Chapter 6 ワーテルストフ修道院2
夕食後、アルマはスピナーに連れられ階段を昇り、長い廊下の一番奥にある部屋へ着いた。
「ここが寝室だ。寮の一番奥のここしか空き部屋がなかったんでな。遠いのは我慢してくれ」
そう言いながら扉を開けた。小さな窓が1つだけあるその部屋には簡素ながら清潔感のあるベッドと木製の机、椅子が置かれていた。
「寮外へ出るのは禁止。俺の部屋は4つ隣だ。何かあったら呼んでくれ。あと、明日の朝はここに呼びに来るから、それまで部屋で待機していてくれ」
アルマを部屋に置いて扉を閉めるスピナー。そのまま自室へと戻っていった。
外界と隔離された部屋を、月明かりだけが青白く照らす。アルマはベッドに腰掛けて、窓の外を見ながら物思いにふけっていた。しばらくした後、人差し指を立てファイアを唱えた。月夜に1つ、いや2つの輝きが灯った。また指輪がほのかに赤く光ったのだ。おそらくシトリーから受け取ったこの指輪は魔法を使うと光を放つのだろう。
アルマの口から言葉が漏れ出す。
「異世界に来てしまったんだ……」
指先に小さな火球ができたことを確認すると、息を吹き付けて火を消した。そしてベッドに横になった。慣れない世界にその心身共に十分疲労していた。横たわってすぐにその瞳は閉じていた。
深更の頃、石造りのテラス、ワイングラスを片手に遠方からハイド村を見つめる者がいた。そのテラスに一人の魔族が立ち入ってきた。
「グリムフォード様。見回りの兵が南方で人間に翼を斬られたと申していファス」
グリムフォードと呼ばれる大男は振り向かず、展望しながら会話を続ける。
「ふむ、南、ですか。……その者は運がいいですね」
「運がいい……とは、どういうことですファス?」
「先ほど吉報がありました。ここより南方に位置する村の”あの人間”が遠出をしているとのこと。――全兵出撃準備をさせなさい。あの時の御礼に赤ワインを贈りに行きます」
「ザマァミロバーカ!」
「コロス」
何かを破壊したかのような凄まじい音にアルマは跳ね起きた。次いでドタドタと廊下に響く足音。それは颯爽と遠くへ移動していった。
窓から差し込む陽光は夜が明けたことを知らせていた。扉の取っ手に手をかけるアルマ。しかし、昨晩の言葉が開ける手を止める。呼びに来るから部屋で待機していてくれ、と。言葉通り待機することに決めたアルマはその手をそっと放した。
窓に近づき外を眺めるアルマ。そこにはアスファルトに囲まれた日本の都市で生きてきたアルマにとって、あまりに新鮮な一面緑の世界と綺麗な青空が広がっていた。のどかな風景とはこの事を言うのだろう。遥か遠くの山には古城のようなものも見えた。
「キョウハゼッテーオマエヲブッタオス!」
「マホウノジッケンダイニシテヤル」
ディーアとスピナーの口喧嘩が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした。
ゆっくりと景色を眺めていたのも束の間、部屋の扉が重々しい音を立てながら開いた。
「当修道院の院長のローズです。失礼しますよ、旅の方」
入ってきたのはローズ院長。その両手にはパンとブリンナが乗ったトレイが握られていた。
「スピナー君に自分が来るまで待ってなさいとでも言われたのでしょう。お食事です。遠慮なく召し上がってください」
そう言うと足で扉を閉め、机にトレイを置いた。アルマは感謝を述べると椅子に腰かけて、トレイに添えられていたブリンナのジャムをパンに塗って食べ始めた。
