1-7 罗波那集団(ラーヴァナ)
リトル・チャイナ、中心部・中央区。
罗波那集団の企業ビル、正面玄関前――。
頂上がまるで見えないほど巨大なビルの自動ドアを潜ると、これまた『罗波那集団』と書かれた大きなオブジェがスペードを圧倒した。どうやら至る所を金メッキで装飾しただだっ広い空間が、この企業ビルの正面玄関もといロビーらしい。
床には一面に黒い大理石が敷かれており、頭上には無数の赤い提灯がぶら下がっている。そんな空間を歩きながら、スペードは受付窓口らしき場所へとキャリーケースを運んでいく。
「あのー、ソン・ラオファン局長ってひとに会いたいんですけど……」
視界の端にあるデジタル時計は、すでに十六時五十分とホバーバイクを飛ばしたにしてはかなりギリギリの時刻を表示していた。スペードは営業時間外だと言われるだろうなと思いながらも、ダメ元で窓口に常駐する職員へと話しかける。
だが、案内窓口に配置されていたのは人間ではなく、機械に人間の皮をかぶせたようなどこか気味の悪い表情の女性だったのだ。スペードはすこし嫌な予感がした。
『現在、ソン・ラオファンは会議中のため、お会いすることができません。取材のご予約でしたら、
義体者、ではあるまい。
たしかにスペードも、目の前の女性と同じシリコンの肌に機械関節で動いてはいるが、ここまでズサンな設計の義体ではない……はずだ。さらに言えば、人格移植されたような人間味も感じないため、きっと無知性型ロボットか何かなのだろうと推測できる。
「……ええと、じゃあ取材でもいいや。どのくらい待てば会える……」
『ソン・ラオファンのスケジュールは、現在、半年先まで空いておりません。取材のご予約でしたら、罗波那集団(ラーヴァナ)の公式ホームページから事前にお申込みください』
「げェ、は、はんとしぃ……⁉ 」
こういったケースは珍しくない。
何らかの問題により、依頼主と配達者が会うことができないことや、依頼主の関係者を偽った受け子に荷物を強奪されるなど、――こうした不測の事態は「運び屋」稼業には常に起こりうる。
今回も同じような事態なのかと、スペードはひたいに手を当てて上を仰ぎ見ては仕方ないかとロビーの方に視線を戻した。何のためにあるのか分からないオブジェの数々に、スペースの無駄使いだと言いたくなるほど広い空間には、ときおり掃除用の自立ロボットが行き来しているだけだ。人影はない。
(どうしたものか……)
(ああ、この街がそうだったな……)
口に出さずとも、スペードはやんわりとそう考えた。
社員が通りかかるようすもないので、仕方なくスペードはロビー端にあるやたらと大きな水槽前へと移動する。LEDライトの神秘的な青い光が照らす水槽には、人間の赤ん坊くらいの大きさの熱帯魚が一匹泳いでいた。
よく見るとピラニアらしき見た目の魚の中央には、赤、青、紫、といった光の螺旋を描きながら脈打つ丸い球体のようなものが透けて見えている。今朝、エイドフェイカーの腹にあった球体と同じものを見て、スペードはある結論を弾きだす。
(まさか、新生物(チルドレン)の一種なのか……)
新生物。またの名をチルドレン。
それは百年前の隕石落下に伴い、現れた未知の生物の名称だ。だが、たしか富裕層向けのビジネスで、どこかの企業が新生物をペットとして商品化できないかと開発を進めているという噂を聞いたことがある。
まるで放心しているかのようにアホ面のまま動かないそいつを、スペードは同じような顔をしながらしばらく眺める。真偽は定かではないが、
そう思った、そのときだった。
「その魚が気になるのかい?」
「――――ッ⁉ 」
唐突に、背後から誰かが話しかけてくる。
その気配にすら気が付かなかったスペードは、慌ててその場から飛び退きながら振り向いた。背後にいたのは男だった。それも白い背広を着ており、金色のメガネを神経質そうな顔にかけている。
「やあ、キミが例の運び屋かい?」
(気配がしなかった。知覚ユニットにも反応がない。いったい、こいつは……)
内心、最大限の警戒をしながらも、スペードは表面上の平静を保ちながら返答しようとする。
「え、ええ。そうですけど……」
「ははは、そう警戒しなくてもいい。存在感がすこし薄いだけだ」
存在感が薄いだけでレーダーに映らなくなる?
