1-2 中継地点

 廃墟群の一角、雑居ビル。

 スペードは薄暗い階段を、金槌かなづちで金属プレートを叩くような音とともに降りていく。


 依頼品の入った耐熱性のセーフボックスを背負いながら、やがて重厚な金属扉の前に立った。生身の腕と見た目だけはなんら変わらない、シリコンで覆われた手でその扉を雑に叩く。すると、ガコンと奥から何かが鳴ったような音とともに扉が開き、そして薄暗い通路が現れるのだった。

 スペードがちらりと左上を眺めると、そこには分かりやすく監視カメラが置いてあった。それで訪問者が誰かをシステムが識別したのだろう。もし、これで銃を持った強盗などが来ていた場合、問答無用で後ろの壁から機関銃が登場することになっているらしい。しかし――


「相変わらず、アナログで古臭い装置ばかり使ってるんだな……」


 監視カメラの型番があまりにも古めかしいものだったため、スペードは思わずそう呟いた。あんなもの、もし野盗のハッカーに遠隔でクラッキングされれば、一瞬で機能しなくなるだろうにと。

 スペードは疲れという概念のない体にもかかわらず、ここに来るときはいつも緊張するような気がしていた。やたらと奥まで続く狭い通路を、スペードは足音を消すようにして歩いていく。


 やがて現れたのは、薄暗く冷えた匂いのする地下酒場のような場所だった。

 コップを拭いている女性のバーテンダーは、まだ、スペードに気づいていないように見える。店内にはうっすらとジャズが流れており、カウンターとソファー席どちらにも客はいない。


「いらっしゃい。アナログで古臭いバーへ、ようこそ」

「うげっ、聞いていたのかよ」


 そのとき、唐突にバーテンダーらしき格好の女性が、表情ひとつ変えないまま口を開いた。自分の存在が把握されていることが分かったスペードは、緊張を霧散させるようにしてカウンターへと歩いていく。

 白熱電球がぼんやりと店内を照らすなか、スペードは背負っていたセーフボックスをカウンターの上にどさりと置くと、一番近いバーチェアに半回転しながら座った。


「それはそうと久しぶりだな、ガロン、お前少し老けたんじゃないか」


 液体単位のガロン。

 それはいまや地図にも乗らない廃墟群のとある地下にある酒場で、バーテンダーをしている女性(真偽不明)の名だった。


 ガロンも義体者なので本当の年齢や性別はわからないが、少なくとも外見は黒髪の残るグレーヘアにオレンジ色の瞳をしている。七分袖の黒いコックコートを着込み、腰には申し訳程度に同色のエプロンが巻かれている。

 胸囲のサイズが合わないのか、雑に第一ボタンを開け放ち、谷間を強調するようにして着崩している。鎖骨のあたりには、何かのセンサーと思しき機械端子がくっついていた。


 ここは要塞都市の外の中継地点【Not Rot Rum腐らない酒】という名の酒場である。周囲の廃墟群にはデコイ用の偽の電子信号とトラップが仕込まれており、構成員のみが知る休息ポイント。

 そして、いまや裏社会でも名の知れた運び屋集団、地下組織『ラビットミュール』だけが知る隠れ家のひとつでもある。当然、使う人間は都市を転々と行き来するような者たちであり、同時に、各地で違法とされている禁制品を売買する取引所にもなっている。


【ラビットミュール】

 別で『R&M』とも略されるそれが、スペードが所属する運び屋の組織の通名だった。実態は、禁制品やオモテの輸送業者には任せられないような荷物を、あらゆる要塞都市や研究所に密輸する違法の運び屋集団である。

 とはいえ、スペードのような末端の構成員は、組織の構成員がぜんぶでどれだけいるのか、幹部や長、裏にいる出資者はいったい誰なのか、どういった体制で構成員を管理しているのかなどを知らない。

 そもそも構成員同士が会うことはあまりなく、スペードが知っている構成員も数人のみである。


「ぼくたち義体者は年を取らない。知ってるだろ、スペードもそうなんだから」

「…………」


 ガロンは拭いていたコップを置いた。

 暗に自分たちは、人間とは違うんだとさとされた気がして、スペードは自分でも気づかないうちにむっとした表情を浮かべた。


「そう不貞腐ふてくされるなよ。それで、依頼したものは?」

「……あいよ、きちんと持ってきたぜ。……ええと、【ブラッドラム】六瓶に【デッド・ムーン=サルト】が三缶。数も合ってるし、割れてもないぞ」


 スペードはボックスの中から、依頼されていたモノをカウンターの上へと取り出していった。大量に挟んでいた緩衝材かんしょうざいを取り除いていくと、やがて依頼されていた荷物がすべて卓上たくじょうに並んだ。


「うん、数もちょうどだし、ピッタリだね。配達ご苦労さん」

「わざわざ、仙台センダイにある密造グループから運んできたんだ。チルドレンと接敵しないよう海沿いを走って、なおかつ期日を守るのはかなり苦労したんだぜ」

「だろうねぇ、あの日程であの距離を走るのは、ボクでも音を上げるかも」


 カウンターに並べられた六瓶の酒瓶と三缶の真っ黒な塩には、どちらも製造元や中身の記載がされたラベルが貼られていなかった。正真正銘、裏ルートでしか流通しない商品たちである。

