或るひと春の追憶①
──4月、既に半分ほどが葉っぱになってしまっている桜が並ぶ、小高い丘の住宅街。
…僕のあしじゃ、上るのもちょっと大変。
でもこの道は、僕の中で1番と言っていいほど、好きな場所だ──
「今日さ〜、きょーちゃんがまたやらかしてたんだよね〜」
「
──学校帰り、りっちゃんと2人で笑いながら歩けるから。
「正っ解っ!高校入ってから6日ぶり2度目の……ってやばい!風!えぐい!」
「飛ばされても助けてあげないよ〜」
「ひどい!」
そんな話をしながら、風に逆らって歩く。
春のまだ冷たい夜風。正直ちょっと寒いけど、風に髪がなびく、りっちゃんの姿は……
「可愛いな〜…」
「え?」
……そう、とっても可愛い。だから、りっちゃんと一緒に帰る、このひとときが平日の密かな楽しみなんだ。
「嬉しいけどさぁ…。一叶ちゃんそれほぼ毎日言ってない?本当に思ってる?」
「そりゃもちろん!ってか、りっちゃんは他の
そう言いながら、肩をつっつく。
叩かれた。
痛い。
「…別にそんな事ないよ、どーせみんなお世辞だし。」
「やっぱり言われてるじゃん!いいなあ〜…」
…そろそろ坂の上に街灯が見えてくる。
その街灯を過ぎれば住宅街、僕とりっちゃんの家がある。
──けど正直、帰りたくない。母さんがいるから。
「大丈夫?急にそんな寂しそうな顔して。」
りっちゃんはこっちを覗き込みながら、そんなことを言った。
……どうやら顔に出ていたらしい。
「う〜ん、ちょっと
「………どうして?」
「……」
僕は母さんが……
りっちゃんの事を悪く言う母さんが嫌いだから。
…なんて言えるわけもなく、黙り込む。
…………
……
僕とりっちゃんは黙ったまま、歩き続ける。
いつの間にか、街灯がもうすぐそこまで来ていた。
「一叶ちゃんの将来の夢って…何?」
街灯の下。急に立ち止まったかと思えば、唐突にそんな事を聞いてくる。
「ん〜…まだ分かんないかな。このあしじゃ、出来る仕事も限られてるし…。」
僕が、自分のあしを見ながら言うと、
「…そっか。」
と、短く返した。
「りっちゃんは?」
聞き返しながら、りっちゃんの顔を見た。
綺麗な夜景に、寂しそうな顔がとても映える。
「…あの
りっちゃんは一瞬の静寂の後、北の空を指さしながらそう言った。
「んなまた唐突な…あれでしょ、北極星の上のやつ。」
りっちゃんに倣って、星空に指をさし、輝く星達をひしゃくの形に結ぶ。
今日の夜空は晴れているから、見つけやすかった。
「そうそう、それであってるよ。」
ぺちぺちと手を叩きながら、りっちゃんは続けて言う。
「じゃあ、水を汲む部分の1番先っぽの星は、見える?」
「あったよ。」
これもまた、指で追う。
僕が指さしたのを見ると、りっちゃんは、こう続けた。
「その星は
りっちゃんの両親…。仕事が忙しいのか、見た事はないけれど、確か学者さんだったはず。
……願い星か。
「もう、母さんの顔を見なくて良くなりますように。」
思わず、声に出してしまった。
──僕は、半分本気でそう願う。
『普通に生きろ』って、足が無いんだから普通もくそも無いのに。
…なれるなら普通になりたかった。
過保護なくせに、僕のことを何も分かってくれない。そんな親の顔なんて、見たくない。
りっちゃんは不意に、ぽん、と僕の頭に手を乗せてきた。
色んな想いが込み上げてくる。りっちゃんの前でこんな事を言うつもりはなかったのに。
抑えなきゃ。抑えなきゃ。
「…りっちゃんは、いいよね。家にうるさい親が居ないんだから。」
そんな僕の口から出てきたのは、今にも泣きそうな震え声と、思ってもいないその言葉だった。
「僕がどれだけ苦しい思いしてるのか知らないのに『頑張れ』とか『もっと苦しんでる人がいる』とか、ふざけないでよ!!」
止まらない。りっちゃんは黙って僕を見てる。
「りっちゃんは家でそんなの言われたことないよね…!だってうるさい親が家に居ないし!」
…涙も口も、止まらない。反対の歩道を歩く人が、こっちを見てたけど、構わない。
「誰も僕の気持ち分かっちゃくれない!僕だって!僕だっっ…」
急に抱き寄せられて、思わず目を瞑った。
刹那、唇を塞がれる───
───止まった。止めてくれた。ただただ涙が溢れ落ちる。
りっちゃんのか、自分のかも分からないけど、心臓の音はどくどくと、リズムを刻む。
風に、スカートが揺れていた。
涙が止まった頃、りっちゃんは僕を解放する。
そして名残惜しそうにしながら、こう言った。
「…あの星は心の底からの願いを、叶えてくれる。だから一叶ちゃんも、どうしても叶えたいことがあったら、お願いしてみて。」
「さっき酷いこと言ってごめん…って人のファーストキス奪って言う言葉が、それ…?」
頬を伝う涙を拭いながら、愚痴る。
ほんとに最悪。ファーストキスがこんな形とか……
「ん?だってそうでしょ?私の願いは今叶ったから。」
「……」
「え?ちょ待って、一叶ちゃん。無言で歩いて行かないでよ!」
──赤くなった顔を見られないように歩く。
星空の下、綺麗な景色を背に、想い人に。
…やっぱりそんなに、悪くなかったかもしれない。
「待ってってば!言われたこと気にしてないから!置いてかないで!」
「うるさい!じゃあね!また明日!」
そんな捨て台詞を残して、
……今日は母さんの小言も、この足のことも、気にならなかった。
頭の中は、ずっとぐるぐるぐるぐると、りっちゃんの事を考えて回っていた。
明日会ったらどんな顔したらいいんだろう。
もしかして、両想いだったのかな。
そんな事を考えながら、眠りにつく。
4月。春色が薄まりつつある、今日この頃。
散りゆく桜は、春も半ばを過ぎたことを告げている。
──けれど僕の春はまるで、今始まったばかりかのように、鮮やかに彩られていた。
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