第11話

 向かう先が被っているのもあって、俺は十分に時間を置いてから購買で用を済ませた。


「午後って数学だっけか?」

 しかし、購買から出た所で、遠くから聞き覚えのある声がする。

 嫌な予感がして窺うと、運の悪いことに先ほどのリア充大軍団だった。まさか、彼らの食事が終わるタイミングと被ってしまうとは。

 一瞬目が合った事で、その中にいた諌矢が俺に気づく。


「じゃあ、俺ここで。西崎達は先に教室戻っててくんない?」

「え、何。用事あんの~?」

 諌矢の目線の先にいるのが俺だという事に気づいたその女子は、空気を読んでそのまま行ってしまった。

 普段話さない男子との会話に割り込むつもりはないという事なんだろう。

 まあ、俺としても、知り合いの知り合いが会話に入って来られても困るだけだから助かる。


「なんか飲みたい?」

 諌矢は自販機前で足を止めて俺を呼ぶ。どうやら奢ってくれるらしい。


「俺、バナナオレ飲むけど、俺だけに……! 夏生は?」

「緑茶」

 センスZEROのダジャレをスルーしつつ、緑茶のボタンを小突く。


「あはは、渋すぎだろ。ここはジュースとかじゃねーの?」

 取り出したパック飲料にストローを差しながら、諌矢が俺を指さした。


「乳飲料飲むと腹緩くなるんだよ。炭酸飲むとガスが溜まってお腹が張るし、柑橘系は胃腸を傷める。だから、緑茶しか選択肢が無くなるんだ。諌矢なら俺の事情、分かるよな?」