「伝えておきますと彼は今取り込み中です。朝から元気なことです」
「教えてくれてありがとうございます。……あの、ローズ院長?」
「何です?」
「ここにいて大丈夫なんですか? やることがたくさんあるんじゃないですか?」
「はっはっはっ。この時間いつも通り聖堂にいても、代り映えしない村民と子供達しか来ませんからね。あなたと話していた方が楽しいものです」
そんなのでいいのだろうか。アルマは呆れ顔が表に出ないよう抑えた。
ローズはベッドに腰をかけ、話を続けた。
「さて何について話しましょうか。僕のこと、このあたりのこと、ブリンナのこと。シトラス教のことでも構いませんよ。その年でシトラス教を全く知らない人に説くのは久しぶりですね」
「昨日の食堂での話、聞いてたんですか?」
「人の話を聞くのは得意なので。でも、興味がおありでないなら無理に説くつもりはありませんよ。『信仰したい人だけを導く』それが僕のモットーです。嫌がる人に説いてもお互い不愉快な気持ちになるだけですから」
アルマはふと思った。修道院に所属しているにも関わらず、ディーアやスピナーの信仰心が薄く見えるのはこれが理由なのかもしれない、と。少し引っかかっていた物が取れ、すっきりしたところでシトラス教について聞いてみることにした。シトラス教はこの世界の常識らしく、知っていて損はないと見立てたためだ。
「では、お願いしてもいいですか?」
「分かりました。コホン。シトラス教は700年前、魔王軍発足の頃が起源とされています。全ての魔を打ち滅ぼすことで、主の御身が蘇り、人間に永遠の平和が訪れる。そう伝えられています。聖地は主が地上に降り立ち、外敵と戦ったとされる地『マデュラ』としています。旅先で訪れることがありましたら、ぜひ人々の勝利と平和を祈っていってください」
「あの、主というのはどんな――」
バタン!!
疑問を口に出しかけたところで、勢いよく扉が開く。息を切らして駆けこんできたのはスピナーだった。
「悪い、待たせちまった」
「おや、スピナー君。あなたの代わりに朝食は提供しておきましたよ」
その報告を受けたスピナーは不満顔だった。
「勝手なことを……」
「律儀に部屋で待っていましたよ彼。もう疑う必要ないと思いますけどねぇ」
「……先生に伝えておく。アルマ、ついてきてくれ」
アルマは食べ終わった朝食のトレイを持って立とうとしたが、呼び止められた。
「ああ、トレイは僕が片付けておきます。業務から逃げる口実にもなりますしね」
アルマは感謝を伝えると、スピナーと共に部屋を出た。
廊下を歩いていると、扉がなく入り口前に不揃いの木片が積まれている部屋を通り過ぎた。部屋の中には大量の本が足の踏み場もないほど散乱していた。その部屋を目で追っていたアルマに気づくとスピナーが口を開いた。
「それは俺の部屋だ。朝、起こしに来たあの馬鹿剣士が扉を斬って部屋に侵入した挙句、昨日の仕返しのつもりか鞘で殴ってきやがった。――だから埋めてきた」
朝の大きな音はこれが原因らしい。この感じだといつも喧嘩しているのだろうとアルマは思った。だけど、埋めた? 埋めるというのは生きている人に使う言葉ではないはずだが。
修道院を出て、そこそこの距離を歩いた二人。連れていかれた先でその言葉の意味はすぐに分かった。
「で、埋めたのがこれだ」
人々が行き交うハイド村の広場の中心、スピナーが嘲笑いながら示した先に、文字通り地面から頭が一つ生えていた。こんな感じのポケ〇ンがいた気がする。名前はディクタだっけ?