いいや、そんなはずないだろう。
そんなスペードの警戒に気づいたのか、白服の男は不器用に笑いながら水槽へと目線を移した。
「この魚は我が社の商品のひとつでね。とある実験のによって産まれた副産物のひとつだ。おおよそ、どの時代にも珍しいものを欲しがる
彼ら、とはチルドレンのことだろう。
人類の仇敵すらも自らの欲を満たすために支配下に置こうとするなど、とてもじゃないが悪魔か何かに魂を売りさばいてしまった者たちなのだろう。我々はそんなやつらを相手に商売をしているのだと、白服の男は自嘲ぎみに笑った。
「とはいえ、エサはやらなくていいし、フンもしないから掃除もいらない。なんなら、彼らは水槽の水に塩素を入れても生きてられる。水槽もマジックミラーで中から私たちは見えないから襲ってこない。鑑賞してる分には、これ以上ないほど優秀な魚だよ」
そう言って、白服の男はしきりに肉食魚を眺めている。
「……ですが」
ほんとうに危険性はないのか、よせばいいのにスペードがそう聞こうとしたときだった。ふと、ガラスの反射で自分の顔が映り込んだ。
「…………ッ」
直後、スペードは苦しげな声を上げながら水槽から視線を外せなくなった。
そこにあったのが、スペードの顔ではなかったからだ。
いつかの少年の顔。
そこに映っていたのはスペードが義体化する前の顔だった。突如、スペードの目の前に何かの記憶がフラッシュバックする。慌ただしく行き交う足音に、しきりに騒いでは叫ぶ怒号、何かが焦げる臭い。
スペードが幻視した少年はまるで、自分ではない誰かに体を返せと訴えるようにして、こちらの顔を覗き込みはじめる。少年の目はくり抜かれたように黒く、血の気のない真っ白な顔で、どこまでもスペードの中へと――
「……失せろ、亡霊」
子どもの幻覚は、スペードのひと言で霧散する。
まるで最初からいなかったかのように、水槽にはスペードの今にも吐きそうな顔が映っているだけだ。すこし気分が悪くなったのか、彼はゆっくりと片膝を地面につきながらため息をついた。
「どうかしたかい」
白服の男がとくに気にした様子もなく話しかけてくる。
「……いえ、平気です。すこし眩暈がしただけで……」
それに対して、スペードは軽く謝辞を述べたあと立ち上がった。
「そうか、では、キミも荷物を配達した方がいいだろう。今から局長室に案内する。ついてきたまえ」
白服の男は颯爽とロビーの奥へと歩いていく。その後を、スペードはキャリーケースを引きずりながらついていく。やがて何基か設置されたエレベーターのうちのひとつに乗り込むと、それは最上階にある局長室へと上昇を始めた。
***
どこまでも上がっていくエレベーターのなかで、操作盤の前で微動だにしない白服の男と二人きりになる。何とはなしに微妙な空気が流れるが、白服の男はそこまで気にはしていないらしい。
どうしたものかと考えていると、直後、スペードの背後のガラス張りにリトル・チャイナの全景が姿を現した。両者を眩い橙色の夕日が照らすなか、スペードは思わずガラスに片手をつきながら遠ざかる街を見下ろしていく。
天まで屹立する高層ビル群を抜け、さらに上へと昇っていくと、やがて二重丸のように聳える二つの防壁が遠くにあることに気づく。漂白地帯の白砂と人類の外敵である新生物を街に入れないための壁は、こうして見るとかなり小さい。
「こうして上から見るのは初めてかね?」
「……ええ、いい景色ですね」
慣れていない敬語をなんとか使いながら、単に夕焼けに染まる街を褒めただけだったのだが、白服の男は何が面白いのか噴き出すように笑い始めた。
「ふっ、はは、いい景色か。民衆を上から見下ろすのがいい景色だと思えるのは、いつの時代も選ばれた者たちだけだ。……キミも運命がすこし違えば、こちら側の人間だったのかもしれないな」