 正直に答えると、笑顔だった諌矢がかわいそうな物を見るような目に変わる。


「夏生がすごい気を使ってるのは分かるけどさ……なのに、何でいつも腹痛くなってるの?」

「知るか!」

 ぶっきらぼうに答えると、諌矢は面白そうに顔を緩ませた。


「なあなあ、なっちゃん。ちなみに、俺は結構飯食うけど、殆ど腹壊した事ないんだよなあ。どうやったらそんなに腹下すもんなの?」

 ムカつく呼び名だ。俺は拳を握りそれに答える。


「二度とその名で呼ぶな。なんならここで諌矢の腹も壊してやろうか? 物理的に殴る蹴るで」

「アッハッハ。何でなんだろうな~本当に!」

 諌矢は感情表現一杯に大笑いしてみせた。

 さっきまでちょっと優しいなと思っちゃったのに、やっぱりこいつはこいつだ。


「午後の授業までまだ時間あるし、その辺に座ろうぜ」

 笑いも収まった所で、俺達は渡り廊下にあるベンチに腰掛けた。

 校舎を繋ぐ渡り廊下の上には雨除けの庇(ひさし)がかかっている。更に、ベンチの向こうには、中庭の芝生が広がっていて、ランチタイムで賑わっている。

 思い思いに昼食を楽しむカップルやら女子グループ。だが、中庭は新旧校舎に囲まれていて、彼らの様子は、校舎内から丸見えだ。

 多分、リア充連中は他人の視線など気にしない。寧ろ、見せつける性癖もあるから平気なんだろう。

 一方、俺は見られるのも含めて、そういう場にいるのは嫌でしょうがない。

 つまり、俺が中庭に出る事は絶対に無い。多分、これからの高校三年間ずっと。


「今日は特に暑いな」

 俺は、そんな澱の溜まった頭の中を浄化させるべく、空を見た。

 春の暖気が学ランをぽかぽかさせていた。中に着たシャツに汗が染みこんでくるのが分かる。


「――ところでさ、夏生。赤坂さんと二人揃って朝早くから何してたの?」

 しかし、のんびりしていたのも束の間。諌矢が思いもしない一言を掛けてくる。


「お前……何で知ってんだよ!?」

「いやさ、西崎達が見てたんだよ。だから聞いてくれって頼まれたんだよね。学食誘ったのもそれが理由だったし」

 諌矢は長い鼻梁を日光にきらめかしながら、いつもの軽薄な口調だ。


「西崎が? なんで」

 思わず聞き返す。西崎にしざき瑛璃奈えりなと言えば、リア充グループの筆頭みたいな女子生徒だ。

 進学校の癖にギャルっぽい見た目と言動で、唯我独尊を絵に描いたようなクラスの女王。


「クラスの誰と誰が付き合ってるとか、そういうのが気になるんじゃねーの」

 リア充らしい洞察力を遺憾なく発揮し、諌矢は続ける。


「俺に聞いて来いってうるさいんだよ。ほら、俺って夏生の数少ない友達だろ?」

 そう言って自分を指差す諌矢。嫌味な野郎だ。


「諌矢。お前まさか、俺の事を友達だと思ってんの?」

「そんな事言うなよ……」

 俺が冗談で嫌そうにすると、諌矢が本気で悲しそうに眉根を下げる。

 捨てられたチワワみたいな目だ。

 でも、こういうやりとりが悪意無く通じるので、俺は諌矢が嫌いじゃない。気が合っていると思うくらいだ。


「俺と赤坂はそんなんじゃないよ」

 気を取り直し、俺は咳払い一つ。諌矢は小首を傾げて視線を寄越す。


「本当に何も無い。赤坂とは前の席で話す機会が多いだけだって。付き合ってるとかそういうのは絶対に無い。有り得ない話をするなって西崎に言っといてよ」


 ――寧ろ、付き合ってるとかより、もっとめんどくさい関係にあるんだけどな!


