第14話

 朝、目が覚めると目の前に彩莉の顔があった。


 すぐさま身体を起こして現状を確認する。


 まず、俺の部屋、俺のベッド。隣には彩莉が小さな寝息を立てて眠っていた。

 さすがに慣れてきたのか、こんな状況にもあまり驚かなくなってきたな。


 どうせこれも、ネコの仕業だ。


 俺が寝ている時に忍び込んでそのまま寝てしまったのだろう。一応確認するが、俺や彩莉に着衣の乱れはない。目的はただ添い寝したかっただけか?


 そのくらいなら許容できる範囲だが、俺が先に目覚めたときに限るな。だって彩莉が先に目覚めて、目の前に俺の顔があったらショックだろう。


 横で眠る彩莉の寝顔を眺める。


 こうしていると、童心に帰ったような気分だ。昔、俺と杏音と彩莉はよく三人で遊んでいた。


 はしゃぎ回る俺と杏音。そんな様子を彩莉は最初ボーっと眺めている。

 だから俺は彩莉の手を取った。そして俺と杏音の輪に混ざり、一緒に遊び始めるというのがいつもの一連の流れになっていた。


 この頃の彩莉も、やはり感情が表情にでることが少なかった。そのせいか、俺たちと遊んでいるのが楽しそうには見えなかった。

 だから俺は彩莉を褒めた。上手くボールが投げられた時、水切りが5回出来たとき、かくれんぼで最後まで見つからなかった時、決まって俺は彩莉の頭を撫でて褒めてあげた。


 すると彩莉は少しだけ、嬉しそうに笑うのだった。


 外で遊んだ後の俺たちは、親父とレーナさんが迎えに来るまで杏音の家でゲームをして過ごす。その時の彩莉は遊び疲れ、俺の隣で寝ていた。


 あの時のあどけなくもどこか儚い寝顔は、今も全く変わっていない。


 そんなふうに昔を懐かしみながら小さく息を吐いた。


 さて、起きる時間としては少し早いが、このベッドでまた寝るわけにもいかない。とりあえずベッドから出ようと身体を動かす。しかし俺の動きは静止された。彩莉が俺の腰に抱き付いてきたからだ。


「んなっ!?」


 またネコか!? と思ったが彩莉は変わらず寝息を立てている。そしてその腕を解こうとするが、意外に力強くて簡単には離れない。


 やっぱりネコじゃないか!? と思うが猫耳は見えないし、彩莉は本当に眠っているようだった。


 ここで無理強いして起こしてしまうのも悪いので、しばらく抱えられたままでいる。すると今度は俺の腰に顔を埋め、思いっきり鼻で息を吸い込み始めた。


 ネコ吸いでもしている夢を見ているのだろうか。さすがにコレは起こしてあげた方がいいのではないかと思う。リアルで兄吸いなんて可哀想だ。


「起きろ、彩莉」


 名前を呼びながらそっと頭に手を伸ばす。しかしそこでハッと手を止めた。


 なんで俺はナチュラルに彩莉の頭を撫でようとしたんだ? 確かに昔はよく頭を撫でてやっていた。でもまだガキの頃の話。今は互いに成長していて、立場的には兄妹になっている。


 そんなに気易く触れていいはずがない。俺はずっとそう思っていたはずだ。


 最近ネコの姿の彩莉がやたらとくっついてきているから距離感がおかしくなってきているんだろうな。こんなのはダメだ、流されるのは良くない。俺たちは昔とは違うんだから――――。


 伸ばした手を引っ込めようとする。がその瞬間、ガシッと腕を掴まれた。


「い……彩莉?」


 彩莉は寝ぼけ眼で半分も開いていない瞳でこちらをボーっと見ていた。そして掴んでいた俺の手を自分の頭の上に誘導する。ポンと置かれた俺の手はそのまま、サラリとした髪を撫でた。


 そして俺の顔を見つめて――少し笑った。


 まるで、あの頃と同じように。


 俺がその笑顔に目を奪われていると、彩莉は俺の腕から手を離し、また俺の身体に顔を埋めて寝息を立て始める。


 え??? 今のなに??? どういうこと???


 ネコの仕業……というわけではなさそうだ。というか絶対寝ぼけてるだろ、コイツ。


 それに、これ以上は俺の方もヤバイ。


 彩莉の柔らかい髪の感触が、この状況に流されたいと思ってしまう。似たような状況でも、ネコに取り憑かれている時とは別物だった。


「彩莉! 起きろって!」


 飛びそうになる理性を抑え込むように、思わず俺は声を上げてしまう。


 彩莉はうぅんと小さく唸りながらゆっくり身体を起こした。そしてベッドの上にちょこんと座り、辺りをキョロキョロ見渡す。


「あ……兄さん、おはよ」


 相変わらずの寝ぼけ眼で呟くようにいう。


「あ……ああ、おはよう」


 そう言いながら俺は視線を逸らした。


 目の前にいる寝起きの状態の彩莉はあまりにも無防備だった。衣服が乱れているとかはないのだが、纏っている雰囲気が起きている時とは明らかに違う。


 その無防備さがどうしても直視できない。見ていると、何故か無性に抱きしめたくなってくる。間違ってそんなことをしてみろ。俺たちの関係はマジで終わるぞ。


「ごめん。寝ぼけてた。コレはどんな状況?」


 さっきよりもハッキリした声で彩莉がいう。ちらりと表情を窺うと、いつも通りのすんとした表情の彩莉に戻っていた。


「ああ……起きたら彩莉が俺の隣で寝てたんだよ。多分ネ、もう一人の彩莉の仕業だと思う」


 危うくネコという単語を出しそうになってしまう。彩莉の前ではホントに気を付けないとうっかり口を滑らせてしまいそうだ。


「そっか……また……」


 彩莉は呟くようにいう。


 この状況を下手に誤魔化さなくてもよくなったのは前進だが、これはこれで気まずいな。

 というかこの状況に彩莉はなんとも思っていないのだろうか? 起きたら兄の布団で目を覚ますとか普通はショックだろう。


 相変わらず無表情だが、何も感じていないというわけではないと思うのだが……。


 すると彩莉はスッと立ち上がり、黙って俺の部屋から出ていった。


 まるで何事もなかったかのように――――。


 いやマジでどういう感情???


 まあ、こんな部屋には一秒たりとも長く居たくないと思っていれば当然の行動なのだが、怒っているような雰囲気は感じられなかったような気がする。多分。


 彩莉の中では、もう一人の自分の行動についてはある程度諦めているのかもしれない。


 とりあえず、こちらとしても緊張感のある空気から抜け出せて肩の力が抜けているところだった。時計を見ると、スマホのアラームが鳴りだすまでにまだ30分以上ある。


 寝るまでじゃなくても少し横になって休むのとするか。そう思い、俺は再びベッドに寝転んだ。しかしすぐに飛び起きた。


 彩莉の残り香が俺の布団に染み付いる。


 俺は今日、このベッドで眠ることができるのだろうか……。

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