 とはいえ、ここはあくまでも中継地点に過ぎない。

 スペードが運んできた禁制品の数々もここで一度保管されて、また別の運び屋がそれを依頼者の元へと運搬していく。それがうまくいくかどうかなど、スペードの知るところではない。


「それで、なにか飲むかい、スペードのエース

「シリアルナンバーまで言うな、嫌がらせか? ……スペードでいいよ。とりあえず、キンキンに冷えた水が飲みたい」

「酒は」

「嫌いだ、胃が荒れるからな」


 ガロンは肩をすくめると、注文通りに水の入ったグラスを二つカウンターに置くのだった。それに対して、スペードは水の入ったグラスにすこし口をつけると、注文と違うぞとばかりにガロンに胡乱うろんな目を向ける。


「この水、ぬるいぞ」

「仕方ないだろ。一昨日おととい、エイドフェイカーがここの太陽光パネルに種を植えに来たせいで、冷蔵庫を使えるほどの電力がまだ復旧してないんだ。そのときは配達員がいてくれたからなんとかなったけど、店番のボクだけだったら正直危なかった」


 ガロンがそう言って右の手首をこする。

 どうやら包帯が巻かれていることから、すこし痛手を負わせられたらしい。義体者なので痛みは感じないのだろうが、どこか人間らしい仕草にスペードはすこしだけ機嫌を良くした。


「有害電磁波を流すスピーカーが壊れてきてるんだろ。……あれはガタが来てると思う前に交換しないと、親の仇みたいにチルドレンから標的にされるからな。次に来たときにここが壊滅していても、心配してやんねーぞ」

「ははは、心配ご無用だよ。とっくに注文は済ませてある。……それこそ、ウチの運び屋を使ってね」


 チルドレンと呼ばれる化け物たちは、人間には聞こえないレベルの特定の高周波を嫌うという性質がある。その周波数が意味することが何かはまだ解明できていないが、それでも簡易的に安全を作れる手段があるというのはいいことだ。

 少なくとも、寝ている間に奇襲されることはないのだから。

 スペードは出されたものは残さず食すという信念のもと、注がれた水をいっきに飲み干した。ぬるい水も意外と悪くないとばかりに「ぷはぁ」と口を拭うと、スペードは思い出したようにして懐から何かを取り出す。


「そうだ、排熱していいか? 最近、肺のフィルターが変なんだ。こうしてガジェットで熱を取り除かないと、咳が出ちゃって……」


 そう言って、スペードは懐から電子タバコのようなガジェットを取り出した。


「外付け用の排熱ガジェットねェ。そんなのに頼り始めるってことは、そろそろ死神がキミに目を付け始めたってことだよ。……気をつけなよ、ボクたちが引く風邪ってのは死に直結する」

「そろそろ人工透析もしないとだからなぁ。ほんと、無理やり生かされているみたいで嫌になるよ」


 タバコじゃないからいいだろとばかりに、ガロンの承諾も得ないまま、スペードは電子タバコのような見た目のそれに口をつけて肺を冷却し始める。スペードが息を吐くたびに、もくもくと水蒸気ミストが天井の白熱電球にぶつかり、霧散して消える。


「んで、次の仕事は?」

「む」

「あるんだろ、次の依頼が。ここのところ、ろくに休みをもらってないからな」


 ガロンはバレたかと舌をちろりと出して、「実は……」と話を始める。

 実にあざとさに満ちた仕草だったが、人間の三大欲求が削げ落ちた義体者スペードは、実に胡散臭うさんくさいものを見るような視線を向けるだけだった。


「実は、本部からがスペード宛てに送られてきた。いわく、それを配達して欲しいと」

「へェ、珍しいこともあったもんだ」


 【本部】というのは、ラビットミュールを裏で資金援助しているとされる企業のことだ。当然、末端の構成員であるスペードはその正体を知らず、実態があるかどうかさえ分からない。


「……いや、チョット待て。まさか、禁域指定区域への配達じゃないだろうな」


 スペードはふと、嫌な予感がしてガロンに尋ねた。

 かつて日本と呼ばれていた本島には、『禁域』に指定されている区域が多くある。とくに樹海や洞窟の深部は、奥に行けば行くほど生存難易度は跳ね上がり、人が住める環境ではなくなっていく。

 そこにチルドレンの生態を研究するため、ひっそりと小さな前哨基地を建てて生計を立てるぶっとんだ研究者たちもいるらしく、彼らに食料や日用品を届ける配達を頼まれるのではないかとスペードは心配したのだ。


「あはは! 安心しなよ、配達先は禁域じゃない。とりあえず荷物はガレージにあるからそこで話そう。ついてきな」


 そう言って、ガロンは薄笑いを浮かべながらカウンターから出ると、一切の足音を立てずにバーの裏手へと歩いていく。それでもスペードは彼女の言うことが信じられず、どうせ厄介な依頼なんだろうなとタメ息をつくと、重い足取りのまま後を追うのだった。

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