2:やるべきことを果たしてから
道中の警戒は怠らず、土神君は僕を川辺に連れて行き…僕はズボンをまくり上げて膝の怪我、その程度を確認する
「思ったよりは酷くないかな」
「とりあえず、傷口を洗おう。幸いにして出血が見られるのは片膝だけのようだし」
適当な石に座らせて貰った後、土神君は持っていたペットボトルに水を汲む
「ここに、ペットボトルがあったの?」
「「あの時」は休み時間だったからな。俺は水分補給中だったから。偶然持っていたペットボトルも一緒に転移されてしまったらしい」
「なんと幸運な…」
「おかげさまで水を汲む道具には苦労していない。ほら、膝に水をかけるぞ。痛むだろうけど叫ばないでくれよ。また変なのが来るかもしれないからな」
「りょ、りょうか……んんんんっ!」
口元を押さえ、漏れ出た声を必死に押さえ込む
冷たい水が傷口に広がり、綺麗になっている感じはするのだが…しばらく何もしていなかった影響か、かなり痛んだ
声に出して「痛い!」と叫びたかったが、また先程の化物みたいな奴らに追われるのは避けたい話
ここは土神君の言うとおり、見つからないよう声を押し殺して耐えておこう
ヒリヒリとする感覚が収まるまで結構時間がかかる。何回も転んで傷を深くしたのかもしれないし、一度転んでから時間がかなり経過していたこともあり、雑菌が多かったのかしれない
「ヒリヒリは収まったか?」
「う、うん」
「ハンカチの類いは?」
「あるよ。これでいい?」
ポケットの中から愛用のハンカチを取り出す
綺麗にアイロンがけされた真っ白なハンカチだ
「こ、これ…肌触りとか滅茶苦茶いいし、ロゴも刺繍されているぞ。こういうのってブランド物じゃないのか?」
「さあ。よくわからないや。お母さんがくれたものだからね。何に使うかわからないけれど、必要なら使って」
「…君の傷口を保護するのに使おうと思っていたんだ。でも、その白いハンカチで、お母さんからの贈り物なら、流石に汚すのは悪い」
「気にしなくていいのに」
僕がそのまま持っていたハンカチを傷口に持って行こうとすると、土神君は無言で引き留める
それから彼は自分のネクタイを外し、僕の傷口に巻き付けた
「土神君、ネクタイは流石に悪いよ」
「気にするな。これは無事に帰れたら買い換えられる」
「ハンカチだって」
同じ商品はいくらでも、ということはないだろうが、市場には出回っている
汚しても、完全にとはいかないだろうけどまた綺麗な状態にはできる
「それは、天使のお母さんが天使に贈った唯一無二のものだ。大事にしないといけないものだと俺は思う」
「…ネクタイは、いいの?」
「特に思い入れもないからな。なんなら、二年生になって新しく買い換えさせられただろう?使用し始めて三日程度だ。天使のリボンタイだってそうだろう?」
「そういえば…」
うちの高校は指定のネクタイかリボンタイの着用が校則で義務づけられている
色は一年生が緑、二年生が青、三年生が赤固定
一年に一回、ネクタイとリボンタイは学年色に合わせて買い換えをする必要があるのが面倒なところだ
ほぼ新品のそれを膝に巻いてもらい、痛みがなくほどけない程度に結んで貰う
「これでよし」
「ありがとう。無事に戻れたら、必ず新しいものを返すよ」
「助かる。しかし驚いたな。リボンタイをつけている生徒、いたんだな」
「おかしいかな」
「いや。俺も顔面に似合うのならそれがいい。ネクタイ、未だに結べないからさ」
確かに、土神君はお世辞でもリボンタイが似合う人ではない、かも
僕と比較して頭一つ高い身長に、がっしりとした体格
顔つきは…ぼんやりしているからかわかりにくいが、男性らしいもの
僕みたいに中性的ではない
…僕とは全然違う「普通の男子高校生らしい」人だ
「あぁ…大変そうだよね、これ」
「天使もネクタイ結べないから、リボンタイ?」
「…僕は逆に、ネクタイが似合わなかったから」
「そうか」
「……」
「一つ聞いておくが、そのリボンタイ」
「なにかな」
「丈夫か?」
「…へ?」
「引っ張っても問題なさそうか?」
