1-4 支部局長と秘書

 ビルの最上階、天井のパネル照明が煌々と照らす一室に男が入ってくる。

 高そうな白スーツに身を包んだ神経質そうな顔をした男は、金メッキのメガネの位置をくいと手で修正しながら、ひとりの男の元へと向かっていく。


「ソン・ラオファン局長、例の件ですが……」


 そう言って白服の男が話しかけたのは、大きなガラス窓ごしにリトル・チャイナの街並みを見下ろす、穏やかな顔をした中年男性だった。


 ソン・ラオファン。

 彼は中華企業『罗波那集団ラーヴァナ』のリトル・チャイナ支部の局長をしており、実質、この街のトップだった。白服インテリ男はどうやら彼の秘書らしい。つねに携帯している紙の手帳にびっしりと予定が書かれていることからも、そのことがよく分かった。


「ソン・ラオファン、……我らが同士どの?」


 街には中国語に所々ところどころ日本語が混ざったようなネオン看板がところ狭しと設置されており、それらは日が暮れ始めるのと同じくして電飾が灯されていく。高層ビルの間を列をなして飛行する反重力乗用車オートモービルたちは、独特のモーター音を鳴らしながら赤いテールランプの尾を引き始める。


「ん、ああ。気がつかなかったよ。……すまない、つい、考えごとをしていた」

「……いえ、それならいいのですが」


 秘書の問いかけに対して、ソンは手に持っていた写真を見て微笑んだ。写真には彼と大勢の子どもたちがこちらに笑いかけている。背後にある建物は、この時代の孤児院のようにも見えた。

 白服の秘書は静かに手に持っていた手帳を開くと、やがてテロ攻撃を受けたという知らせを報告し始める。


「たったいま、研究用ビルの三十階部分が爆破されました。どうやら炎ノほむらのもと解放戦線と呼ばれる反都市ゲリラによるテロ攻撃だと思われますが、いかがなさいますか」

「……彼らから、犯行声明は出ているのかね?」


 ソン・ラオファンは静かに秘書の方へと顔を向け、自分のデスクへと写真立てを置く。


「…………、……いえ、今のところは、まだ」

「……そうか。なら、いつもの通り現地の警備隊にでも任せておきなさい。それに今回も、爆破されたフロアはまだ使われていなかった箇所なのでしょう? 彼らは革命家ではあっても、殺人鬼ではない。そのポリシーは尊敬に値するし、彼らとは話し合えばいつか分かり合えるはずですよ」


 ソンはデスク前の椅子に座ると、そのままタブレットで書類を確認する作業へと移る。


「…………」


 静かに、だが、確実に秘書のひたいに青筋が走った。音もなく手帳に指が食い込み、悲鳴を上げるようにしてそれはひしゃげる。やがて秘書は手帳を懐にしまうと、代わりに冷たく黒光りするものを取り出す。


「アンタはすこし弱気すぎる。どうやら、局長の座にふさわしくないらしい」

「…………、お前……」


 ソンはそれが拳銃だと気づくと、驚いたような顔を浮かべた。そしてすぐに秘書の顔を眺めながら、ひとつ息を吐く。


「……まさか、お前がマフィアから送られてきた刺客とはな。なんだ、金か……」

「ええ、わたしは正真正銘『朝暘至上連ちょうようしじょうれん』から送られてきた刺客です。さらに言えば、あなたが利益を至上と考えない節があるならば、いつでも殺害しても構わないと、本社の過激派の老人たちに命令されてもいます」

「なぜだ、考え直せ! ……ジン・ポーラン‼ 」


 ソンの悲痛な訴えに、ジンと呼ばれた白服は一瞬、誰の名前が呼ばれたのか分からないとばかりの表情をした。


「……ジン・ポーラン? ……ああ、わたしの名前ですか。そんなもの偽名に決まっているでしょう。顔も名前も塗り潰し、通名を本名と偽り続け、【過去】を捨ててまで成り上がったんだ。今更あんたを殺すことくらい、造作もない」


