第14話



 結局、その後の定期試験は、特にトラブル無く終了する事ができた。

 試験明け、平常日程に戻って初めての昼休み。俺は美祈さんの家に足を運んだ。

 トイレを借り、礼を言おうとリビングに顔を出したら、何故か赤坂が待ち構えていた。


「相変わらず、人様のトイレ借りといて偉そうな顔だね」

 赤坂は椅子に腰かけ、美祈さんと一緒にワイドショーを見ている。いや、何で?


「先回りしてくつろいでいる赤坂に言われたくないよ。ていうか、ここ人ん家だよ?」

 隣を窺うと、美祈さんはすっかりテレビに見入っていた。FPSは飽きたのかな?


「まあいいわ。この前の続き」

「本当に協力してくれるのかよ……」

「だから、こっちが困るからだって言ってるじゃん。ギブアンドテイクってやつ?」

 赤坂は組んでいた足を組み替える。


「ていうか、私なりに解決策を考えたんだけど……一之瀬って、ぶっちゃけクラスだと風晴君以外はろくに仲の良い人いないよね?」

 いきなりの友達いないでしょ発言である。俺は返す言葉も無く押し黙る。

 しかし、言われてみれば、入学してから俺がまともに会話できているのは諌矢だけだ。

 この冬青高校は男女混合の名簿であり、席順もそれに倣っている。俺の周囲の男子は左前側にいる川村君だが、彼は普段、更に左隣の男子と仲良くおしゃべりをしていて、会話をする機会は全く無い。

 更に、彼らは運動部に所属しているらしく、内輪感バリバリのトークばかり。

 そんな集団に首を突っ込めるほど、俺のコミュニケーション能力は強靭じゃない。


「ていうか、風晴君は親友じゃないの?」

「いや、あいつは……」

 赤坂は確認の為に問いかけてきたのだろうけど、俺は口ごもってしまった。

 確かに、諌矢は俺とも仲がいい。トイレに行けないという俺の悩みも把握済みだ。


「でも、あいつは基本的にはリア充のグループに所属しているんだよ。別にいつも俺とツルんでる訳じゃない」

 一方の俺は親友と言える間柄の人間はいない。今までだって、ずっとそうだった。

 関わった人間とはいつも良好な関係を築けてはいたけど、一期一会みたいな間柄ばかり。

 結局の所、他者から見た俺という人間は、いつも知り合い以上友達未満で終わっている。


「あいつらには学校以外でも繋がりがある。でも、俺には無いんだ」

 同じ小学校出身の昔からの幼馴染。部活や塾といった、授業以外で多くの時間を共有してきた仲間。彼らが築く強固な絆を割って踏み込む勇気は俺に無い。

 それら幼少期からの体験談も交え、改めて赤坂に説明する。


「だから?」

「いや、だからって言われても……」

 問い続ける赤坂から目を逸らす。

 何なんだろう……懇切丁寧、真心込めて説明しても、真っ向から粉砕される。これじゃ会話の一方通行だ。


「今更、この根性はどうにもできないんだよ。多分、高校三年間も同じような感じで終わる」

「あんたを見てると、ストレスで腹が痛くなるっていうのも、分かる気がする」

 赤坂はそう言って、眉間に手をやる。


「周りは誰も気にしてないのに……」

「余計なお世話だよ……」

 一言ずつ俺のアイデンティティを破壊する言葉を交えてくるのは、こいつの趣味なのか。


「分かった。じゃあ、一之瀬。あんたの友達作りをアシストしてやってもいいわ」

 赤坂は一人頷き、納得したように俺を見上げた。その鋭い眼差しに思わずたじろぐ。


「私が言うクラス内のポジションを目指せば、きっと自然と打ち解けるわよ。いいわね?」

 まるで、人付き合いを知り尽くした経験則から言っているようだ。

 赤坂の言葉はそれくらい確信と自信に満ち溢れていた。俺は思わず居住まいを正す。


「分かったよ、クソ。聞いてやろうじゃないか。」

 さて、どんな金言が飛び出してくるのだろうか。

 赤坂はもったいぶって咳払いする。俺も耳を立てて身構える。


「いい? あんたがこれから目指すのは……『うわあ、やっば! ウン〇したいからトイレ行ってくるー』っていうノリで、他人を気にせず堂々とトイレに行く。そういうポジションよ」

 俺の物真似を交えてながら、赤坂は台詞の部分を言って見せる。


「どう? よくない? いいでしょう?」

 呆気にとられる俺。赤坂は少しだけ頬を赤くしている。

 恥ずかしいなら変な物真似しなくていいのに。一人ワイドショーを見ている美祈さんを余所に、微妙な空気が流れる。


「だって、この前も言ってたじゃない。好きな科目の時は腹が痛くならないって。つまり、友達作ってクラスの立ち位置がマシになってストレスが軽減されたら、自然とお腹だって痛くなくなるんじゃないの?」

