第6話

 始業式が始まった。


 いつも通りの退屈な式で、普段なら欠伸でもして時間が過ぎるのを待つだけなのだが、一瞬にして緊張が張り詰める場面が訪れる。


 新入生代表の言葉、その大役を務めていたのが彩莉だったからだ。


 ウチの高校は偏差値が高めの進学校で、その合否は入試の結果でのみ決まる。通例として、毎年この役は首席合格者がやることになっていた。


 彩莉……こんな大勢の前で喋れるのか? 俺の不安を他所に彩莉は登壇する。


 終わってみればなんてことなかった。


 張りはないものの、マイク越しでなんとか聞き取れるほどの声量で、当たり障りのないテンプレートを無感情で読み上げてその役を全うした。

 彩莉が下がる姿を見たときには、まるで自分がその役目を終えたかのようにホッと胸をなでおろしていた。


 そして、その緊張がほぐれるまで気付かなかった。全校生徒が隠しきれないくらいザワついていることに。

 耳を澄ますと聞こえてくるのは彩莉の話題。日本人離れした妖艶な容姿に注目が集まっていた。首席合格するような秀才が、その容姿も優れていたのだから噂されないわけがない。


 入学早々、注目の的になってしまったことが俺の不安の種になったのは確かだった。


「彩莉が心配?」


 始業式が終わり教室へ戻る途中、杏音がそんなことを聞いてきた。


「まあ、あれだけ注目されてうまくやっていけるのかってのはあるな」

「あー……なんだろう。なんて言ったらいいんだろうなあ……」


 うーんと杏音は少し考え込む。そして思いついたようにパッと顔を輝かせた。


「そうだ! 思春期真っ盛りの娘とその父親!」

「なんだよ、それ?」

「いまの理人と彩莉の関係」

「いや、兄妹にはなったけど父親ってわけじゃないだろ」

「一週間後くらい唐突に「学校は楽しいか?」とか聞いてそう」

「それは……いや、聞きそうだな……」


 杏音は廊下に響き渡るほどの笑い声をあげる。表現が的確過ぎて俺も内心苦笑いした。


 俺の彩莉を見る目って父親目線なんだろうか。


「彩莉ならそんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 なんてことないように杏音がいう。


「いや、何があるかわからないだろ?」

「うーわ。ガチ父親目線引くわー……」

「くっ……」


 そこを攻められると何も反論できなくなってしまう。


「彩莉は流されない。だから大丈夫だよ」


 そして俺は杏音のこの一言で、納得させられてしまうのだった。



 教室に戻った俺に真っ先に詰め寄ってきたのは上地だった。


「ねえ、伊月くん。さっきの新入生代表のコ、ダレ?」


 名字が同じになったことで、いずれ誰かに聞かれるとは思っていたがこんなに早く聞かれるとは。特に隠すつもりはなかったので正直に答える。


「妹だよ」

「え? 伊月くん妹いたっけ!?」

「この前親が再婚して妹になったんだ」

「マジで!?」


 上地は慌てて杏音の元へ駆け寄る。


「ねえ杏音! 伊月くんにあんな可愛い妹できたって知ってたの!?」

「知ってるも何も、彩莉は私と理人の幼馴染だよ」

「え……? ちょっと幼馴染が渋滞しててよくわかんない」


 困惑する上地に杏音は俺たち三人の関係を簡単に説明した。


「へー、そうなんだー。へー」


 どこか納得していない様子で上地は俺を細めで見る。


「その目、なんか言いたげだな」

「べっつにー。学校では杏音とイチャついてるくせに、家ではあのコと同じようにしてるのかと思ったら随分、随分だなーと思って」

「なんだその日本語。それに俺と彩莉はそんなんじゃねえよ」

「えー? 杏音、ホントー?」

「過保護な父親と思春期の娘みたいな関係かな」

「それってメッチャ嫌われてるってことじゃん!! 一緒に暮らしてて大丈夫?」


 上地は心配そうに俺の顔を覗き込む。


「うるさいな。嫌われて……ぅかもしれないけど心配されるほどじゃねえよ」

「まあ、確かに。可愛かったけど近寄りがたい雰囲気は出てたよね。強く生きろよ!」


 上地は、あははーと笑いながら俺の肩を叩いた。

 今後も彩莉とのことでアレコレ言われるんだろうな。そう思うと少しだけ気が滅入る。


「なんか終わったような顔してるけど、この話まだ終わってないからな」


 次に切り込んできたのは久能だった。後ろに男子数人を引き連れている。


「まだなんかあるの?」

「いや、話は聞かせてもらったけど、嫌われてるならはいそうですかで終われないんだわ」


 後ろの男子もうんうんと頷く。いや、お前たち誰だよ。まず名乗れ。


「思い出すのは一年前。今と同じ桜が舞う季節だった」


 なんか語り出したぞ。できれば手短にしてくれ。


「新環境に対する不安を希望に変える一縷の光が差し込んだ。それがなんだか分かるか? いや、伊月には分からないだろうな。それは杏音ちゃんだ」


 ダメだ。これ長くなるやつ。この先は聞き流しても良さそうだ。


「こんな可愛い子と同じ学校になれるなんて俺たちは幸せものだ。そんな考えが一瞬過ぎったが、そんな想いもすぐに崩れ去る。それは伊月。お前が常に杏音ちゃんの隣にいたからだ。俺たちは苦しんだ。すぐには受け入れられず杏音ちゃんに告白する奴も続出するがすべて玉砕。それでも現実は目の前にある。お前たち二人のことは時間がかかったが、何とか受け入れた。もう俺たちの目は新一年生に目が向いていたから。そして今年も光を超える逸材が現れた!! と思ったらまた伊月か!? しかも妹で一つ屋根の下で暮らしているだと!? そんなの嫌われていようが関係ねえ! こいつを許してやるべきか!!」


 久能が拳を突き上げると後ろの男子も同じように拳を突き上げる。


「……茶番は終わったか?」

「とまあ、全男子の気持ちを代弁してみたよ」


 久能は先ほど語った熱量はどこに行ったのかサラっと答える。気付くと後ろにいた男子は教室のどこにも居なくなっていた。いや、他のクラスだったのかよ。


「で、許さないならどうするつもりなんだ?」

「まあ、僕としてはどっちでもいいんだけど、何かしらないと納得しない男子は多いと思うけどね」


 そして久能はぐるりとクラスを見回す。


「これは僕からの提案なんだけど、この伊月理人を2年7組のクラス委員長に任命したいと思う!」

「いや、俺がクラス委員長って……」

「賛成者は盛大な拍手を!!」


 久能の声に反応してクラス中に拍手が響き渡る。


「ちょ、ちょっと待って! こんな俺みたいなヤツ選んだってクラスにいいことないからちゃんと考えた方がいいって!」


 それでも拍手は止まない。男子だけじゃなく、女子も盛大な拍手を俺に送っていた。


「俺のこと知らない奴もいるだろ? こんな適当なやり方で決めたら絶対後悔するって!」

「伊月のことを知らない奴なんてこの学年にはいないよ。この拍手は、キミが昨年勝ち取った信頼の証だ」


 久能の言葉に深い溜息を吐く。


 鳴りやまぬ拍手に、俺はこの提案を受け入れざるを得なかった。

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