或るひと春の追憶②
朝からけたたましく鳴り響く、パトカーの音で目を覚ます。
「うるさぃぃぃ……」
体を起こして外を覗けば、しとしとと雨が降っている。そんな中、パトカーが何台も通っていくのが見えた。
「2度寝ぇ…するかぁ…」
頭が重い。昨日のあれのせいで寝つけなかった。完全に寝不足だ。
ベットに転がって目を瞑ると蘇る、昨日のキス…
……りっちゃんの柔らかな唇。顔にあたって、くすぐったい髪。そして、
──私の願いはもう叶ったから。
「……ッ〜!!」
声にならない声を出しながらベットの上で転げ回る。
思い出す度、耳の先まで赤くなってしまうようなそれは、まるで僕が眠るのを邪魔しているようだ。
これじゃ二度寝はもう出来ない。
しぶしぶ体を起こして、伸びをした。
「ん〜…。にしても、うるさいなぁ…。」
どうやらかなり近くで事件があったらしい。パトカーの音は、遠ざかっていくことなくなり続け、そしてピタッと止まった。
……見に行ってみよう。
そんな野次馬根性で義足をつけようとした瞬間。
ピーンポーン
と、チャイムがなった。
続けて
「──です。┄ ┄ ました。──は……ますか?」
ドア越しで聞き取りづらいそんな声と、
「…今出ます〜。」
あくび混じりの母さんの声が聞こえた。
母さんも起きてきたみたいだ。
…こんな時間に誰だろう。
急いで義足を付け、僕も玄関へと向かう。
雨足は、だんだんと強くなっていた。
「……分かりました、少し待っててください。起こしてきますので。」
部屋を出れば、ざあざあ降りの雨音とそんな話し声が聞こえてくる。
そのまま階段を下りると、しかめっ面を浮かべる、話し声の主と出くわした。
……そして玄関先には、紺色の制服と帽子が見えた。
…嫌な予感がする。
「……起きてたの。警察の人、来てるから。」
母さんはしかめっ面を浮かべたまま、そう吐き捨て、部屋に戻って行った。
「
制服に身を包むその人は、警察手帳を見せながら言った。
「私で間違いないです。さっきからパトカーがこの辺走ってますけど、何かあったんですか?」
心臓が早鐘を打っている。なんでうちに警察が?心当たりは何も──
「この方、
「りっちゃんに、りっちゃんに何かあったんですか!」
その写真を見た瞬間、思わず飛びかかってしまった。
「…落ち着いて下さい。もしよろしければ、署まで同行願いたいのですが。」
「りっちゃんに…遠野律さんに何があったのか教えてください…!そうしたら同行します。」
焦る様子もない安樂さんに、間髪入れずにそう返す。
りっちゃんは無事なのか、ただそれだけを知るために。
「……遠野さんは、失踪しました。現場に貴女への置き手紙が残っていたので、参考人として、同行をお願いできませんか。」
「りっちゃんが…失踪…?」
頭が真っ白になる。
外ではいつの間にか、土砂降りの雨が打ちつけていた。
……そこからの記憶は曖昧で、よく覚えていない。
パトカーに乗って、警察署まで行って、事情聴取を受けた。
見つかる可能性は低いらしい。昨日の夜から、誰もりっちゃんのことを見ていないって、警察の人が言ってた。
取り調べ中、警察の人が「魔法陣が」とか「密室が」とか言ってた気がする。…どうでもいい。
昼過ぎに家に帰ったら母さんにめっちゃ怒られた。
どうでもいい。
母さんがりっちゃんの事を、「あんな子」とか、「魔女」とか言ってた。
……もう口を聞かないことにした。
どうでもいい。どうでもいい。
軟禁されて数日。
きょーちゃんが、心配して家に来てくれた。母さんに、追っ払われてた。
……母さんは、何も変わってない。
どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。
りっちゃんが居ない世界なんてもうどうでもいい。
あの日、
りっちゃんが残した置き手紙には、ただ一言
『響ちゃんを心配させるな!約束しろ!』
とだけあったらしい。
もう軟禁されて1ヶ月経つ。
どうでもいい。
……りっちゃんが居なくなってから1ヶ月経つ。
──最後の約束すら、ろくに守れていない。
きょーちゃんはあれから来ていないけど、時々LINEをくれる。
どうでも…
「よくない…よね…」
……僕は何をやってるんだろう。
りっちゃんとの「約束」は守らなきゃだし、そもそも友達を心配させて…。
「よし……!」
──いつまでもメソメソしてられない。両手で頬を叩いて、マイナスな感情を吹き飛ばす。
…次の日。母さんの目を盗み、義足を奪い返して、学校へ行った。
帰って来たら怒られた。どうでもいい。
その次の日も、義足を奪い返して学校へ行った。
そしてまた、怒られた。
そのまた次の日も、次の日も、次の日も、次の日も、そうやって学校へ行った。
いつの間にか、義足は僕の部屋に戻ってきて、母さんに怒られることも無くなった。
学校へ行って、
変わらぬ日々を送っている間に桜が散って、カエルが合唱の練習をする時期になった。
──りっちゃんはまだ、戻ってきていない。
「唇奪った相手にこれだけしか、残してないのほんっとにやばいよなぁ…」
薄暗い部屋の中、りっちゃんの筆跡が残るそれを、雨粒が流れる窓に向けてかざす。
「……」
それ──『お願い』というタイトルの置き手紙──は、僕が貰っていいことになった。
警察が、「置き手紙があったから家出か何かだろう」と言って、捜査を打ち切ってしまったから。
「2ヶ月…まあ、りっちゃんなら多分大丈夫だと思うけど…」
……りっちゃんは、未だに音信不通だ。
でも絶対に、どこかで生きている。
僕には、そんな根拠のない自信だけがあった。
「いっちゃーん!お願いだから早くしてよー!」
物思いにふけっていると、雨とカエルの合唱団にも負けないような、明るい声が聞こえる。
窓の外を見れば、やっぱりいつもの親友が待っていた。
「やっばい!遅刻するぅ……!」
急いで準備を済ませて、玄関へ急ぐ。
そして、
「……行ってきます」
リビングでテレビをただぼーっと見つめている母さんに、そう告げてから家を出る。
「遅い!私が遅刻したらどうすんだ!」
「知らね」
「ふざけんな!」
6月、しとしとと降る雨の中でそんな会話をする僕と親友。
お天道様が文字通り雲隠れして、全く見えない空の下を駆ける───
───その記憶までを、一気に話し終えた。
──春。
あっという間に過ぎ去ってしまった、春。
とても短くて、甘くて、そしてほろ苦い味だった春。
短い春の出来事を話し終えた僕は再び、ナイフを持った同級生と向かい合った。
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