第3話

「ネコはオバケニャ」


 その一言で、先ほどまで笑っていたネコの雰囲気が変わる。


「オバケ……? 幽霊……みたいな感じか?」

「そうだニャ。今はイロリちゃんの身体に取り憑いているネコの幽霊ニャ」


 取り憑いている、ということは、やはり身体はイロリのもので間違いないみたいだ。


「そうか。だとすると、何が目的で彩莉の身体に取り憑いた?」

「目的? そんなものは決まってるニャ」


 ネコは不敵にニヤリと笑う。


「お兄ちゃんに甘えるために決まってるニャーー!!」


 そう言いながら勢いよく抱きついてくる。今度は頬に頬を摺りよせてきた。

 ちょっと待て! 近い近い!! 近過ぎる!


「だああああ!! 離れろ!!」


 密着してきたネコを引きはがす。


「彩莉に取り憑いた悪霊め! お前なんか除霊してやるからな!!」

「お兄ちゃんはネコにくっつかれるのがイヤなのかニャ?」

「べ、別に嫌なわけじゃないけど…………」


 見た目は彩莉なので、こんな美少女にくっつかれるはむしろ喜ばしい事なんだが、実際の俺たちの関係からすると色々問題が多すぎる。

 中身が彩莉じゃないにしても、やはりここは抵抗してしかるべきところだ。


「それに除霊は辞めておいた方がいいと思うニャ」

「なんだ? この期に及んでやはり成仏するのは嫌なのか?」


「成仏が嫌とかそういう話じゃないニャ。こうやって憑依している状態はネコの魂とイロリちゃんの魂は非常に強い結びつきがあるニャ。そんな状態でネコを成仏させようとしたらイロリちゃんの魂にまで影響が出てしまうニャ」


「くっ……除霊が出来ないなんてっ……。……救いは、ないのか……?」


 突きつけられた現実に打ちひしがれる。ていうかコレ現実なの? まだ半分以上夢だと思ってるんだけど。さらっと除霊とか言ってみたけど、どうすればいいか全然わからないし。


「にゃっは~。救いなんてないニャ。だからさっさと現実を受け入れるニャ」


 追い打ちをかけるようにネコは言う。これが現実だとして、そう簡単に受け入れられるような状況じゃない。


 いや! 違うだろ! これが現実か夢かなんて関係ない。とにかく俺は彩莉のために出来ることをやるだけだ!


 俺はネコの両肩をガシッと掴んで真顔で向き合う。


「頼む! 頼むから彩莉の中から出て行ってくれよ! せっかく本当の家族になれたんだ! 俺たちはこれからなんだよ! それなのに……一生取り憑かれた姿だなんてあんまりじゃないか!!」


 目に涙を浮かべながら懇願する。今の俺にとって出来ることはこの程度のものだった。


 しかしネコは真摯に向けた俺の視線からフイっと目を逸らした。


「い、いや~。一生このままっていう話はしてないニャ」


 俺の掴んでいた手を振りほどき、少し申し訳なさそうにネコは言う。


「確かに言ってない。え? 違うの?」

「さっきも言ったニャ! ネコはただ兄ちゃんに甘えられればいいんだニャ! 満足したら身体はイロリちゃんに返すにゃ! だからお兄ちゃんはつべこべ言わずに甘えさせてくれればそれでいいんだニャ!!!」


 ふしゃーー!! と威嚇するような様子でネコ言う。彩莉が怒ったらこんな表情になるんだな。これはこれで可愛い。


「最初からそう言ってくれればいいだろ!」

「なかなか甘えさせてくれないし除霊とかいうから話がややこしくなったニャ!!」


 まあ確かに。目的を聞いた時点で終着点もハッキリさせておくべきだった。

 しかしこれで俺がやるべきことが明確になったわけだが――――


「そ、それで……甘えさせる……って、俺はどうしたらいい?」

「さっきみたいに頭撫でたりしてくれればいいニャ」

「そのくらいならまあ、なんとか」

「でも今は熱いハグを要求するニャ」


 両手を大きく広げて俺を受け入れる態勢を取る。


 ハグ……ここで彩莉を抱きしめるというのは抵抗があるが、身体を取り戻すためには仕方がない。そう言い聞かせながらそっとネコの元に身体を近づける。


 しかしネコの身体に触れる手前で動きを止めた。


「なあ。もし身体が戻った時に彩莉はこのときのこと覚えているのか?」

「今のイロリちゃんの精神は寝ている時と同じような状態にあるニャ。だからネコが憑依している時のことは何にも覚えてないニャ」

「……それなら大丈夫か」


 本当の彩莉がこんなことを望むはずがない。どちらかと言えば嫌がるはずだ。だから俺がこんなことをしただなんて彩莉に知られるわけにはいかなかった。

 覚えていないなら仕方ない。これは彩莉の身体を取り戻すための正当防衛だ。


 再びそう自分に言い聞かせながら、ネコの取り憑いている彩莉の身体に腕を回した。


 細くて華奢な身体が包まれる。少し力を入れてしまえば折れてしまいそうなほどだった。


 彩莉の身体から伝わる優しい香りと温もり。それを0距離で感じ、どうしても愛おしくなってしまう。


 俺がずっと守りたかったものはこれなんだと、抱きしめたまま優しく頭をなでた。


「……お兄ちゃん」


 俺を抱きしめるネコの力が強くなる。

 叶うのならばずっとこのままで――――。

 そう願うもこれはきっと、現実の夢の中なんだ。

 彩莉が身体を取り戻したら醒めてしまう儚き夢。

 それでも、夢のうちはこのままで――――。


 次第に俺を抱きしめるネコの力が弱くなり、寄りかかる重みが増していた。


「ネコ?」


 少し身体を離し、顔を窺うとネコは気持ち良さそうに眠りについていた。ふにゃあと言いながらよだれを垂らしている間抜けな表情は、とても普段の彩莉からは想像もつかない。


 起こさないようにゆっくりベッドに寝かせ、寝顔を眺める。


「これで少しは満足してもらえたかな……」


 絹のようにきめ細かな髪を撫でた。


 すると純白の髪がみるみるうちに元の栗色に変色していく。猫耳や尻尾も薄くなり消えていった。


「これは……彩莉に戻った、ってことだよな?」


 一瞬安堵するも、決していいことだけでないことは確かだ。このまま彩莉が目を覚ましてしまったら、俺の部屋にいるこの状況をどう説明したらいいか分からない。


 とりあえず目を覚まさないうちに彩莉を部屋に戻すしかないだろう。


 彩莉の身体を抱きかかえる。線が細くて華奢な身体は、綿のようにふわりと持ちあがった。


「………………兄さん?」


 そして、瞼の上がった彩莉とバッチリ目が合う。


 ダメだったかーーーーーーーーーーーー。


 目を逸らすように、俺は思わず天を仰いだ。

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