第12話

「え? ダブルキャスト?」

『は? なんでわざわざかっこよく言った? ていうかソレ、意味違うから』


 通話の向こうで、杏音が不機嫌そうに言う。


「いや、なんかそのフレーズが舞い降りてきたから……」

『こっちは真面目に話してんの! 茶化すようなこと言わないで』

「はい、すみません……」


 彩莉が杏音と出かけた日の夜、杏音から電話があった。少し前に大事な話があるからとメッセージを貰っていたが、まさか彩莉の話だとは思っていなかった。


『今日、理人と一緒に帰った時のこと、彩莉に聞いたのよ。そしたら彩莉は「あれは私じゃない」って』


 俺と一緒に帰った時というのは、数日前のネコになっていた時のことか。さすがに腕を組むまでの行動には杏音も違和感があったということだろう。俺は相槌を打って杏音の言葉を待つ。


『最近記憶がないときがある。気付いたら別の場所にいて、まるで別の私が勝手に行動しているみたい、って彩莉は言ってた』

「なるほど。それで二重人格、ね」


 杏音から電話が来た時の第一声が『彩莉、二重人格かもしれない』だからな。順を追って説明してくれないと分からない。


 しかしそうか。ネコが取り憑いている時の彩莉はそういう感覚なのか。そして理性的にそれを受け入れているようにも思える。


 ネコから急に戻った時もパニックになるような取り乱し方をしていなかったし、《自分以外の誰か》の行動として割り切っていたと考えれば納得できる。


『それで理人、この前彩莉と帰った時の様子どうだった? 普段の彩莉とあんまり変わらない感じ?』

「あー……あの時の様子なぁ……そうだな……」


 二重人格とは言いえて妙だな。そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える。


『なに? ハッキリいいなさいよ』


 杏音がせかすように俺の返答を求める。


「ちょっと待てよ。よーく思い出すから」


 誤魔化すか、正直に話すか、その二択で迷って俺は自分の膝元に視線を落とす。


「んニャ? 電話はまだ終わらないのかニャ?」


 そう。今まさに俺の膝に座って髪の毛をブラッシングされているコイツのことだ。彩莉は風呂上りだったのでその火照った体温を膝で感じ、優しく甘い香りが鼻をつく。


「……杏音。今の聞こえた?」

『え? 何も聞こえないけど?』


 ネコには通話中は黙っておけと念を押したのだが、意味なかったな。そういえば、こいつは約束を守らねえ。


「んにゃあ~。お兄ちゃんのブラッシング気持ちいいにゃ~」


 少しトーンを上げてネコはわざとらしく言う。


「バカっ! そんなでかい声上げるなって!」


 俺はスマホを口元から離してネコに言う。


『まさか……そこに彩莉いるの?』


 さすがに今の声は聞こえていたか。まあ、声は彩莉だしそう思うのも仕方がない。

 俺は観念して大きなため息を吐く。


「杏音。テレビ通話に変えていいか?」

『え? いいけど、なんで?』

「いや、実際見てもらった方が分かってもらえるかなと」

『どういうこと? えーっと、ちょっと待ってね』


 そうしてビデオ通話に切り替わり、スマホの画面に杏音のパジャマ姿が映される。


『ていうかさっきの話、まだ途中なんだけどそれと関係あるの?』

「あるよ。大ありだ」


 俺は目の前に座ってるネコの方へスマホを向ける。


「つまり……こういうことなんだよ」


 後姿が映っても普段の彩莉と変わりないので、白い髪と猫耳が目立つようにカメラ位置を調整する。


『え??? 何??? どういうこと???』


 杏音の困惑する声が聞こえる。まあ、最初はそうなるのも仕方がない。


「いや……見ての通りなんだが……」

『見ての通りって……部屋の壁映して言われても分からないんだけど?』

「はあ!? ウソだろ!?」


 俺はネコを膝の上から下しベッドに座らせる。そして再びスマホのカメラを向けた。


 するとネコはにゃっは~と可愛らしくネコポーズを取った。


「これが見えないか?」

