第18話

 半年くらいまえのことだろうか。


 あの時もこうやって杏音の部屋でゲームをやっていた時だった。


 連勝に次ぐ連勝で杏音の機嫌もすこぶる良かった。2時間くらいやったところで集中力が落ちてきたので休憩をしようということになった。

 俺は座椅子に、杏音はベッドに仰向けになる。


 そこで俺は唐突に切り出した。


「なあ、杏音。俺ら付き合ってみないか?」


 すぐに返事は返ってこなかった。少しして杏音が身体を起こしていう。


「それって、恋人同士になる、っていう意味だよね?」

「そういう意味だな」

「はあ……とうとう理人も私のプロポーションの前に我慢が出来なくなってしまったか」


 そう言いながら杏音は身体のラインを強調するように背筋を伸ばす。まあ、確かに杏音は顔立ちも良く、身体つきもモデル並みだと思う。だがしかし。


「身体目当てでこんなこと言ってるんじゃねえよ」

「はあ!? 私の美乳、拝み倒したくないの!?」

「お前の胸は神か何かか? ていうか触らせてはくれないんだな」

「触ってもいいよ」


 杏音は自信満々に胸を張り突き出す。

 俺は仕方がないので突き出された胸を鷲掴みした。


「んっ……」


 杏音は艶っぽい声を出す。非常にいい弾力だ。でも何故か、杏音相手だと性的な感情が昂ぶってこない。


「求めてるのはこういうのじゃないんだよなあ」


 俺は杏音の胸から手を離し、ポリポリ頭を掻く。


「人の胸鷲掴みにしておいてその態度は失礼じゃない?」

「いい弾力でした。有難うございます」


 俺はわざとらしく、崇めるように両手を合わせた。


「それはそれで腹立つ」

「どーすりゃいいんだよ」


 このやり取りでも分かるように、俺たちの空気はどうも色っぽくならない。あまりにも一緒に過ごした時間が長いからだろうか。勢い余って過ちを犯すようなこともない。杏音もそこらへん分かっているからこんな簡単に胸を触らせたのだろう。


「どーせ、周りにやいやい言われるのが面倒臭くなってきたとかそういうことなんでしょ?」

「まあ……7割くらいはそういう理由だな」


 高校に入ってから俺らの関係を茶化されることが増えた。なんで付き合ってないの? 早く付き合えばいいじゃん。そんなことを言われない日がないくらいに。


 そして毎日のように同じ説明をしなきゃいけないもんだから、さすがに気も滅入ってくる。ならいっそ本当に付き合ってしまえば解決するんじゃないかという結論に至った。


「私たちが付き合っても、何も変わらないよ」

「そうだろうな」


 付き合いました。私たちは今日から恋人同士です。と宣言したところで、俺たちの関係はなにも変わらないだろう。


「でも……変わる可能性があるなら、見てみたい気もする」


 これは残りの3割の理由だった。


 17年近く、共に過ごして共に成長して、幼馴染という単語が安っぽくなるくらい。そんな俺たちの関係に、名前はない。

 名前や理由が欲しいわけじゃない。ただ、俺たちの関係のその先があるのなら、見てみたいという気がしていた。


 杏音は目を伏せてなにやら考えている。


「私は、理人のこと好きだよ」


 瞳を開き、優しく微笑みながら杏音は言った。


 杏音とは付き合いは長いが、こうも面等向かって好きだと言われたのは初めてだった。正直、なんて返せばいいかわからなくて押し黙る。


「男子の中で誰が一番好きか? そう聞かれたら私は迷わず理人って答える」


 状況を想像して、胸の内にスッと入ってくる感覚があった。


「そういうことなら……俺も杏音が一番だな」


 女子の中で誰が一番好きか? と聞かれたらそう答える。杏音と同じく迷いはないだろう。しかしこの感情は――――。


「でも私たちのこの好きって、恋愛感情じゃないんだよね」

「そう……だろうな」


 じゃあ何なんだと聞かれても答えられない。でも、杏音のことを好きだという感情は偽りのないものだった。


「私はね、この好きっていう感情を、無理に恋愛感情に結びつけたくないんだ」


 言われて、俺はあまりこの感情に真剣に向き合っていなかったのだと思う。


「だからもし、私たちが付き合って恋人同士になったとして、この好きって感情が恋愛感情だと錯覚することになるかもしれない。違うって分かってるのにね」


 その状況は容易に想像できた。もし本当に付き合ったら、この互いの好きはやっぱり恋愛感情だったのだと思うようになってしまうだろう。


「もしそうなってしまったら――――今の好きの感情には二度と戻れない気がする」


 そして杏音は憂いを帯びた表情でいう。


「今の感情を忘れてしまうのは、すごく寂しい気がするんだ」


 つまりそれは、今の好きの感情のまま、何も変わらないことを望むということだ。

 この好きの感情が恋愛感情になってしまったら二度と戻れない、か。言いたいことはなんとなく分かる。


 もし付き合ってみて、うまくいかなかったとする。その時に、じゃあやっぱり前のままに戻ろうっていうのは確かに難しいだろう。

 今の関係性が壊れる可能性があるのなら今のままで。でもこれは、単純にリスクとリターンの話ではないような気がした。


「分かった。今後は杏音に振られた、ってことにするわ」

「説明を簡略化するために私を悪者にするな!!」

「他に好きな奴がいるからとか適当なこと言えばいいじゃん」

「そんな奴がいたら、今の私たちはこんなに苦労してない」

「そりゃそうだ」


 付き合っているわけではない。でも互いに一番好きなのは分かっている。

 やはり、ただの幼馴染と呼ぶには距離感があまりにも近すぎる。



 こんな難儀な俺たちの関係に、名前が付く日は来るのだろうか。

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