1-3 受取


「リトル・チャイナに、これを届けろだぁ⁉ 」


 コンクリートの壁に覆われたガレージで、スペードの悲痛な叫びがこだまする。

 子ども一人くらいはギリギリ入りそうな大きさのキャリーケースを、ガロンは重そうに裏から持ってきてはスペードの前に置いた。

 キャスター付きのキャリーケースらしい。ガロンがコンクリートの床にそれを置くと、金具の部分から『キィ……』といかにも壊れそうな音が聞こえるのだった。


「そういうこと。それと、かなり重いから、キャスターは極力使わないでほしい。ここからリトル・チャイナまでの距離なら、そう問題はないだろうけどね」


 酒場の裏手にあるガレージに置かれているものは様々だ。巨大な冷蔵保存庫に、何かの巨大な弾頭に、銃弾入りの箱の数々、なかには意味深に首のもげたぬいぐるみまでもが置いてある。そのすべてに番号付きのプレートが掛けられており、運び屋はこれに従って配達をするらしい。


「とはいっても、あそこは今ニューホンコンのマフィアぐるみの企業と、現地の反都市勢力との利権争いでバチバチに抗争を繰り返してるんだろ? 歩いているだけで流れ弾が飛んできて、近くのビルに避難すればそこの上階が爆弾でふっとぶ街だ。……危なすぎる」


 スペードが要塞都市『リトル・チャイナ』に立ち寄ったのは二年も前のことだ。それも建造途中だったということもあり、当時は中までは入れなかった。

 加えて、東北で重点的に仕事をするスペードにとっては、旧友と違法に開催されたとあるレースに出場してからまったく立ち寄っていない都市であり、しきりに渋い顔を浮かべてしまう。


「だからこそだよ。噂によると、どうやら最近の激化する抗争によって、正規の運搬業者は一時的にあの都市から手を引いてるらしい。……つまり、ぼくたちの出番ってわけだ」


 ガロンは「それに」とシャツのえりあおぎながら、やたらと大きい胸の谷間からあるものを取り出す。


「今回の依頼主は、ニューホンコンの大企業メガコーポ罗波那集団ラーヴァナ』のリトル・チャイナ支部局長ソン・ラオファン氏だ」

「……ソン・ラオファン」


 ガロンの胸元から出されたのは低画素の写真だった。

 そこには男がひとり映っており、不思議なことにスペードはその人物の顔や名前を知っているような気がした。


「どうかした?」

「…………、……なんでもない、期限はいつまでだ?」


【義体出力、三割増】

 スペードが義体者らしく義体の出力を上げると、全身の人工筋繊維が膨張し、先ほどとは打って変わってスーツケースを軽やかに持ち上げるのだった。右肩に担ぎながら、外にあるホバーバイクの荷台へと運んでいく。


「今から、……うむ、ちょうど三週間ってところかな」

「そんなにあるのか⁉ 」


 スペードは驚いたような顔をしながらも、キャリーケース越しにガロンの方を振り向いた。


「……ってことは、もし期日よりも早く配達できれば」

「当然、余った日数分はキミへの特別休暇になるね」

「マジかよ……」


 ラビットミュールはブラック企業である。

 正確には企業ではないのだが、地下組織らしく労働基準法の縛りは受けないとばかりに、構成員を擦り切れるまで使っているのが現状だった。スペードもまた、一種の社畜根性を植えつけられた被害者のひとりなのである。


「だが、今のリトル・チャイナには入るにも、出るにもそれ相応の書類が必要なはずだ。偽造パスポートはあるのか?」


 スペードが不安そうにそう言うと、ガロンは任せろとばかりに書類の入ったファイルを投げ渡してくる。スペードはもう片方の手でそれを受け取ると、中身を確認することなく懐へとしまうのだった。


「大丈夫、こっちでキチンと手をまわしてある。裏金も伝手もぜんぶ使ってね。……それにスペードは鼻も高いから、現地のテロリストなんかにも間違われないよ」


 ガレージのシャッターが自動で開いていくと、スペードはとたんに植物特有の緑の臭いがきつくなったのを感じて鼻をつまんだ。どうやら、雑草野郎エイドフェイカーが近くに種を植えたというのは間違いではないらしい。