「気持ちの問題って事か?」 

「そうそう。スポーツの試合でも応援してくれる人が多いホームチームの方が有利でしょ? そんな感じ」

 余程自信があるのか、赤坂は明朗快活に言ってのける。


「まあ、確かに言いたい事は分かるけどさ……」

 俺は同意しつつも首は振らない。

 楽しい時間だと腹痛にならないのは自覚している。この体質がストレス由来なのも本当だ。

 でも、俺がリア充になって騒いでいる姿が想像できない。


「それ。いいかもっ」 

 しかし、赤坂の提案を聞いていた美祈さんは、どこか楽しげな顔。


「ナツもリア充なっちゃいなよ。お姉さん応援してるからねっ!」

「嫌です」

 俺は即答した。


「そもそも、そんなの俺のキャラじゃない」

 俺はいつも目立たない一生徒に過ぎない。いきなり変な発言をしたら浮いてしまう。


「だから、そういう事を冗談で言い合える友達を作れつってんじゃん。クラス内のポジション上げろつってんじゃん。一之瀬はもっと他の人と関わった方いいよ?」

 赤坂は強い口調で続ける。壁の時計はまだ昼休みの半分に差し掛かるところだ。


「分かった、分かったけどさ。ちょっと待って。一つ言わせてくれ」

 少し、熱が入った所で、俺は赤坂に向き直る。


「でも――そういう赤坂だって、たいして話し相手いないよな?」

「は?」

 頬杖をついたまま赤坂が口だけ小さく開く。思わぬカウンターだったらしい。

 実際、赤坂はそれなりに皆と会話はしていても、どこかの派閥に属している訳ではない。

 見た目は華やかで一見気さく。

 でも、それは仮面を被った姿であり、真の親友などいない。それが俺の見解。


「別にいいし。女子同士の人間関係って逆にめんどくさいし、今くらいで私は満足してるの」

 しかし、俺が突っ込んでも、赤坂は全く動揺しない。


「とにかく、目の前の問題に取り組めばいいって話。人の心配なんかしてバカじゃない?」

「環季ちゃんって本当にナツの事、ちゃんと見てるのね」

 一方の美祈さんは天使みたいなふわっとした笑みを浮かべていた。窓から差し込む真昼の陽光もあってか、このまま翼が生えて天井通り抜けて昇天しそうな程に神々しい。


「え、いや……私は別に」

 その緩すぎるオーラに、赤坂は調子を崩して狼狽えている。何か頬も赤い。


「そうだ。せっかくだし、アップルパイ食べない? 作っておいたの」

 そんな赤坂をガン無視し、席を発つ。スリッパのバタバタ音が昼下がりのリビングに響く。


「きっと美味しいわよ~。親戚の農家からもらった、とっておきの林檎なんだからっ」

「え!? アップルパイですか!?」

 甘党なのだろうか。アップルパイという単語に興奮を隠しきれていない様子。

 普段見せないような無邪気な笑みを浮かべてキッチンを覗き込んでいる。


「ええ~、林檎? いいよ。もう」

 一方の俺は、林檎はそこまで好きじゃない。

 収穫シーズンになると、美祈さんの物と同じ農家の親戚から箱単位で大量に送られてくるからな。

 寧ろ、食卓やテーブルの上に常に林檎が乗っかっているのでうんざりする。


「は? 林檎は青森の特産物よ。それを否定するなんて、あんたそれでも県民なの?」

 赤坂は言うけれど、事実は事実だ。

 別に青森県に限った話じゃない。蜜柑が苦手な和歌山県民や、小さな頃からうどんをゴリ押しされ過ぎて、逆に蕎麦派になってしまった香川県民だっているかもしれない。

 しかし、それよりも何よりも、軽視できない問題は別のベクトル上に存在していた。

 林檎は栄養だってあるしジューシーだし、ジャム洋菓子カレーの隠し味まで汎用性は高い。しかし、それはあくまでも普通の主婦が作る料理での話。


「赤坂さ、アップルパイが本当に出てくるとでも思ってんの?」

 つまり、俺はこう言いたい――美祈さんの料理スキルはやばいのだと。


「手作りのご馳走よ? 頂かないと逆に失礼でしょ。それに、据え膳食わぬは男の恥って言うじゃない?」

「お前女だろ……」

 事情を知らない赤坂はドヤ顔。どうしよう。俺の言いたい事が絶望的に伝わらない。

 しかし、美祈さんを前にはっきり飯がまずいと言うのも気が引ける。ショックでトイレを二度と貸さないとか言われたら俺は自主退学コースを辿るだろう。

 だから、赤坂には俺の言葉だけで、何とか察して欲しかったのだが……


「本当にいい子ね、環季ちゃんは!」

 対面キッチンで聞いていた美祈さんが喜びの声を上げる。

 キャッキャとはしゃぎ気味に調理準備に入るのを俺は絶望しながら見ていた。もう、どうなっても知らないからな。


「さっきの続きなんだけどさ」

 赤坂が不意に話を戻してくる。

「例えば、うちのクラスに須山(すやま)鉄明(てつあき)っているじゃない? ああいうクラスのやかましいポジションの奴なら、ノリでトイレ行ってくるって言い出しても違和感なくない?」