「なんだよ、それ。面白くないなあ」

 滅多にない俺の真剣な口調が効いたのか、諌矢は分かってくれたようだった。


「「へっ」」

 そして、俺達は互いに肩を崩し、笑い合う。



「へーっ♪ じゃあさあ。噂が本当なら面白かったって事?」



 直後、耳元で囁く不気味なくらいに可愛らしい女子の声。


「「赤坂!?」さん!?」

 深く腰掛けていた身体が勝手に動き、俺達は同時に姿勢を正した。


「また会ったね、一之瀬――ッ!」

 ニコニコ顔の赤坂は、パンの袋の端をおひねりみたいに結ぶとダンクシュートの勢いでゴミ箱にぶち込む。

 表情と違って動作が粗雑で怖い。

 そんな様子を目の当たりにしながら、ふと、ある事に気づいた。


「そういや、赤坂っていつもどこで食ってんの?」

「え?」

 不審がる赤坂、俺は続ける。


「赤坂っていつも教室で食べてないよな……ってそういう話なんだけど」

 指摘すると、赤坂は一瞬目を見開いた後に、すぐに細める。


「いちいち細かいとこに気づくんだね。きもいよ?」

「ごめんなさい」

 反射的に謝ると隣の視線に気づく。諌矢はニヤニヤ顔で俺達のやり取りを眺めていた。


「やっぱ、仲良いんだな。二人とも」

「風晴君。人のいるとこでそういう話は、止めてくんない?」

 右手を上着のポケットに突っ込んで無表情に笑う赤坂。威圧感がすごい。


「はは……俺は夏生に噂の真相を聞いていただけだって。赤坂さんはどうしてここに?」

 一方の諌矢は完全に取り乱していた。

 赤坂は普段男子と全く話をしない。女子同士だとすごい気さくで、社交的な性格に見える。

 まさか、本性がこうも攻撃的だとは思いもしまい。


「そういうくだらない噂って、西崎さん達が広めてんでしょ? 何とかして」

「へ? 何で俺……?」

 言われた諌矢は自身を指さしながら、解せぬと言った顔。


「女子同士の話なら、俺より赤坂さんが直接言った方がいいんじゃあ――」

「だって、あの人達。私が言っても聞かないもん。風晴君なら仲良いし、聞くでしょ? 何とかしてくんない?」

 可愛く小首を傾げても目が笑っていない。ロボットみたいに同じことを要求し続けている。


「おい、一之瀬。赤坂さんってこんな性格だった? 口調とか超怖いんだけど……」

「さあな。男子には辛口なんじゃない?」

 いつも俺の隣の女子と話している時の気さくな女子ってキャラが完全に剥がれ落ちている。


「それにしたって……こええよ。まるで西崎がもう一人いるみたいだよ」

 そう言って小声で囁く諌矢だけど、赤坂には聞こえてると思うんだよね。地獄耳だし。


「その西崎さんを何とかしてほしいんだけど。イエスか『はい』か、早く答えてくんない?」

「ひぇっ⁉」

 あからさまにビビっている諌矢。その横で、俺は笑いをこらえるのに必死だ。

 赤坂は諌矢が相手だろうが、目的遂行の為なら容赦するつもりはないらしい。


「ねえ。話聞いてんのー?」

 靴裏をコンクリートの床に打ち付ける音が二度響く。


「分かった、分かったよー。俺が西崎に説明しとくよ。だから、もう許して、赤坂さん……」

 授業に当てられたみたいな動きで、諌矢は恐る恐る右手を上げた。


「分かればいいの。疲れるから何度も言わせないでね」

「はい……でも」

 蚊の鳴くような声で、諌矢は赤坂をちらちらと窺う。

 まだ何か聞きたい事があるようだ。やめとけばいいのに。好奇心は猫だけでなく諌矢をも殺すだろう。


「噂の真相は分かったよ。それなら、赤坂さんと夏生ってどんな関係?」

「あ?」

「いや、何でも無いです、ごめんなさい」

 受験の時の面接みたいに、諌矢は両手を太ももにおいて目をつむった。万策尽きたか。

 そろそろかわいそうになってきた。

 俺達の間に何かあるのは諌矢も気づいているだろうし、このまま誤魔化してもしょうがない。


「仕方ない……一から説明するしかないよな」

 俺は赤坂の代わりに、これまでの顛末を諌矢に説明することにした。




「――そうか。そういうことか……ぷぷぷ」

 一通り話し終えると、諌矢は、押し殺すように笑い出す。

 いちいち感情を表に出すモーションがいかにも陽キャラでうざすぎる。


「で、どうだった? 赤坂さんから見て一之瀬の悩みは?」

「馬鹿げているにも程があるわ」

 諌矢が尋ねると、赤坂はうんざりした顔で腕を組む。そして、一瞬だけ俺に目を向けた。


「本当にくだらない。一之瀬のせいで私まで迷惑してるんだから、たまったもんじゃないわ。風晴くん、本当に何とかしてよ? 友達でしょ?」

 諌矢と赤坂とそれから俺。トイレの悩みを共有した事で、赤坂は諌矢に対しても妙に饒舌になっていた。おまけに、隙あらば問題を諌矢に丸投げするような物言い。


「大体、来週は定期試験なのよ。まさか一之瀬、休んだりしないわよね? そんな事したら本当に単位落とすよ?」

 赤坂の俺を案じているような声音。でも多分、半分呆れているんだろうけど。


「ああ。そういやHRで言ってたな。めんどくさいなあ」

「夏生。お前、テストまで腹痛起こす体質なのかよ?」

 諌矢も呆れ顔で俺を覗き込む。


「むしろ、テストの結果より、試験中の腹痛の方が心配なんだよなあ」

 試験中の沈黙は俺にとって地獄だ。

 腹が鳴りそうになる度、解答用紙を派手にめくって紙の擦れる音を出してみたり、椅子を擦ってごまかそうとしたり……そんな下らない事に躍起になってしまうせいで、問題に全く集中できないのだ。

 それら悩みを正直に打ち明ける。


「はあ。本当にこのウン〇マンは……」

 頭を振ってうんざりする赤坂。


「テスト中にトイレなんて何度も行ける訳ないしな」

 赤坂と顔を合わせ、諌矢も思わず苦笑い。


「本当に、どうしたらこんな事で悩めるようになるの。勉強で悩むならともかく」

 おかしいな。さっきまで水と油だった諌矢と赤坂の息が合い出したぞ。


「そうだ!」

 すると、諌矢が急に立ち上がる。何事かと赤坂が注目する。

「まあ、こいつのヘタレは相当だし。赤坂さんでも手に余ると思うよ……そこでだ」


 諌矢はベンチから立ち上がると、ドヤ顔で俺達を睥睨して言った。

「俺にいい考えがある」

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