1-6 リトルチャイナ

 それは旧名古屋エリア、直径十五キロ程度の廃墟跡を利用して再建された都市であり、つい数年前にようやく完成した要塞都市である。


 リトル・チャイナというだけあって、街並みは全体的に中華街といった雰囲気で統一されている。

 ゆえに、別名【CHINA‐PUNK】と呼ばれることもある。

 住民たちはいまや数少ない安全地帯で肩を並べるようにして暮らしており、現在のリトル・チャイナの人口は脅威の二百万人ほどと言われている。もっとも、その多くが戸籍をもたない路上生活者なのだが。



        ***



「なあ、おっちゃん。……この麻婆豆腐、暗闇で光ってるんだけど」

「…………」

「バチバチに蛍光色の、食べちゃダメな発光の仕方なんだけどぉ……」


 スペードは席に座りながら、どうしてこうなったと内心頭を抱えていた。

 薄暗くすこし汚れた中華料理店のなかで、企業CMとプロパガンダにあふれたニュース番組がうっすらと流れている。客はスペード以外におらず、厨房ではいかにもな料理人が中華鍋でなにかを炒めており、そのたびに火が激しく換気扇を焦がしている。



『一昨日の深夜未明にて、第三地区にある独立研究センタービルに不審な人物が侵入したとの通報を受け、現場に居合わせた警備会社と激しい銃撃戦が繰り広げられました。侵入者は施設職員らを射殺したのちに【軍事アンドロイド】のテストモデルを強奪したものと思われ、その際に大量の爆発物が使用されたとのことです。現場では今もなお黒煙が上がっており、強盗犯には施設関係者から賞金が――』



 たしか第三地区というのは旧日本政府が立ち上げた要塞都市で、この列島の各地に十三まであるセーフゾーンのひとつだ。新生物研究所というのも、その都市の公的機関のひとつであり、日夜『チルドレン』と呼ばれるクリーチャーどもの研究をしているらしい。


(第三地区って、旧小田原廃墟群よりも上にある要塞都市だよな。このチャンネルは国際放送なのに、なんで、たかが強奪事件を大々的に映してるんだ?)


 強盗くらい珍しくもないだろうと心の中で呟きながらも、スペードはどう目の前の困難に乗りきったらいいのか、脳核の演算機器をフル稼働させて考え始めた。

 たしかにスペードは先ほど、「麻婆豆腐」を間違いなく頼んだ。義体者は自らの意思で消さない限り、記憶媒体にある記録が消えることはない。だからこそ、間違いなく注文時にしっかりと麻婆豆腐と発音したはずだ。


 それなのに、いまスペードの座るカウンター席のテーブルに鎮座していたのは、どこからどう見ても黄緑色に発光する「麻婆豆腐」もどきだったからである。


 たとえ義体者が人工胃を通して燃料を補給するとはいえ、以前のスペードならさすがに化学放射性廃棄物を口に入れようとは思わなかっただろう。

 店主の反応を見る限り、どうやらこれが本来のメニューらしい。思っていたのと違いすぎた麻婆豆腐を前に、スペードは恐る恐るといった具合にレンゲですこしすくってみることにした。すると――


(ヴッ⁉  眩しっ――)


 閃光弾用のマグネシウムの粉でも入れているのか、パアー、と店内で発光を始めたのだ。フラッシュの時間はほんのすこしではあったものの、あまりにも得体の知れない料理にスペードは完全に怖気づいてしまっていた。

 外では野良猫がにゃーと鳴き、こちらには見向きもせず店の前を素通りしていく。

 表通りからはすこし外れた立地のせいか、喧騒はあまり聞こえてこない。ボロい中華料理店の横には、海藻か藻類を培養する用のプラントが三つほど設置してある。


「…………」


(大丈夫、たぶん大丈夫だろ。野原に生えてたエイドフェイカーを生きたまま丸かじりしたときと比べれば、こんなのは充分食べ物の範疇だ。怖気づくなスペード、食え! たのむから食うんだ!)


 スペードは目を手で隠してレンゲを握ると、自分を鼓舞しながら発光する麻婆豆腐をほおばった。意を決して咀嚼し、飲み込んでみると――


(……オェ~~、鼻水みてェ……)


 ぐにぐにと麻婆豆腐が舌の中で踊っている。やはり見た目がハデなのがいけないのだろうか。味付けした鼻水のようなそれをかき込むと、スペードは死んだ魚のような目をしたまま冷水入りのコップを傾け、会計を済ませようとする。

 そのとき、ふと、現地の人間に聞きたいことがあったとスペードは口を開く。


「そうだ、ええと……」

「……なにアルか?」


 店員のいかにもな料理人は、換気扇を焦がす勢いで中華鍋を振っている。


「いま、この街で何が起こってる? ソン・ラオファンについて知りたい」


 単純な疑問だった。

 なんせ混沌を極めたいまの時代では、正しい情報というものがどうにも手に入りにくい。先のサンドワーム釣りの空き缶でもそうだが、実際に試行してみるか、知っている者に直接聞かなければコトの真偽がはっきり分からない。それが今の時代なのだ。

