第9話

 無言のまま、彩莉と並んで歩き続ける。


 家に着くまでまだ距離がある。この歩調だと、あと10分は掛かりそうだった。

 今の彩莉はどんな心境でこの時間を過ごしているのだろうか?

 最後の記憶はきっとまだ学校だったはずだ。そして気付いたら俺と腕を組んで歩いていた、というような状況だっただろう。


 特に混乱しているような様子は見受けられないが、表情も普段と同じなのでそこらへんは測りかねる。そして、俺の言葉は聞き入れてもらえなかった。


 まあ、理不尽だよな。


 自分の知らぬ間に、望まぬ状況に陥っている。望まないなんて俺がそう思いたいだけの表現で、彩莉にとってはなんとしてでも避けたかった状況かもしれない。

 こんなんで沸き上がってくる感情なんて怒りだけだ。

 やはり、彩莉が戻る前に別れておくべきだったか? でもそれは、ただ俺が逃げているだけだ。彩莉に対して誠実じゃない。


 もっと向き合わなきゃ駄目だ。会話を拒絶されても、伝えなきゃいけないことがある。

 家に着いてしまったらどうせまたそれぞれの部屋で過ごし、会話の機会を逃してしまう。だから今だ。この地獄のような沈黙を打ち破って、俺は前に進まなくてはいけない。


「イロリにりっくん。やっほー」


 俺の決意が崩れてしまうような緩い声が背後から聞こえた。


「え!? レーナさん!!??」


 慌てて振り返ると、そこに立っていたのは彩莉の母親の英玲奈えれなさんだった。いや、今は俺の母親でもあるのか。


 日本とロシアのハーフで彩莉よりも薄い栗色の髪をミディアムショートで爽やかに見せている。実年齢は40を過ぎているが、まだ20代に見えるほど若々しさを残していた。

 ロシアでエレーナの愛称はレーナらしく、俺らが幼少のころからそう呼ぶようにと本人から教え込まれていたので今もそのまま呼んでいる。今更お母さんと呼ぶ方が気恥ずかしい。


 ちなみに彩莉もお母さんではなく、レーナと愛称で呼んでいる。


 レーナさんはにまにました表情で俺たちを見ていた。


「あ……いや、もしかして見てました?」


 俺は恐る恐る問いかける。彩莉が俺の腕から手を離したのはついさっきだ。


「見てたよー。二人とも家では全然話さないと思ってたけど、外ではしっかり仲良しやってるんだね。良かった良かった」


 レーナさんはほっこりとした笑顔で両手を合わせていう。

 あえて何を、とは聞かなかったがこれは腕組んで歩いているところはバッチリ見られていたのは間違いないだろう。


「いや……これはですね……」


 と切り出したもののなんて言っていいか分からない。彩莉とレーナさん、二人とも納得するような言い訳が思いつかない。


「ねえ、イロリ。なんで離れちゃったのぉ? もっとくっついてても良かったのにぃ~」


 レーナさんは茶化すように彩莉を指でつつく。いや、そこあんまり突っ込まないでもらいたいんですけど。


「歩きにくかった」

「もーう、この子ったら照れちゃって~」


 このやり取りに、俺の頭の中は疑問符で埋まった。


 まず彩莉が俺と腕を組んで歩いていたことはしっかり認識していて、そのうえで照れてるだと? いや、どう見ても照れてるようには見えない。怒ってるんじゃないの?


 そんな俺の様子に気付いたのか、レーナさんは指で目元を指していった。


「イロリは照れると目元がすこーし下がるんだよ。分かりにくいよね~」

「レーナ」

「えー? このくらいいいじゃん。そんなに怒らないでよ~」


 いやいやいや。今の怒ってるの??? 声のトーンも表情もフラットで全く違いが分からないんだけど??? なんならむしろいつも怒ってるようにも見える。

 さすが母親というべきか。レーナさんは彩莉のほんの僅かな違いでも、感情の機微に気付けるのだろう。


 それと同時に、自分の愚かさを知った。


 俺は彩莉の感情を、自分の推測でしか量ろうとしていなかった。僅かな変化があることに気付こうとしていなかった。

 それもそうだ。俺はずっと彩莉から目を逸らしていた。そんな俺が、彩莉の変化に気付けるはずもない。


「ねえ、りっくん。今日の夕飯、青椒肉絲と麻婆豆腐どっちがいい?」


 結局三人で帰路を共にし、家まで僅かなところまできたところでレーナさんが言った。


「俺は麻婆ですね」

「青椒肉絲」


 俺の後に彩莉も続いて言う。どうやら意見が割れてしまったようだ。


「ダメよー。イロリは絶対青椒肉絲っていうからりっくんに聞いたのに」

「彩莉、青椒肉絲好きなんですか?」

「イロリはピーマン大好きだからね。残念だけど今日の夕飯にピーマンは出ませーん」


 そうだった。昔から彩莉はピーマンが好きで、まだ俺が幼いころは苦手だったから全部食べてもらっていたのを思い出した。


 幼馴染とはよく言ったもんだ。

 本当に俺は、彩莉の何を知っているというんだろう。


「そんなに拗ねないでよー。明日はピーマンのおかず作ってあげるから」


 無表情で歩く彩莉にレーナさんは諭すようにいう。


 はあ……やっぱり分からんな。今ので拗ねてるんだ。


 でもまあ、彩莉もご飯のおかずくらいのことで拗ねたりするんだな、とそれだけで。少し彩莉のことを知ったつもりになった自分がいた。



 ***



 普段は盛り上がりを見せる楽しい空間も、今の私には誰かが歌う大して上手くもない歌声が雑音に聞こえる。


「あ……杏音ちゃん。何か歌う?」


 クラスの男子が控えめな感じで私に電子目次機を差し出す。


「あ、私はいいからみんな入れちゃって」


 それを愛想笑いでやんわり断りを入れた。


「いやー、珍しくめっちゃ不機嫌じゃないですか」


 友人のみうちがそんな私の心境を察して肘で突いてくる。


「別に機嫌は悪くないよ。ただ、歌う気分じゃないだけ」

「それを不機嫌と呼ぶんだよねー。いつもは曲連投するくせに」

「そうそれ! やっぱりこんなに大勢だと歌いたい曲歌えなくてテンション下がるよねー」


 クラスの親睦会には結局13人が参加した。全員が入れる部屋が無かったので、7対6で別れて2部屋借りている。


「不機嫌な理由はそれじゃないくせに」


 私はみうちの指摘に肯定も否定もせずに黙って飲み物に口をつけた。


 理人に彩莉と一緒に帰れるように後押しをしたのは私だ。だってそうでもしないといつまでも動き出さなそうだったから。

 本当に父親とその娘を見送るような心境だった。


 それでも――――彩莉が理人の腕を組む姿を見て、今までにない感情が沸き上がってきたのは確かだった。


 いつまでも、もやもやしていても仕方がない。


 次の週末にでも、彩莉と二人で出かけるかな。


 そんなことを想いながら、私は電子目次機へ手を伸ばした。

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