「た、多分。結構丈夫な作りだよ。去年の分はほつれることもなかったし、それにこれは君のネクタイ同様新品だから。それがどうしたの?」
「リボンタイって実質紐だろ?」
「ま、まあ言ってしまえばそうだけど」
「こういう時、紐は便利だと思う。何かしら役に立つかもしれない。細かいところの固定が必要になったら借りるからよろしくな。天使がリボンタイユーザーで助かった」
「う、うん。必要になったらいつでも言ってよ。あげるからさ」
「頼んだ。勿論、使ったら新しいのを買うからな」
「わかった」
謎の取り決めをした後、土神君はなぜか僕を見ながら安堵した息を吐く
…彼が何を考えているのかさっぱりわからない
変わった人なのかな
「天使、落ち着いた頃だと思うし、周囲には何もいない。日が暮れる前にそろそろあの話をさせてくれ」
「勿論。お願いしてもいいかな」
あの話…僕らがここに来る前の話だよね
一体、僕らの身に何があったのだろうか
それは彼の目線ではあるけれど、ゆっくりと語られていく
あの日、あの高校で僕らの身に何があったのか
彼もまた、思い出すようにあの日の光景を振り返った
・・
俺たちが通う彩燭学園高等部は普通の男子校だ
五時間目。その日の授業は「古典」
食後の授業としては最悪極まりないもので、眠気と戦いながら受ける授業は拷問とも言える代物
けれど俺はそれを受け入れない
五時間目のチャイムが鳴り、先生が教室から出て行く
それを見計らって俺は体を起こし、ゆっくり背伸びをする
「んっー…よく寝た」
「鬼大鳥の古典で呑気に寝られるとか、よくやるねぇリョウちゃん」
「案外バレないからな」
「絶対バレてるし、無言で減点されていると思う」
「まあ、その時はその時だ」
ふと、廊下側の方に視線を向ける
何やら騒がしい。何かあったのだろうか
「うるさいな。伊吹の声か?」
「ちーがーいーまーす。流石の俺だってそこまでうるさくありませ〜ん。起きたてのリョウちゃんには、どんな音もうるさく思えそう。あ、でも今日はうるさいのも納得かな」
「なぜ?」
「
「へー」
天使食品。色々な食品を開発している会社だよな。そんな有名な会社の子供がこんな学校にいるだなんてなぁ。しかも同級生
「…去年、いたか?」
「入学式からいたし、同じクラスだったよ。話しかけたことないけどさ」
「ふーん」
ふわふわな白金色の髪を揺らした同級生とは思えない程に華奢な少年
確かに
しかしなんだろう。この違和感は
周囲を見つめ、映し…微笑みかけるその翡翠の目には、何となくだが陰りが見えた
「で、あいつは御曹司だからと騒がれているのか?」
「いや、あの容姿。可愛いじゃん?」
「そうか?」
「リョウちゃんや俺は興味ないけど、彼は男子校のアイドル枠になっちゃっているみたいでさ、先輩後輩問わず声をかけられるんだ。聡明でお優しい「天使様」ってさ」
「大変だな。人気者も」
「確かにねぇ」
「く、草野君。今日、日直…だよね」
「あ、そうだった!黒板消さないとだよね!教えてくれてありがとう、氷室君!」
「ど、どういたしまして…」
「それじゃあ、今日のお勤めを果たしてきます!」
「おー。いってこーい」
日直の仕事へ向かう伊吹を適当に見送り、とりあえず隣を向いておく
確か、
二年生になって日が浅いから、小学校時代からの友達である
とりあえず、友好的に話しかけてみるかね
「あ、ええっと…氷室君。日直のこと、ありがとう」
「べ、別に。話しているところ、邪魔してごめん…」
人見知りか何かだろうか。必要最低限だけを告げた氷室君はそそくさと俺から距離を取り、自分の席に戻っていく
…仕方ない。とりあえず、六時間目が始まる前に水分補給でも済ませておくか
古典の教科書とノートを片付けて、六時間目の準備を整える
それから鞄の中から、緑茶のペットボトルを取り出し…乾いた口の中に流し込んだ
その瞬間だった
教室外が謎の光に包まれて…俺たちは見知らぬ空間に飛ばされた
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