『え? ベッドしか見えないんだけど、さっきからふざけてるの?』


 段々杏音の声に苛立ちが乗ってくる。


「いや……ふざけてるつもりはないんだけど……どういうことだ?」


 俺が困惑していると、ネコがにゃっは~と笑った。


「今のネコはどちらかというと霊体に近い状態にあるニャ。だからそんな機械にネコの姿は映せないニャ」

「マジかよ……」


 信じられないようなことだが、実際杏音にその姿は映されていないらしい。まあ、約束は守らないが嘘はついたことはないので本当なのだろう。


『ねえちょっと!! マジでなんなの!!??』


 痺れを切らした杏音が声を上げる。


「いや、悪い。実はな――――」


 ビデオ通話から通常通話に戻し、俺は杏音に彩莉がネコの霊に取り憑かれている説明をした。この前、俺を誘って一緒に帰ったのも彩莉ではなく、このネコの仕業だったことも伝える。


 物的証拠としてネコに喋ってもらったが、どうやらスマホ越しでは声も届いていないらしい。


『で、つまり今。理人の部屋にネコ耳姿の彩莉がいると?』

「まあ、そういうことだな」

『分かった。秒でいく』


 杏音はがそう呟くように言うと、そこで通話が切れた。


 時計の時間を確認する。21時を少し過ぎたところだった。

 絶対アイツ、これからくるつもりだぞ……。


 幼馴染と言っても、杏音とはお隣さん同士というわけではない。そんなに離れてはいないが、それでも自転車で5分はかかる。

 まあ、確かに話半分じゃ信じきれない部分もあるだろうから、実際に見てもらうのが間違いないとは思うけど。


「今の電話、のんちゃん?」

「ああ、そうだよ。アイツこれから…………」


 そこまで言って、俺は恐る恐るネコを座らせていたベッドの方を向く。


 猫耳、尻尾はナシ。髪色も白から栗色に戻っている。案の定、ネコはすでに彩莉に戻っていた。彩莉はベッドに座ったまま、ネコがブラッシング用に持ってきたブラシを手に持ち見つめている。


 クッソ!! マジかよ!! またこのパターンか!!! 


 さて、この状況を説明しなくてはいけないが、その前に確認しておかなくてはいけないことがある。

 俺は小さく息を吐き、呼吸を整えた。


「あ、あのさ……彩莉? 電話、どこから聞いてた?」

「まあ、そういうことだな、しか聞いてない」

「そ、そうか」


 ネコに取り憑かれている説明の中盤あたりまではまだネコだったのを確認している。最後の言葉しか聞いていないのなら、ネコの霊に取り憑かれている話は聞かれていないはずだ。


 テレビ通話切っておいて本当に良かった。


「のんちゃんから聞いたんでしょ? もう一人の私のこと」


 彩莉はブラシを見つめながら言った。


「あ、ああ……さっき電話で聞いた」


 そうか。彩莉の中ではそういうことになっているから、わざわざこの状況を言い訳する必要もないのか。


「もう一人の私が、迷惑かけてたらごめん」


 そう言って彩莉はベッドから立ち上がり、俺の横を通り過ぎる。

 自分の知らないところで、自分の姿をした誰かが何かをしている。そんなの、不安に感じない方がおかしいよな。


「待ってくれ、彩莉」


 彩莉はドアノブに手を掛けたところで止める。


「その……もう一人の彩莉が何をしていたか、知りたくはないのか?」

「知りたくない」

「不安じゃ、ないのか?」


 彩莉は少し沈黙する。


「不安は、ないわけじゃない。でも、知ったところで私はどうすることもできない。だって、それは私じゃないから」


 知ったところでどうすることもできない、か。確かにそうかもしれない。抗いようのない事実なら、知らない方がマシなのだろう。


「分かった。俺はもう一人の彩莉が何をしていたかは話さない。でも、俺はそれを迷惑だと思っていない。これからどんなことがあっても、迷惑だなんて思うことは絶対にない」


 俺は語尾を強めてハッキリと言う。


「そう……それなら良かった」


 そう言って彩莉は俺の部屋から出ていった。

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