 聞きたいことはひとつ、この街に何が起こっているのか。

 ただ、それだけだった。だが――


「言えないアルね」


 料理人は素っ気なくそう答えただけで、しきりに汗をぬぐうだけだった。


「情報料なら払えるが」

「いらないアル。……ここ、ヨソ者、歓迎してないネ。変なことすれば、死ぬアル」

「……そうか」


 誰かに箝口令が敷かれているというわけではないらしい。となれば、同調圧力か何かが邪魔をしているのか。


「分かったならこの街から去るネ。ロクな目に合わないアルよ」


 早く出ていけとばかりにこちらを見る店主に対し、スペードはコップの水を飲み干すとガタリと立ち上がった。


「その情報だけで十分だ、助かったよ」


 スペードは左手を、唯一、この店でハイテクそうな装置のレジ台に近づけると、人工皮膚に埋め込まれたチップ経由で「ピ」と支払いが済んだ音が鳴った。スペードは脇に置いていたキャリーケースの取っ手を握ると、ネズミが数十匹も住んでそうな中華料理屋を早々に飛び出すのだった。



        ***



『我ら、純血たるほむらたみこそが、この地に永住を許された唯一の民族であり――』


 大通りに出ると、夏特有の熱波がむわりを肌をなで、それを色づけるかのようにして自動車がクラクションを鳴らした。道端にはブルーシートを敷いた老人が、何かを演説するスピーカーを脇に置いたまま爆睡しており、人々はそれを気にも止めずに行き交っている。

 大通りを見れば大量の一般車が渋滞のなかで身動きできなくなっており、上を見ると反重力乗用車オートモービルがのろのろとビルとビルの間を飛び回っている。


「にしても、凄まじい規模の都市だな……」


 スペードはもう一度ぐるりと周りを見渡して、感嘆のため息を漏らす。これほど大きな規模の要塞都市をスペードは他に見たことがなかった。


 リトル・チャイナには二つの区画が存在している。

 この都市は二重丸のようにして、外界と外縁部、中心部と外縁部の間にそれぞれ装甲壁が存在している。中心部は高層のオフィスビルや高密度住宅が建ち並び、外縁部には食用藻類や昆虫を培養プラントで育てる農場、そして溶解炉をフル稼働させた産業特区などがあるらしい。

 無論、外縁部にも古いマンションやアパートが建ち並ぶ居住区画があり、二つの区画のあいだには分厚い装甲壁が存在している。万が一、チルドレンが侵入すれば外縁部のスラム街が戦場になる手筈なのだろう。


 とはいえ、スラム街といってもトタン屋根に廃材でできた建物が建ち並んでいるわけではない。また、二重丸を十字に切り分けるように走る表通りは、人や物が行き来するこの時代の最大規模の道路と空路で、いつ見ても車が空で列を成しているのを見ることができる。


 スペードが今いるこの場所は、中心部に近いスラムの北東に位置する繁華街であり、ここからでも高さ二十メートルほどのコンクリート壁を見ることができる。

 スペードは記憶を辿るようにして、ホバーバイクを停めた駐車場へと向かおうとする。スラム街の路肩に止めようものなら、百二十パーセントもの確立で盗難されるためわざわざ中心部に近い有料の立体駐車場へと停めたのだ。

 その道中、やはりというべきか騒音を響かせるネオンサインの多くに、スペードは嫌気がさしたようにアクビをかましながら呟いた。


「下卑たネオンサインは、二年前とまったく変わらないのねぇ。ふぁあ……」


 どこもかしこも、中国語で書かれたネオンサインが煌々と街並みを照らしており、そのどれもが【快楽天界】【一眼百福】【善神王国】と、何となくでしか意味が理解できないものが大半である。とはいえ、それらが大人なお店の看板であることを、スペードはまったく知らなかった。

 街の至る所でぶら下がる赤色の提灯を眺めていると、リトル・チャイナでも中心部のさらに中央にあるひときわ大きいツインタワービルが目に入り、スペードは思わず頂上を目で追っていくうちに空を見上げた。


「あれが『罗波那集団ラーヴァナ』の企業ビルか。……さすがにデカいなぁ」

 罗波那集団ラーヴァナのリトルチャイナ支部の超高層ビルは天をくほどの高さでそびえ立っており、この街のどこにいても目に入る。スペードは今からあそこに行かなければならないと思うと、緊張ですこし体が震えるような気がした。だが――



 ――――ドォン、ドオン‼



 と、立て続けに二度の爆発が『罗波那集団ラーヴァナ』近くのビルから上がり、衝撃でガラス片が大量に舞い散る光景が目に入る。黒煙の噴き出るそれを花火でも見るようにして遠くから眺めると、ぼそりとこう呟くのだった。


「にぎやかだねェ……」


 直後、またもや爆炎が同じ建物から上がるが、もはやスペードがそれを見ることはなく、ポケットに手を突っ込みながら歩き始める。通行人の多くも遠くの黒煙を一瞥すると、爆発テロなど見慣れているとばかりにすぐに興味を失って日常生活へと戻っていく。

 ある者は爆発をカメラで撮っては画角がダメだとデータを消し、ある者たちは各々の目的地へと急ぎ、ある者たちは談笑を再開し、ある者たちは舐めていたアイスクリームもどきに再び口をつける。


 どうやら、ここはそういう街らしい。

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