スペードはすこし複雑そうな顔をしながらも、そういえばと白服の男に質問をする。
「ところで、あなたは……」
「ああ、名乗るのが遅れたな。わたしはソン・ラオファンの秘書を務めるジン・ポーランというものだ。普段はソンの身の回りの世話をしている」
「……秘書……」
ソン・ラオファンとやらの関係者だとは思っていたが、まさか秘書だとは思わなかった。
だが、臨時というその言葉だけ破浪の声色が揺れた気がしたが、はたして都合の悪いことでもあるのだろうか。そんなことを考えていると、ちょうど操作盤の上にある階数表示モニターが『120』になり、チン、と心地よい音がエレベーター内に響き渡った。
エレベーターの扉が開き、大きな空間が現れる。スペードはそのフロアへと足を踏み入れると、すこし息を呑んだ。
天井が何階建てか分からないほど遠くにあり、そこからシャンデリアが垂れさがっている。壁のほとんどがガラス張りのフロアには、地平線に沈みゆく夕焼けの陽光がしきりに射し込んでいる。
まるで数多の装飾を施された宮殿のようなフロアには、局長室を護衛するようにして恐ろしいほどの数の警備隊が巡回していた。人間・機械人形ともに最新鋭の強化服に、武骨な銃を抱えながらあたりを警戒している。
「もうすこし歩くぞ、ついてこい」
破浪は静かに移動を開始し、スペードはその後をアヒルの子どものようにそろりそろりとついていく。しばらく歩くと、おそらく局長室に繋がるであろう大廊下が現れる。
(それにしても、だ……)
改めてスペードは最上階のフロアを見渡してみて、すこし過剰すぎるようにも見える防衛設備に感嘆のため息をもらす。
(巡回する機械人形に、重武装した人間の警備、全フロアを見通せる監視カメラに、差動式の熱感知器と消火スプリンクラー、さらには壁に内蔵された砲塔(タレット)が複数か……)
スペードは罗波那集団の最上階フロアを歩きながら、何とも物騒な警備体制だなと思いながらも階段を上がっていく。その道中、見覚えのある機械ユニットが天井や壁に付いていることに気がつく。
【有害電磁波発生装置】
義体者やチルドレンが襲撃してくるのも、想定済みということなのだろう。
スペードはきょろきょろと周りを見てしまい、不審な動きをしていると思われたのか、近くにいた金属フレーム剥き出しの機械人形がじろりと眼球ならぬ
それに対し、冷や汗もどきをかきながらも、スペードは破浪の後を追うのだった。
「…………」
スペードたちは階段を昇りきっていくつか廊下を曲がると、やがて荘厳な扉の前で立ち止まった。
まるでギリシャ様式の柱に無理やりエジプトの壁画を塗りつけたような支柱の間に、やたらと彫刻の施された両開き扉が鎮座している。有象無象、清濁併せ呑んだような見た目のそれに、スペードは思わず『趣味が悪いな』と思ってしまう。
資本が元に祭り上げられた王族がいれば、きっとそいつは宮殿内部にあるこんな私室で寝食をするのだろう。
「ソン・ラオファン局長、運び屋の方がお見えになっております」
返事はない。
直後、両開き扉が物々しい音を立てながらスライドしていく。
「入りたまえ」
心なしか冷たさの増した声で、ジン・ポーランがスペードに入るようにと目配せをする。
扉が完全に開くのを待つと、中から想像よりもだいぶ一般的な社長室のような部屋が現れる。モニター画面が置かれたデスクがひとつあり、奥におそらくソン・ラオファン氏だろう男が座っている。
だが、依頼主が現れたことでスペードが警戒を解いた、そのときだった。
「失礼しま――」
