第5話

 ネコの一件があってから、彩莉と言葉を交わすことはなかった。それどころか、夕飯の時も視線すら合うことがない。


 翌朝も結局顔を合わせたのはほんの僅か。俺の登校時間でも充分余裕があるのだが、彩莉はその30分も前に家を出ていた。行き先が同じだから時間が被れば一緒に登校するような形になってしまう。これは明らかにそうならないように避けられているとしか思えなかった。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー…………」


 肩を落とし、この世の終わりみたいな深い溜息を吐く。


「新学期早々、この世の終わりみたいな溜息吐くのやめてくんない?」


 始業式へ向かう通学路。隣を歩く相方から的確なツッコミが飛んでくる。付き合いが長いと感覚が似てしまうものだな。


「まあ、どうせ彩莉とうまくいってないとかそういうことなんだと思うけど」

「そうなんだよ! 聞いてくれよ、杏音!」

「やーだ、聞きたくなーい。ていうか聞かなくても大体わかる」


 面倒くさそうに言いながら、ミディアムボブの跳ねさせた毛先をいじっているのは長嶺杏音ながみねあのん。俺のもう一人の幼馴染だ。当然、彩莉とも同じだけの付き合いがあり、俺たちは三人で幼馴染ということになる。


「本当に分かるのか? 言ってみろよ」

「一週間ろくに会話もなくてどちらかと言えば避けられてる。むしろ嫌われてる感じすらしてどう接していいか分からない、っていう感じかな」

「お前、天才かよ」

「今までのアンタたち見てたら分かるわよ」


 杏音ははぁ、と軽く溜息を吐く。


「まあ、仕方ないから愚痴くらいは聞いてあげるわよ。私の方がおねーさん、だしね」


 杏音は不敵にニヤリと笑った。


「一日しか早く産まれてないくせにこういうときばっかりお姉さんぶるんだよなあ」


 杏音とはそれこそ保育園、小学、中学、高校一年とずっと同じクラスだった腐れ縁。疎遠になった彩莉とは違って、今でも登校は一緒に行くくらいには仲良くしていたりする。


「まあ、聞いてくれるというなら話してやらないでもない」


 学校に向かう道の最中、俺はここ一週間の顛末を杏音に話した。


 それら話の中で、昨日の彩莉がネコに取り憑かれた一連の話はしなかった。

 今でもやはり夢じゃなかったのかと思うような出来事だったし、もう終わった話なのでする必要性もないと思った。



 学校に着くと校門先に人だかりができていた。何やら一喜一憂して盛り上がっている。近づいていくと、それが新しいクラス発表の掲示板だということが分かった。


 その人だかりの中から、するりと抜け出てきた友人の姿を見つけた。


「よう、久能。新しいクラスどうだった?」


 俺は近寄り声を掛けた。杏音もおはよーとにこやかに手を振っている。


「やあ、伊月に杏音ちゃん。新学期早々、相変わらず仲いいね」

「そういうのはいいんだって。で、クラス割りどうだった」


 久能は俺と杏音を交互に見ると、ふっ薄笑いを浮かべる。


「あー……いや、自分の目で確かめて来たら?」

「なんだよ? その含みのある言い方は」

「まあ、とりあえず、また一年間ヨロシクね」


 俺の肩をポンと軽く叩くと、久能はそのまま校舎の方へ歩いて行った。


「……同じクラスならそういえばいいだろ」


 校舎の中へ消えていく友人を眺めなら呟く。


「ねえ、理人。私たちもクラス見に行こうよ」


 杏音は早く早くと俺の手を引く。人だかりをかき分け掲示板の前にいった。


「俺は……7組だな。杏音は?」

「うん。私も7組」

「やっぱり……また一緒か」

「まあ、選択科目同じだからその可能性はあるとは思ってたけど……」

「「…………」」


 俺と杏音は同時に顔を合わせる。


「「はあ…………」」


 そしてまた同時に溜息を吐き、肩を落とした。


 

 2年7組の教室に行くと半数以上の生徒が集まっていた。1年のときと同じクラスだった奴も数人いるが、ほとんどが名前も知らない生徒ばかり。

 選択科目が同じだとは言え、全部で10クラスもあるのでさすがに今年は別々のクラスになると思っていたのだが……。


「もう、理人の顔見ながら授業受けるの飽きたんですけどー」


 杏音が机に突っ伏しながらダルそうに言う。ちなみに座っているのは俺の席なので、俺は理不尽に立たされている。


「いつも俺の顔見ながら授業受けてんのか?」

「視界に入るのが嫌って意味ですー」

「ああ、それ分かるわ。まあ、でも慣れ過ぎて空気感あるけどな」

「はあ? 私みたいな美少女を空気扱いすんなし」


 杏音はぷくっとむくれる。


「はいはい。杏音はいつも可愛いですよ」


 ぽんぽんと頭を軽く撫でてやると、えへへーと表情を緩ませた。


「いやあ、相変わらずだね、お二人さん」


 後から教室に入ってきた一人の女子が俺たちに声を掛ける。


「ああー! みうち! また一緒で嬉しい!」


 杏音は座ったままその女子の腰に抱き付く。

 声を掛けてきた女子は上地美羽かみちみう。久能と同様、一年の時からのクラスメイトだ。去年は俺と久能、杏音と上地の四人でいることが多かった。


「はは、花畑みたいなクラスになっちゃったね」


 連れて久能も俺らの周りに寄ってくる。


「ホント。こんだけ甘い空気流されると、ねえ」


 久能と上地は視線を教室の端へ移す。

 そこには学年一のラブラブカップルと評されている木村と坂巻の姿があった。


「ああ。あの二人も同じクラスなのか」


 去年は隣のクラスだったが、廊下でも引っ付いてイチャイチャする姿をよく目にしていた。今もじゃれ合いながら二人だけの世界を形成している。


「へえ、今年はもっと間近で見せつけられちゃうのかあ」


 杏音も机に突っ伏しながらそちらを見ながらいった。


「杏音。それは去年間近で見せつけられ続けたアタシ達に対する嫌味かな?」


 上地は顔を引きつらせて杏音に迫る。


「えー? それ私たちのこと言ってる? 何度も言ってるけど私と理人はそんなんじゃないんだってー。ただの幼馴染」

「そうは言うけどね。垂れ流してるオーラが木村坂巻ペアと変わらんのよ。あっちは初々しい新婚カップル。アンタたちはなんでも通じ合う熟年夫婦カップルなんて言われてるんだから」


「「へえー」」


 俺と杏音の関心がなさそうな声が被る。


「もう! 久能からもなんか言ってよ!」

「あー、僕はもう慣れたかな。ずっとこんな感じだっていうならそれでいいじゃん」


 俺と杏音はよく「付き合ってるの?」とか「それで付き合ってないの?」と言われるが、まあ結論として恋人同士のような付き合い方はしていない。付き合いが長すぎて距離感がおかしくなっているのは認めるが。


 今後も俺たちの関係が変わるようなことはないだろう。



 だって――――俺は、杏音に一度フラれているのだから。

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