迷宮教の目的は、世界中をダンジョンで包み込むことだそうだ」
「な……!」
私は絶句した。そんなことが実現したらどうなるか、想像しただけで恐ろしい。
ダンジョン内には危険なモンスターが溢れ返っている。攻撃を受けるだけでウイルスに感染し、場合によっては死ぬ。
話を聞く限りダンジョンという特異な環境で、まともに生きていられるのはそこに適合した解体人だけなのだ。それを全世界に広げたりしたら……。
「何千万、あるいは何億って人間が死ぬ。今のダンジョンがボコボコ湧きまくる状況だけでも、社会的混乱はデカすぎる。それでもまだ飽きたらないってわけだ」
セイジの声は震えていた。怒りなのか恐怖なのか、私にはわからない。
「私、なんでそんな所のバッジを……?」
「さぁな。案外、信者だったりするんじゃないか?」
フー、と長い息を吐いて、彼は茶化すように言った。
「何にせよ、記憶のヒントが少しは見つかってよかったじゃないか」
「……記憶、か」
そう、記憶だ。私は記憶を取り戻さないといけない。
「セイジ。お願いがあるの」
「……何だ、急に」
「迷宮教について、一緒に調べて。危険かもしれないけど……私は自分の記憶を取り戻したい」
私がそう伝えると、セイジはやれやれと首を横に振った。
さすがに無理なお願いだっただろうか。教祖はとんでもない危険人物らしいし……。
「――お前。今の話を聞いて怖くないのか」
「え? 怖い、って……その、迷宮教がってこと?」
「違う。『記憶が戻ること』が、だ。
お前はその迷宮教の信者かもしれん。奴らは過激な思想の持ち主で、非適合者をモンスターに襲わせて殺したりもする。
記憶を取り戻したら、お前は人殺しかもしれない。
そうでなくても、何かヤバイやつかもしれない。
或いはそもそも、何か耐えきれないようなことがあって自ら記憶を飛ばしたのかもしれない。
記憶を取り戻すことで……お前は本当に幸せになれるのか」
セイジの両目が私を射抜く。
……考えもしなかった。記憶が戻ることで、私が苦しむ可能性なんて。
だけど言われてみれば、ありえない話じゃない。
人生なんて嫌なことばかりだ。覚えていないけど、そういうものだってことは覚えている。
人生には辛い記憶や悲しい記憶、忘れたい記憶もたくさんあるはずだ。
今の私は、思い出みたいなプラスの記憶もない代わりにマイナスの記憶も何もない。真っ白な状態だ。
自分が何者かわからない不安は当然あるが、当面の生活はセイジがなんとかしてくれる。
だったら、急いで危険を冒してまで記憶を取り戻す必要はないんじゃないか。
記憶なんてなくても、それなりに幸せに生きていけるんじゃないか。
セイジはそう私に問うているのだ。だけど、私は――。
「知らないものを、知らないままにしたくない。
辛い記憶とか、罪を犯したみたいな記憶が蘇る可能性もあるかもしれないけど……。
私が私でいるための、大事な思い出もそこにあるはずだから。
私は記憶を取り戻すよ。たとえ幸せになれなくても」
セイジは私の言葉に満足したのか否か、再び長いため息を吐いた。
「そうか。……なら、止めやしない。それと言っとくが……別にお前に言われなくても迷宮教については調べるつもりだぞ」
「えっ!? そうなの!?」
「なんで俺が迷宮教にそれなりに詳しかったと思う? 俺も個人的に色々あってな、現在進行系であいつらを追ってんのさ」
「それを早く言ってよぉ……」
「ま、いいじゃないか。言葉にして整理することは大事だ。不幸になっても記憶を取り戻す……。それでいいんだな、ルカ」
「……うん!」
再びはっきりと頷いた私に、彼は今度こそ満足そうにフンと笑った。
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