第7話

 新学期が始まって一週間が経った。


 それぞれが新しい環境にほどなく馴染み、どことなく緊張感は残しているような空気がふわふわ漂う。大きく変わったことと言えば、学校へと続く桜並木が桃色の絨毯を引き、木々は緑に染まったことくらいだ。


 時間と共に、何かが少しずつ変わっていく。


 それでも、俺と彩莉の距離は全く変わっていなかった。



 昼休み。自動販売機で買ったコーヒーを持って、三階廊下の窓から中庭を眺める。


 人気の少ない隅のほうにある木陰のベンチ。昼休みの彩莉は決まってここに座っていた。それが当たり前とでも言いたげなほど、いつも一人でそこにいた。

 高校に入っても変わらず孤高の氷姫は、このベンチでボーっと過ごしたり、スケッチブックに絵をかいたりしていた。


 学校は楽しいか? そんな質問を投げかける気すら起きない。少なくとも、昼休みの彩莉を見ていて、高校生活を謳歌しているようには見えなかった。


 中学時代も一人で過ごしてきた彩莉は、そもそも学校生活を楽しもうと思っていないのかもしれない。それでも、こうやって彩莉の姿を見ていると、どうしてか胸が苦しくなるのだった。



「そんなに心配なら声掛けてくればいいのに」


 いつの間にか隣にいた杏音が中庭を見下ろしながら言う。


「別に心配なんてしてねーよ」

「毎日、飲み物買ってくるって言ってわざわざ彩莉の姿を確認しに行ってるクセに?」


 さすがにこうも連日だと杏音には勘付かれていたか。これ以上は何を言っても言い訳になってしまう。


「いや……まあ、俺なんかに声掛けられても嬉しくないだろ?」


 だからこうやって、遠目で見守ることしか出来ない。


「さあ? 私は彩莉じゃないから分からないよ」

「せめて話し相手の一人でも居てくれると安心なんだけどな」

「それは私も思う。でもなかなか居ないんだよね。彩莉と対等に話せる相手が」


 孤独ではなく孤高。少なくとも中学時代には、彩莉の理解者は現れなかった。偏差値も高めのこの高校でそういう相手が見つかればいいのだが。


「あ、男の子二人が彩莉に話しかけに行ったよ」

「ああ? なんだと?」


 杏音の声に反応して、俺は中庭に視線を落とす。

 すると割と遊んでそうな雰囲気のチャラそうな男子が彩莉に迫っていた。


「誰だアイツら? 彩莉に気安く話しかけてんじゃねえぞ」


 憤りを抑え込むように拳を強く握る。


「彩莉に話し相手が欲しいんじゃないの?」

「男はダメだ。ましてやあんなチャラそうなやつらは論外だ」

「ホント、過保護だなぁ」


 しかしその男子二人は彩莉と一言二言話した後、ガックリ肩を落とし去っていった。


「ああー……分かるわぁ。彩莉の拒絶って結構精神的にくるんだよな……」


 項垂れる彼らと自分を重ね、思わず目頭を押さえる。


「なんか……理人が本当にお父さんに見えてきた」


 俺たちは結局そのまま、彩莉が中庭から居なくなるまで見守り続けた。

 俺が彩莉の隣に立てるのならどんなにいいことか。


 でも、俺じゃダメなんだ。俺なんかじゃ、隣に立つには相応しくない。



 その日の放課後、久能の一声で新しいクラスの親睦を深めようということでカラオケに行くことになった。

 集まったのは男女合わせて十数人ほど。運動系の部活の奴も、まだ新入部員が入ってきていないからと言って参加してきた。俺もクラス委員長だからと断りにくい流れを持ち出され参加することに。別に断るつもりはなかったが。


 教室を出るころに既にハイテンションの盛り上がりを見せ、みんなで固まって移動する。


 そんな大勢で校門に差し掛かった時だった。


 通り過ぎる生徒みんなが必ずそちらに目線をやる。そのくらい注目を集める人物が校門横に静かに立っていた。

 その人物は俺たち2年7組の集団を見つけると、ゆっくりこちらへ近づいてくる。


 彩莉だった。そして、俺の目の前で足を止める。


「……お兄ちゃん、一緒に帰ろ」


 彩莉は真っすぐ俺の目だけを見つめてくる。


「おお、妹ちゃんじゃん」

「やっぱり近くで見ると可愛いねー」

「ええ? インチョー、カラオケはぁ?」


 そんな外野の言葉なんて全く聞こえていないふうに、視線は俺だけを見据えていた。


 どうして俺なんかと――――? あまりにも突拍子もない出来事に頭が真っ白になる。


 何か理由があるはずだ。少なくとも、ここで断る選択肢はない。

 すぐにそう判断するも、なかなか声に出せなかった。


「いいじゃん。一緒に帰ってあげなよ」


 そう後押ししてくれたのは杏音の言葉だった。


「あ――――悪いみんな。俺、先に帰るわ」


 クラスのみんなに一言だけそう告げると、俺は彩莉と並んで歩き出した。背後からなにやら言っているが、もう俺の耳には届いていない。

 隣を歩く彩莉は真っすぐ前を向いていた。何かを語り出す雰囲気もない。


「急に一緒に帰ろうなんて、どうしたんだよ?」


 沈黙に耐えられず質問を投げかける。しかし、返答によっては大いに傷つく可能性もあったので、言わなければ良かったと少し後悔した。


 彩莉は質問には何も答えず、歩きながら俺の腕を取る。そしてそのまま抱きかかえるように密着してきた。


「!!!????」


 ここまでイレギュラーの連続だと驚きの声すら出ない。


 それに校門を出てからまだそんなに歩いていない。他の生徒もいるし、クラスの連中も視界から外れるほど離れてはいないはずだ。


「い、彩莉……これはマズいだろ……」

「……なんで?」

「いや、だって周りの目があるし、さすがにくっつきすぎじゃないか……?」

「そんなの、見せつけてやればいいニャ」


 その瞬間、テンパり気味だった俺の思考がすーっとクリアになっていく。

 彩莉の顔を見て目が合うと、不敵にニヤリと笑った。


「にゃっは~」

「お前!! ネコか!!!???」

「おお? 気付かれちゃったかニャ? 出来るだけバレないようにしてたんだけどニャ」

「くっ……離れろ……」


 腕を振り払おうとするも、異様な力強さで腕を動かすことすらままならない。


「観念するニャ。お兄ちゃんはこのままネコとくっついたまま帰る運命ニャ」


 物理的にこのまま歩くことを強制されているので抵抗するのを諦める。


 いや、しかし――――終わったな……。


 ざっと周りを見てもこの状況の目撃者は少なくなさそうだ。下手すると明日には学校中の話題になっていることだろう。


 俺は誰に何を言われてもいい。


 でも――――彩莉は……。


 そんな先のことを思うと、心の中でクソでか溜息が漏れた。

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