「くっせェ。……後で除草剤撒いておけよ。あいつら発芽すると、クモの子みたく散ってめんどくさいぞ」

「はいはい、後でね」


 時刻はちょうど正午をまわったころだろうか。スペードは真上に位置する太陽の光を、眩しいとばかりに手で遮りながらも、ホバーバイクの方へと歩き始める。

 ここのセーフハウスの周囲には、外装が剥げた中規模のビル群が建ち並んでおり、ゴーストタウンと呼ぶにふさわしい廃墟群を見ることができる。



 ――ドオオオォォン。



 そのとき、遠くの方で廃墟ビルの一棟が漂白化にやられたらしく、すさまじい地響きとともに、隣接していたビルへと寄りかかった。ビルの上階に溜まっていた白砂が滝のように流れ落ちていき、やがて途切れる。

 そんな光景をスペードたちは見慣れているとばかりに、一瞥することなくホバーバイクへと荷積みを始める。


「そういえば、このケースの中身ってなんだ? ……まさか爆弾とかじゃないだろうな」


 スペードはキャリーケースに耳を当ててみるも、どうやらタイマーが起動しているような様子はなかった。代わりに、なにか風音のようなノイズが発せられている。まさか、呼吸音か。

 スペードがキャリーケースを荷台に乗せると、ガロンはニヒルな笑みを浮かべたまま「うーん」とすこし考えるようにして天を仰いだ。


「今回は特殊依頼だから、言えないかな」

「人か」

「…………、……ちょっと、違うかな……」


 ガロンが目を逸らして意味深な間を空けたことから、スペードはこのキャリーケースの中に入っているものが人だと断定した。


「マジかよ、こんな暑くて狭い空間に誰か入ってんのか、信じらんねェ」

「信じなくていい。良くも悪くも、その予想は外れてるよ」

「けっ、そうかよ」


 ちょっとした閉所恐怖症のスペードは、『まだ、そんなことを言うのか』とガロンにすこし嫌悪感を示した。

 この大きさだと子どもだろうか。だが、こんな長時間スーツケースのなかに入って入れば、下手しなくとも酸欠と窒息で死にかねないのでは。そう思い、何とはなしにキャリーケースの施錠されたファスナーへと目を向ける。


「で、今回も中身は絶対に見るな。そう言いたいんだろ」

「うん、禁制品を運ぶくらいの一般配達なら見てもいいけど、今回はスペード個人を指名した特殊配達だからね。開けるのも極力ダメだよ。でないと、本部のブラックリスト入りして刺客に追われることになる。……それは嫌だろう?」


【ブラックリスト】

 それはラビットミュールが配達に失敗した運び屋を始末し、情報漏洩を未然に防ぐためのシステムである。とはいえ、なかば噂のようなもので、本当に存在するのかスペードには判断できない。


「…………、……オマエのそういうところ、ホント嫌い」


 あっけらかんとした表情で相手を試すような口調のガロンに対し、スペードは荷台にキャリーケースを紐で括りつけると、口元をへの字にしながら立ち上がった。

 義体者というのは、誰もが人間味のない悪魔のような性格をしている。


 ガロンなんかは特にそうだ。他人への感心の欠落と、共感覚機能の欠如。それゆえに、ときおり他人を動物でも見るような目で話しかけてくる。

 外見だけは若い女を演じているこいつもまた、ガロンという偽の名前で紐づけされた人間もどきでしかないのだ。表面上の喜怒哀楽こそあるように見せても、結局のところ、スペードが死んだとて心の底から悲しむほどの感性がないのだろう。


 義体者は義体化手術を受ける際に、本名を忘れる副作用に引っぱられるようにして、人間だった頃の自分の性格や価値観を良くも悪くも増幅させてしまう。とはいえ、しきりに自分だけは普通だと信じたいスペードであった。


「ああ、そうだ」


 スペードは何かを思い出したようにして、おもむろに屋外に置かれていたゴミ箱をごそごそと漁り始める。


「あったあった。これだよ、これ……」

「なにそれ、空き缶かい?」


 スペードがゴミ箱から引っ張り出したのは、塗装やメーカーロゴが剥げきった空き缶だった。何に使うのかと胡乱気な視線を向けるガロンをよそに、スペードはいくつかそれを取り出すと、なにやら細工を始めるのだった。