その瞬間、カチリ、とスペードの後頭部に冷たいものが押しつけられた。いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたスペードには、それがすぐに銃口であることに気がついた。仕方なく両手をやる気なさげに上げると、後ろから再び声が聞こえる。
「なに、気にするな。そのまま進め」
なにをトチ狂ったのかと思いながらも、スペードはしぶしぶ部屋のなかへと歩いていく。
ジン・ポーランはもう片方の手でキャリーケースを確保したのだろう。銃口は後頭部から離れたものの、照準はこちらに向いているのを肌で感じる。仕方なく局長室のフロアの中央まで歩き、スペードはこちらの声がギリギリ聞こえるだろう位置で立ち止まった。
「ソン・ラオファン局長、……これはいったい」
スペードは局長用のデスクチェアに腰かける、黒い背広を着た男性――おそらくはソン・ラオファン氏だろう人物――に話しかけた。だが、その男の顔が目に入ったとき、僕とスペードは戦慄した。
なぜなら、男のひたいには今なおドクドクと血を流す、ひときわ大きな銃創があったからだ。いや、正確にはシャツにも銃創があるのか、白いシャツにも大きな血のりがべったりと付着している。
脳と心臓を確実に撃ち抜いている。
それは犯行に及んだ者が強い殺意を持っており、さらには突出した射撃能力を兼ね揃えているという何よりの証だった。
「わたしが殺したのだよ」
「お前……」
どこに隠れていたのか、破浪が銃を降ろすのと同時に局長室の至る所から銃で武装した黒服の男たちがぞろぞろと現れる。その数、十三――。なかにはハンドガンだけでなく、明らかな殺意が滲む小銃やサブマシンガンもある。
もし一斉射撃でもされれば、たとえ強化骨格と内部装甲板が仕込まれた義体者であっても耐えられないだろう。一瞬でボロ雑巾のように風穴が開き、脳核はクラッシュを免れられない。
だが、何を思ったのかキャリーケースを片手に持った白服のジン・ポーランは、持っていたハンドガンを仕舞うと代わりに懐から一枚の金貨を取り出した。
「褒美をやろう。なに、チップだと思ってくれればいい。――拾いたまえ」
おそらく純金で作られただろうコインを、破浪は親指で弾いてこちらに飛ばしてくる。何回かバウンドした後、コインはまるで計算されたかのようにスペードのちょうど足元へと転がってくる。
「…………」
「聞こえなかったのか? わたしは『拾え』と命令したんだ」
スペードはゆっくりと片膝を立てながら腰を下ろし、左手を上げて降伏の意思を示したまま、右手でそれを拾おうとする。だが、その指先がコインの表面を撫でたとき――
――パァン。
直後、銃声とともに右手の小指が吹っ飛び、そこから全身に通電していた生体電気がバチバチとすこし漏れた。
人工の青い血液が大理石の床に飛び散る。
「おおっとぉ、当たってしまった。うっかり手が滑ってしまったよ」
嘲笑を堪えるようにして煽る井 破浪に続いて、取り巻きたちの「ゲラゲラ」という下品な笑い声がフロア全体にこだまする。
痛みはない。
タンパク質の体ではない義体者にとって、一定量を超えた痛みは自動で遮断されるからだ。とはいえ、自分の体の一部が削られたというのは、存外にスペードの気分を害していた。
(全員を一度に相手するのは無理だな。脅せるような……見逃してくれるようなネタも持ってない。となれば人質をとるか、それとも逃げるか)
そんな考えだけが、どこまでも冷えて透き通っていく。
白い荒野を燃やすほどの赤い夕日が、地平線の向こうへと沈んでいく――。
次の更新予定
異邦の運び屋〈ポストアポカリプス〉 村上さゞれ @murakami_sazare
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