第一章 文化祭で距離が縮まっても、俺は……

第2話 槍坂が消えた日

「はぁ……」


 皮肉なまでに雲一つない青空を眺めながら、俺はため息をついた。


 今日は月曜日。

 休日終わりの週初めともなれば、誰だって気分が乗らないときくらいあるだろう。

 だが勿論、そんなことがため息の理由ではない。


 今、こうして通学路を歩いていても、まだ夢から覚めていないのではないかと、ぼんやりした頭でそう思ってしまう。

 いや、そう思いたい、と言った方が正しいだろうか。


 アレの存在を知ってからというもの、金曜の放課後から日曜の夜まで、俺はずっと例の動画を繰り返し再生していた。

 あまりに刺激的で衝撃的な光景に、俺の脳は何度も破壊され、俺はいつの間にか動画のループ再生を繰り返すだけのロボットと化していた。

 いつしかすっかり心は擦り切れて、もう彼女たちに抱いていた憧れや好意といった感情は、完全に消失してしまった。


 ―――女なんて所詮、そんなものだ。

 槍坂という一人のイケメンに絆され、搾り取られ、使い捨てられる。

 例えどんなに魅力的な一面を持っていたとしても、それはあくまで建て前であって、結局は顔さえ良ければどんな中身の男にだって簡単に……


「……ううっ」


 寝不足気味なこともあるが、思い出しただけで朝から吐きそうだ。


 あんな動画なんて見なければ良かったのかもしれない。

 だが、どうしても何度も再生せずにはいられなかった。

 中途半端な印象として植え付けられるより、完全な記憶として焼き付けられた方が、きっと楽になれると思ったから。

 中でも、好みの女優3名の動画に関しては、いずれも自室のPCにしっかり保存した。

 俺の夢を打ち砕いた彼女たちの罪は重い。これからも見せ物として償ってくれればと思う。


「おはよー」

「昨日さ……」


 生徒たちの朝の何気ない会話をBGMに、俺は靴を履き替え、廊下を歩き、教室へと向かう。

 それら全てがいつも通りのはずなのに、まるで自分だけが非日常の空間で生きているような、そんな不思議な心地がして、気味が悪い。


 席に着いて暫くすると、アイツが来ることで前の席は埋まり、今日も彼女を中心に会話が弾んでいく。


 桜咲 美紅。

 友人らと話しながらショートボブの髪を左右に揺らす彼女の表情は、俺の席からでは読み取ることはできないが、きっといつものように、無邪気な笑顔なのだろう。


 ……だが、俺は知っている。

 彼女の本性は、純粋さの欠片も持ち合わせていない、男に飢えきったただのビ〇チであるということを。


 今までと何も変わらないはずの日々も、真実を知ればこうも見え方が変わってくるものなのか。

 この前まで自分はいったい何を見ていたのだろうと思うと、いっそのこと笑えてくるな。


 桜咲の後姿を見ながら、そんなことを思いつつ一限目の授業の準備をしていた俺だったが……


 朝のホームルームの時間になると同時に、担任の教師がいつになく深刻そうな表情でクラスに入って来たことにより、クラスの非日常であった日常は、本当の意味で、非日常な雰囲気へと変化した。


 真面目でカタブツそうに見える先生が、普段の姿に輪をかけて重々しい雰囲気を醸し出しているものだから、こちらもつい委縮してしまう。


「その……なんだ、君たちに、残念なお知らせをしなければならない」


 そしてその雰囲気のまま、先生は歯切れの悪い物言いで話を切り出すと、こう言った。


「槍坂が……退学処分となった」






 クラスは一瞬にして、完全に静まり返った。


 それもそうだ。

 先週まで同じところで一緒に過ごしていた仲間が、突如として姿を消すことになったのだから。

 あのホームページの存在について、クラスのどれほどのメンバーが知っているのか定かではないが、みんなの反応を見る限り、きっと全員ではないのだろう。


 しかし、多くのクラスメイトが動揺する中で、俺は冷静な方だった。

 クラスを見渡すと、何名かの女子生徒が俯いていた。俺には分かるが、あいつらは黒だ。


 クラスのまとめ役である黄条 恋華は、赤いリボンでツーサイドアップにまとめた金髪を机の上にたらりと下げ、震える拳を膝の上に置いている。

 無瀬 清良もまた同様に、ストレートロングの黒髪を垂らし、誰とも目を合わせたくないといった様子だった。


 先生はところどころ声を詰まらせながら、しかし淡々と槍坂が退学になった経緯を説明していく。

 動画についての言及はなく、先生の話によれば他校の女子生徒とトラブルになったことが退学の主な原因らしいが、そんな内容の話を聞いて、いったい彼女たちは何を思うのだろうか。


 槍坂が誰とでも関係を持つようなクズと知って、そんな奴に身体を許した後悔?

 ……いや、そんなことは思うはずがないだろう。

 顔さえ良ければ、他のことなんてどうでも良いのだから。

 それが、彼女たちの本質なのだから。


「……信じられません。何かの間違いではないのですか……?」


 唯一、城花 真白さんだけは、天然でピュアな性格からか、本当に信じられないという様子で声を震わせながら、懸命に先生へ真相を尋ねていたが、先生は首を縦に振り、ただただ事実を肯定するだけだった。

 普段は大人しい城花さんだが、おそらくあまりにもショックが大きかったのだろう。やがて泣き出してしまい、ただでさえ重たい空気が漂う中、その日がカオスな一日となったのは最早言うまでもない。


 もうすぐ文化祭が迫っているにもかかわらず、クラスの雰囲気は最悪なものとなった。

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