「解けー! コノヤロー!」
ディーアは騒ぎながら首を左右にブンブン振っていた。が、その努力も虚しく抜ける兆しは見えない。そんな彼を、スピナーは鼻で笑った後、アルマに指示を出した。
「この辺の片づけや修理を手伝ってほしい」
辺りを見渡してみると、地面がいくらか窪んで荒れていたり、家々の屋根や壁が一部壊れていたりと破損が確認できた。村の人々は既に村の修繕、掃除に勤しんでいた。
「このモグラと戦うといつもこうなってしまう。村の連中が積極的に片付けているのは俺らで賭博したいかららしい。見物料でも取ってやろうか」
ブツクサ言いながら大きな瓦礫を何個も重ねて、軽く持ち上げ運んで行ってしまった。
一人残されたアルマ。その時、背中を強く叩かれた。
「お前が昨日ふらっと村に転がり込んだ奴かぁ!?」
「酒臭っ!」
小瓶を片手にふらついている親父。グイっと瓶の中身を零しながら飲むと、呂律の回っていない口で話し出した。
「いいよなぁここは! 身一つだった俺を住まわせてくれたんだからさぁ」
「はぁ……」
なんで異世界に来てまで酔っぱらいの相手をしなければならないのか。適当に頷いていたが、その酔っぱらいの言葉の中に引っかかるものがあった。
「……身一つ? 住まわせる?」
ガンッ!
「この飲んだくれ! 若いのにダルがらみしてんじゃないわよ!」
鈍い音と共に地面に伏せる親父。後ろには片手にフライパンを持った女性が立っていた。
「ごめんね、うちの旦那が迷惑かけて」
「いえ、大丈夫です。それより旦那さんの今の言葉……」
その女性は急に顔を曇らせた。
「ああ……。あたしも旦那もこの村の全員、魔王軍に住む場所を追われたんだ。村や町は焼かれ、仲良かった奴はみんな死んで、あたしも死にかけてさ」
魔王軍の非道さ。言葉だけだが、それを話す表情がこの異世界の悪意を着実にアルマに伝えていた。
女性は話を続ける。その表情は徐々に晴れていった。
「そんな絶望の中、助けてくれたのがプラムさんとローズさんなんだ。でさ、その二人が言うんだ。『住む場所を奪われた人達のための避難所、作りませんか』と。そうしてできたのがこのハイド村って訳。だからよそ者には基本的に優しいよ、この村は」
住む場所を奪われた人達のための避難所。それがこのハイド村の正体だった。アルマは自分の幸運、そしてこの村に感謝の念を抱いていた。
女性は手を叩き、話を切り替える。
「さ、こんなしんみりした話は終わり! さっさと掃除しないと。君、暇なら手伝ってくれる? うちの酔っぱらいは伸びて使い物にならないからさ」
笑みを浮かべる女性。話の礼も兼ねて、アルマの快く引き受けた。
家の前には落ちた屋根や、崩れた壁の破片の他に、土に紛れて割れた植木鉢と花も散乱していた。
瓦礫を片付け、指定された場所まで運ぶ。この作業を何度も繰り返した。最後の瓦礫を置いて戻ってくると、先ほどの女性が家の前の長椅子に腰かけ、飲み物を入れて待っていた。
「お疲れ様。お水入れたから飲んでって」
「ありがとうございます」
アルマは腰かけ、汗をぬぐい、コップの水をぐいと口に流し込んだ。
「あの二人が戦った後はいつもこうなんですか? 大変だったりしません?」
「ああ。喧嘩した後は村総出で大掃除さ。賭け事をしている人もいるみたい、というかうちの旦那がそう……。でも、あたしはあの二人の成長が見れるだけで満足さ。全然大変じゃない。この世の中、子供がしっかり成長するって喜ばしいことだしね」
優しい笑顔で続けていく。
「君見たところ、あの二人と同い年くらいかな。君もどう成長していくか興味出てきた。はい、これ。お掃除のお礼」
そう言って、一輪の花を手渡された。
「これは?」
「ブリンナの花。生花はすぐ枯れちゃうからドライフラワーだけどね」
修道院で食べたあの果実の花らしい。細小で純白な花びらを有するそれは、不思議な可憐さを持ち合わせていた。
「ブリンナの花言葉は『無限の可能性』。色々な食べ方ができるブリンナにピッタリの言葉だよね」
「『無限の可能性』……」
「君の人生には無限の可能性がある。自分が好きな花を咲かせなよ」
アルマはその花を青空にかざし、しばらく物思いにふけっていた。
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