 ジンは引き金に込める力を強くする。


「あなたが孤児院に、本社からの予算以上に寄付金をつぎ込んでいたのはまだいいです。私財をどう使おうが個人の勝手ですから。ですが、あなたは子どもたちのために血を流すのは良い大人ではないだとか、ボケたのか弱者が吐くような妄言に侵されてしまった」


 ソンは口元を震わせながらも、許しを請うような目で秘書を見た。


「あんな、あんなおぞましい施設だと知っていれば、金を寄付することだってなかった。……よりにもよって子どもを、義体者の被験体になどできるわけないだろう⁉ 」

「それが良くなかった、それが本社の人間を怒らせたんだ‼ 」


 怒号が響き渡る。

 怒りに満ちたそれは、どこか諦めたような声色で震えていた。


「現地に住む者の反発? 償えもしない贖罪? 血を流す抗争がなんだというんです。この街の孤児ガキがいくら実験過程で死のうが、未成年の惨殺など朝暘至上連ちょうようしじょうれんが昔からやってきたことです。――力、強さこそがすべてなんだ!」


 だが、秘書がどれだけ言葉を並べようとも、ソンの心は変わらないようだった。

 ジンは言い終わるや否や、ふっ、と目の前の男に期待することをやめたような顔つきになり、再びゆっくりと銃口を上げた。


「どうやら、あなたは本当に死んでしまったようだ。力には力で対抗せねば、血は血でしか洗えない。そのことをあなたは忘れてしまった。だから、もうお休みください。大いなる父よ」

「まっ――」


 パァン、パァン! と乾いた銃声が二回フロアに響きわたり、ソン・ケイリンは高級そうなシャツを血で濡らしながら倒れ込んだ。

 破浪ポーランの持つ銃口からかすかに硝煙が漂い、やがて消えた。


 罗波那集団ラーヴァナの社内には、大きく分けて過激派と穏健派の二つの派閥があり、相手の派閥の人間を貶めるために死傷者や行方不明者が出ることも珍しくない。また、すでにこの支社ビルには、ジンの息がかかった職員が大勢配属されていた。


(おそらくこれは、どうやって自分が犯した罪を他人にかぶせられるか、老害どもはわたしを試しているのだろう。わたしもバカじゃない。トカゲの尻尾みたく切られて潰されるなど冗談じゃない)


 今回、ジン・ポーランが指令を受けたのは過激派の上層部であり、穏健派のソン・ラオファンが過激派に殺されたとあっては、社内に大きな亀裂が走るのは間違いないだろう。

 秘書の脳裏に、耳クソの溜まったよぼよぼの老体が思い浮かぶ。赤い漢服に身を包んだ老害どもは、最後にはボケた顔でわたしたちは何もやってないなどとほざくのだろう。そのやり方を身近で見てきたからこそ、ジンは「フン」とわざとらしく鼻を鳴らした。


『ジン・リーさま、たったいま、南門の関所にて【旅人】を名乗る運び屋を確認しました。本人は自らをスペードと名乗っていますが、明らかに偽造の身分証明書を使っていて……』


 そのとき、耳に内蔵されたインカムから女性の声が流れてくる。すこしノイズが混じりながらも伝えられた情報に、ジンの口角は限界以上に上がっていく。


「運び屋、か……」


 秘書は念のために手帳を開くと、確かにラビットミュールなる地下組織所属の運び屋が、近日中にあるものを届けに来ると書かれている。予定よりもだいぶ早いが、そのおかげで罪をなすりつけるには充分だとほくそ笑んだ。


「良い機会だ。そいつを街に引き入れろ。……本社には……そうだな、運悪く〝運び屋〟の男に殺されたと、そう伝えろ」

『ですが、相手はあのラビットミュールの運び屋です。そう簡単には……』

「なに、問題があれば……」


 眉をひそめているであろう声色の女性に対し、秘書は薄笑いを浮かべながら言葉を返す。


「殺せばいいだけの話よ」


 そのとき、デスクに置かれた写真立てに血がかかっているのが目に入り、ジン・ポーランは切り札がひとつ増えたと不敵に笑った。

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