 須山鉄明――サッカー部所属の大柄な男子生徒。

 普段は教室後ろのリア充グループに属していて、馬鹿みたいにテンション高く騒いでいる一人。

 須山は、グループ外の奴らにも好かれていて、誰とでも打ち解けるタイプ。身体だけでなく声もでかいからとにかく目立つ。諌矢ともよく馬鹿みたいに笑い合っているのをよく見る。


「須山ねえ。どうだろ」

「私は言いそうだと思うけど? だって、あいつバカっぽくない?」

 酷い物言いの赤坂にドン引きだ。


「女子ってやっぱ怖いな。大して話さない相手にそれは無いだろう」

 俺のいない所で何と言われているのか、想像するのすら恐ろしい。

 でも、須山は喜怒哀楽の『喜』だけで生きていて、歩く抗うつ薬みたいな存在だ。そう考えると、確かに腹が痛くなっても笑いを取りながら、気にせずトイレに駆け込みそう。


「一之瀬。須山と仲良くなっちゃいなよ。つーか、あのグループに入れば?」

「いや、無理だって。あいつらテンション高すぎて会話についていけるとは思えないし」

 須山のグループはクラス内の男子と女子、それぞれの陽キャが連合を組んだような集まりなのだ。人見知りする俺が話の輪に入っても、不審者扱いされるのは眼に見えている。


「それに、風晴君もよく須山達と話してるじゃない?」

「うーん……」 

 赤坂の言う通り、諌矢はいろんな連中と広く浅く付き合える。須山グループとも仲が良い。


「風晴君がいる時ならいけるでしょ。例えば、今ならテスト期間終わったばかりだし、点数どうだった? とか、色々あるじゃん?」

 人差し指をくるりと向けて、そんな提案をさらりと言ってのける。赤坂の基本的なコミュ力は結構高いのかもしれないな。少なくとも俺では、その発想にまで辿り着かない。

「そんなに上手くいくものかな」

 しかし、赤坂の言っている事は全てが希望的観測に基づいているとしか思えない。

 いくら諌矢が須山達と仲が良いとはいえ、俺がその中に加わるのはやっぱり怖い。

 唐突に会話に加わった所で馴染めるものだろうか。ろくに話した事の無い相手に中途半端に話しかけ、その結果会話で浮くのは一番恐ろしい展開だ。


「ほら、みてみてー。おいしそうでしょう?」

 懸念材料が残ったまま、厄介なタイミングで美祈さんがキッチンから戻ってきた。

 両手で持った皿の上にはアップルパイ――とは似ても似つかない物体Xが鎮座していた。


「なんすか? これ」

「もう。アップルパイって言ったじゃない。ナツったらボケが始まってるの?」

 間延びした声で皿を俺達の方へ寄越す美祈さん。

 形こそ三角形のパイらしい輪郭。だが、金属質な光沢感があって、まるでオーパーツだ。

 三内丸山か亀ヶ岡か、どこの遺跡から出土したのか想像を巡らすがやっぱり分からない。月刊ムーに送ろうかな。


「綺麗な色でしょ? この為にスーパーだけじゃなくホームセンターにも行ってきたのよ。この辺にはいろんなお店が集まっているから便利よねっ」

 ホームセンター? 彼女は一体何を言っているのか。


「油を塗ったの。スーパーのサラダ油じゃ出せない光沢感でしょ?」

 よく見ると、パイの表面はヌルヌルテラテラとしていた。

 その見た目に、さしもの赤坂も言葉を失っている。


「赤坂?」

 返事が無い。赤坂は弁慶の立ち往生みたいに硬直していた。


「ほらっ、味見してみてー」

 しかし、美祈さんがアップルパイに突き立てようとしたフォークは、妙な剣戟音を響かせて静止していた。

「あれ? おかしいわね。ああっ!」

 美祈さんが力任せでフォークを押し付ける。

 あろうことか、勢いのあまりフォークの先端が滑り、四角形のパイがフリスビーみたいに回転して俺の頬を掠める。殺す気か。


「一之瀬。トイレ借りに来た時、玄関の鍵ちゃんと掛けた?」

 思い出したように赤坂は俺の腕を掴む。


「戸締り。ちゃんと確認しなきゃ。鍵かけたっけ?」

 半ば連れ出されるような形で俺は玄関まで連れ出される。


「何だよ。ちゃんと鍵かかってるじゃないか」

「……逃げるわよ」

 真新しいドアには二つの鍵があり、更にチェーンロックもされている。

 しかし、赤坂は無言でそれらを全て解錠すると、そのまま俺を外へと連れ出した。


 美祈さんのパイがどうなったかは、誰も知らない。

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