第17話

 放課後、俺は少しだけ残って一人作業をしていた。


 昼に貰った生徒会行事のプリントをファイリングし、今後の予定をスケジューリングした資料を作っている。


「ふーん。相変わらずマメだねぇ」


 そんな俺が作業する様子を、杏音はただ眺めていた。


「これくらいは当たり前だろ? 任されたんだから適当にやるわけにもいかないし」

「はいはい。クラス委員長ならトーゼンだよね」


 杏音は適当な相槌を返す。


「さて。とりあえずこんな感じか」


 俺はファイリングしたプリントに複数の付箋を貼り付けファイルを閉じる。ひな型は出来たから、あとは後日また少しずつまとめていけばいいだろう。


「終わった? 早く帰ろ」


 そういって杏音は鞄を手に取る。

 周りを見回すとクラスメイトは帰宅したか部活動に行ってしまったので、今は俺と杏音の二人しかいなかった。少し集中してしまったか。


「悪い。待たせたな」

「別に。理人の作業見てたから退屈じゃなかったし」


 俺も鞄を手に取り教室を出る。そして二人並んで帰路についた。


「ていうか別に待ってなくてよかったんだぞ」


 しれっと横を歩く杏音に告げる。


 杏音には放課後は作業してから帰る、とは言っていたが待っていてとは言っていない。いつもの杏音は学校終わったら直帰するので、まさか待っているとは思わなかった。


「ウチに理人のゲーム機あるじゃん? アレ、今日持って帰ってもらおうと思って」

「あー、確かに今は光回線入ったから、杏音のトコじゃなくても通信プレイできるのか」


 親父と二人暮らしの時は家にWi-Fi回線が無かったので、通信プレイするには杏音の部屋で回線を繋いでやっていた。家に持って帰っても大してやらなかったので、そのままずっと杏音のところに置きっぱなしになっている。


「でも、今日じゃなくても良くね?」

「うん。じゃあ今日でもいいじゃん」

「まあ、それもそうか」


 お互いいつでもいいけど、先に伸ばすと結局機会を失うから早めにやってしまおう、という雰囲気を感じ取る。


 そうして俺は、そのまま杏音の家に寄っていくことにした。



「ただいまー」


 杏音の家に着き、杏音が先に玄関に入る。


「ただいま」


 杏音に続き俺も玄関に入った。

 二人で靴を脱ぎ家に上がる。


「あら? 今日は理人も一緒? 夕飯食べてく?」


 杏音の母親の静江母さんが俺の声を聴いて顔を覗かせる。静江母さんは親父やレーナさんよりも一回り以上年上なので、ベテラン主婦感が強い。


「いや、ちょっと寄っただけだから夕飯は大丈夫」

「あら? そう? 今日は茶碗蒸しにしようと思ったんだけど」

「母さんの茶碗蒸し……食べたいけどまたの機会にしておくよ」


 静江母さんの茶碗蒸しは俺の好物の一つだったが、今はレーナさんが俺の分の夕飯も用意していると思うので、事前に断りを入れておかないと申し訳ない気がした。


 それに今日はそんな長居するつもりはないし、夕飯を用意してもらうまでもない。



 ここで一つ補足しておこう。


 俺と杏音は幼馴染であるが、当人である俺たちはそんな一言で片づけられる関係だと思っていない。どちらかといえば、双子の兄弟に近いのかもしれない。


 俺を産んだ母親は――――俺を産んで間もなく息を引き取った。


 親父は当時、先立たれた悲しみと遺された絶望に打ちひしがれていたという。その親父に手を差し伸べたのが、俺よりも一日早く産まれて、俺の隣の保育器にいた杏音の両親、長嶺夫妻だった。


 そんな夫妻は親父の育児に全面的な協力を申し出てくれたらしい。それから乳児だった俺は、親父が仕事の時は長嶺夫妻の元に預けられ、杏音と同様にわが子のように育てられた。


 だから俺にとってこの家は長く住み続けた第二の実家だし、長嶺夫妻ももう一人の俺の両親だ。この家に入るときはいつも「ただいま」だし、長嶺夫妻を呼ぶときは「母さん」と「父さん」だ。


 ちなみにレーナさんが隣に越してきて、彩莉がこの輪に加わったのは俺が5歳の頃の話になる。


 そういった意味でも俺と杏音の関係は、どこか特殊であり、特別だった。



 杏音の部屋に入り、いつもの座椅子に腰を掛ける。そのまま手を伸ばし、テレビの横に置いてあった自分のスウイッチを手に取る。


「ちょっと着替えてくるから待ってて」


 そう言って杏音は部屋着を手に持って部屋を出ていく。


 本当に長居するつもりはないので、俺は杏音が着替えているうちに充電器やコントローラーなどの周辺機器を回収して鞄に仕舞う。


「え? もう帰るつもりなの?」


 白のパーカーにショーパン姿に着替えて戻ってきた杏音が目を丸くする。


「いやだってコレの回収だけのつもりだったし」

「せっかくだから少しやっていってよ。どうせ理人鈍ってるだろうし」


 確かに引っ越しとかもろもろあって、ここ二か月くらい全くゲームをしていなかった。もとより自分が好きでやっていたというよりは、杏音に付き合ってやっていたところがある。


「まあ、勘を取り戻すくらいにはやってくか」


 そして俺は一度鞄に仕舞ったスウイッチ一式を取り出す。


 それから一時間ほど杏音と二人でいつものゲームをした。


「ちょっとー、理人さっきからデスしすぎー」

「エイムの感覚戻らなくて対面勝てないんだよ」

「もう! 鈍りまくってんじゃん!」


 杏音がコントローラーをベッドの上に放り投げ、自身も横になる。


 さすがに5連敗は苛立ちが抑えられないか。ここらへんで切り上げるのが正解なのだが、俺のせいで負けてるようなものなので下手なことは言えない。


 チラリとベッドで仰向けになる杏音を見る。


「今日はもうやめるー」


 身体を起こすこともせず、不貞腐れた態度で杏音がいった。


「それがいいな」


 俺も賛同し、電源ボタンを押してスウイッチとその周辺機器を再び鞄に片づける。

 そして次に杏音の分の片づけを始めた。ちょっと不機嫌な時はこうしてやることで更なる悪化を防げるからだ。


 しかし――――今日の杏音は少しだけ予想と違うというか、本当に僅かだが行動に違和感を持っていた。


 最後に杏音のコントローラーを回収しようとベッドの上に乗る。そして杏音の上からコントローラーへ手を伸ばした。


「あがっ!?」


 しかし、伸ばした手はコントローラーに届かず力尽きる。


 急に杏音が俺の腰に抱き付いてきたからだ。いや、どちらかといえば腰を折られたという表現の方が正しいかもしれない。


 今俺は、ベッドに仰向けになっている杏音に覆いかぶさっているような形になっている。


「ちょ、なにするんだよ!?」


 俺が抵抗しようにも杏音はさらに力を込めて俺の腰を折る。ゲームで負け続けたこと、そんなに怒っているのか?


 やがて腰を締め付ける力が弱まり、俺はゆっくり身体を起こす。


 その時、杏音と目が合った。


 目を見るだけで分かる。杏音は怒っていなかった。


 今の杏音の瞳は――――なにかを真剣に訴えるような強い眼差しだった。


 杏音は右手をゆっくり俺の顔に近づける。


 そして人差し指で俺の唇に触れた。



「ねえ理人――――やっぱり私たち、付き合ってみようか?」

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