「ちょっとばかし検証したいことがあってな。……これ、もらっていくぜ」


 そう言って、スペードは荷台に紐で空き缶をくくりつけていく。カランカランと移動するたびに鳴る安い音は、おそらく〝釣り〟をするには充分だろうと、スペードは内心ほくそ笑んだ。


 廃墟群の低い階層の壁や柱には、水没したときの跡がくっきりと残っている。

 それらはすべて、梅雨の水害で発生したものなのだろう。漂白地帯によって漂白された大地は、砂漠と同じで乾燥しきっているせいで雨水をまったく吸収しない。そのせいで梅雨と秋雨が訪れた漂白地帯では、毎年のように洪水が引き起こされるのだ。このあたりの廃墟群もすべて、恒例行事のように水没する。


 強酸性の雨水は、ずっと浸かっていれば間違いなく肌が焼け、機械製品は例外なく破壊される。この廃墟群もそうだ。長い時間をかけて酸性雨を浴び続けたせいか、塗装された外壁や看板は赤錆まみれで、やがてはこの廃墟の街も漂白化の波に呑まれるのだろう。


「じゃ、そろそろ行くぞ」


 そう言ってスペードは駐めていたホバーバイクに鍵を入れて捻ると、甲高い戦闘機じみた音が機体から鳴り始める。サイドスタンドが自動で収納されると、やがて機体がぶわりと宙へ浮くのだった。

 とはいえ、長いあいだ白砂が飛び交う漂白地帯で運用してきたせいか、よく見ると元の小綺麗な青い塗装やデカールが剥げたホバーバイクは、いつ空中分解してもおかしくないようなボロい見た目をしていた。

 クラッチを握りながらスロットルを捻り、ホバーバイクの炉心を温めていく。とはいえ、すでに季節も夏になりつつあるせいか、崩壊炉の調子もそこまで悪くないようだった。


「燃料も満タン。バイクもこれ以上ないくらいご機嫌みたいだ」

「ならよかった。きっと、今回の依頼は……」

 そこまで言って、ガロンは口を閉じた。

「なんだ?」

「……いや、なんでもないよ。健闘を祈る」


 なんだ、気持ち悪いな。――という言葉を呑み込み、スペードは偏光ゴーグルをかけて軽い別れの挨拶を吐き捨てる。


「じゃあな、うまくいけば数週間後にはまた会えるだろ。……それまで休暇を楽しんでくるよ」


 ガロンは何も言わなかった。

 ただ、スペードに意味ありげな笑みで手を振るだけだった。

 瞬間、ホバーバイクが我慢できないとばかりに宙を舞い、そして急発進した。


 一瞬でガロンの姿がはるか後方へと消えていき、廃墟ビルたちが放射線状に溶けていく。


 そんな異様な光景を横目に、スペードは全身を駆け巡る人為的な興奮に、思わずハンドルを握る力を強くした。最高速にはほど遠いが、それでも耳に当たる風音がしきりにスピードを感じさせる。

 もし折れた街灯や道路標識にぶつかれば、たとえ義体者でも死ぬかもしれない。すこしハンドルがブレれば廃墟ビルへと正面衝突するかもしれない。それでも速度を落とすことなく廃墟群を通り抜けながら、スペードはろくに曲がりもしないじゃじゃ馬バイクを走らせていく。




 西暦二〇五〇年、巨大な隕石群が地球を襲った。

 地球上の主要都市のほとんどが壊滅し、各大都市へと落下した隕石群は、ものの見事に人類の文明を消し飛ばした。


 飛来した隕石群は日本全土を穴だらけの荒野に変え、さらには周囲の土地すらも更地にすると言わんばかりの凄まじい被害を与えた。

 特に東京の中心部には底すら見えない巨大クレーター『旧東京爆心地跡』なるものが存在し、周囲の土地もその影響か白色に漂白された大地へと姿を変えた。そこから溢れだした未知の新生物「チルドレン」と日々ひび小競り合いを繰り返しながら、人類はなんとか文明を再建しようとしていた。




 ホバーバイクはやがて廃墟群を抜け、再び、漂白された沿岸部の荒野へと飛び出した。スペードは人類の文明も、人としての境界線も、何もかもが崩れかけた世界へと足を踏み入れる。

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