神里(紙束)文月 / Fumituki Kamizato
どうしてこうなった。おかしい、と思わず首を捻ってしまう。
僕は
なんのために撹乱したと思っているのだ。七瀬さんに優しい言葉をかけるのは、本来僕だったんだ。
如月と睦月には、
そう思っていたのに――神里は、僕が思う以上に強大だった。与党を顎で使い、今回の件を揉み消した。そんなこと、何ら造作ないと言わんばかりに。
「私は――」
七瀬さんがボソリと呟く。この際だから、内に隠して気持ちを、全部言っちゃえば?
そう促したのは、
「ずっと、みんなに馴染めていないと思っていました。それこそ、ティーカップの底に残る、溶けきらない砂糖のようだって。私はずっと異物だって……」
七瀬さんは、用意された紅茶に手を当てながら言う。それは、確かに気持ちが悪いなって思う。そして、神里は外部対してに排他的な土地だ。彼女が感じた感情は良く分かる。やっぱり、彼女に相応しいのは僕で――。
「そうか?」
そう言ったのは睦月だった。コイツは何を言ってるんだ。本当にデリカシーがない。寄り添うとことすらしない。お前はやっぱり、七瀬さんのこと全然分かって――。
「その砂糖、俺が掬って、舐めたら良いじゃん」
「……え?」
七瀬さんは、目をぱちくりさせていた。いや、僕も。実際、睦月が何を言いたいのか分からない。
「だって、特別に甘そうじゃん。俺だけが、そんな
「え……う、うん。うんっ!」
あぁ、七瀬さん。どうして、君はそんなに嬉しそうに笑うの? 本当の意味で神里に入る意味を君は分かっていない。
と、急に思いついたと言わんばかりに、睦月は手を打った。
「そうだった……今日、ホワイトデーだった。まだ、バレンタインのお礼を渡せてなかったよな?」
睦月が照れながら紙袋を渡す。いや、その時点でもう気色悪い。クッキーは良いとして、狼のぬいぐるみ? それは無しじゃないか? あまりに七瀬さんを子ども扱いしすぎだ。
「……嬉しいっ」
えぇ?
なんで七瀬さん、それを喜べるの?
「あのさ。それはどちらかと言うと、
「ふふっ。前に遊びに行った時ずっと、釘付けだったでしょう。なんとなく、睦月をイメージしていたのかなぁ、って思っていたんだ」
悪趣味!
そして――やっぱり、嬉しそうに微笑む、七瀬さんの気持ちが分からない。さらに一番意味不明なのが、本命のプレゼントはピアスって。明らかに無縁な子に送る、プレゼントじゃないと思う。
「ひま、欲しがっていたもんね」
え?
如月の声に、つい呆然としてしまう。
ウソでしょ?
「あ、あの……。むつ君?」
「あん?」
「わ、私……初めてだから、その……優しくしてね?」
言い方!
「バカだね、ひま。勝手にやって化膿したら大変でしょ? そういうのは皮膚科の先生にやってもらうの。うちの嘱託医にお願いするからね。でも、そうだね……一瞬で終わるけど、施術の間は
「うん! お願いします!」
うわぁ、最悪。七瀬さんは今すでに完成しているのに、体に穴を開けなくてもと思ってしまう。
「ねぇ、文君?」
如月に声をかけられてはっと我に返る。ふんわり笑みながらも、その目はまるで笑っていない。何もかも、見透かされ。何もかも、知っていると言わんばかりの目で、僕を見る。
「ひまちゃんのこと、見すぎ。私のこともちゃんと見てね?」
――放し飼いにしていることと、自由を履き違えないでね?
如月にそう呟かれ、背中がぞわりと粟だった。ぎしぎし首を回し、ゆっくりと視線を向ける。
「私達もキスしちゃう?」
にっこり笑む。唇が艶やかで。ちろっと、イタズラめかし、舌で唇を舐める。
(呑まれるな、呑まれるな、呑まれ――)
ガチガチ。歯が震えそうになるのを、なんとか奥歯を噛みしめ耐える。如月が、クスリと笑みを溢し、目を閉じかけた瞬間だった。
コンコンコン。
ノックの音。
着物姿の美人が、僕らを見て微笑んだ。
「お袋?」
「ママ?」
奥方様はまじまじと、七瀬さんを見る。表情を変えないマネキンのような美貌。その奥方様が笑んだのを、僕は初めて見たかもしれない。
「七瀬さん、睦月? 御館様がお呼びよ。如月、文君。二人も同席しなさい」
凜とした声は、風に揺れた風鈴のように軽やかなのに――有無を言わさない、重圧感を感じたのだった。
■■■
御館様。
つまり神里家家長――
大広間、
「楽にしなさい」
柔和に、親方様が言う。僕は伏礼。だが、それ以外の面子は免除された。睦月と如月は、まぁ分かる。だが、七瀬さんが許されたのは、どういうことか。
「君が、七瀬さんか」
声しか聞こえない。
それぞれの息遣い。
時々、茶を啜る音。
菓子を
「なるほど……。最近、睦月が柔らかくなったのは、七瀬さんのお陰か」
「うっせぇ」
睦月は悪態をつく。この空気の中、そんな言葉を吐けるのは……認めたくないけれど、やっぱりヤツは大物か
この圧しか感じない空気の中で、軽口を叩ける
「それで、七瀬さんは儂に話があるんだったのかの?」
「はい」
物怖じせずに、七瀬さんは頷く。
(な、七瀬さん……?)
冷や汗がタラリと流れる。その御仁は気軽に物を言って良い人じゃ――。
「睦月君の謹慎を解いていただけませんか? もともとは私が原因なんです」
「ほぅ?」
沈黙。
長い。
誰も言葉を発しない。
圧がますます強まるのを感じる。
まるで、首を絞められるような。
息が、息ができな――。
と。
ズズズ。
茶を啜る音がして、緊張が途切れた。
「……そうじゃのぅ。うちの睦月は、儂が手がつけられない暴れん坊で。正直、手を焼いているのだが」
「そんなことはありません」
「ほぅ?」
御館様の声が強張る。待って、まって! 七瀬さん、落ち着いて。その人は本当に気易く声をかけちゃダメな人で――。
「睦月君は優しい人です。困っている人を見たら行動ができます。寄り添ってくれます。余所から来た私を、ずっと気にかけてくれました。お爺さんが言うことは、何一つ当てはまりません」
「ふむ」
七瀬さん、それ以上はダメだ。それ以上、御館様にたてつくのは――。
がちがち。
歯が打ち合う。止まらない。震えが止まらない。。
「名は向日葵か。良き名だ」
「ありがとうございます。お爺さんのお名前は、綱さんとお聞きしました。素敵なお名前だと思います」
「名を褒められるのは久方振りじゃの。これは照れる」
七瀬さん?
「嬢ちゃん、こんな孫だがの。これらも、よろしくお願いできんか?」
「私の方がお願いしたいです」
「まずは……許嫁からはどうじゃろう?」
「へ?」
ダメだ! 絶対に頷いちゃダメだ!
神里に籍を入れることの意味を、君は分かっていない。無知で立ち入って良い領域じゃないんだ――。
「それは、むつ君のお嫁さんになれって、意味ですか?」
「お、おい! ジジィ!」
「お前は黙っておれ。むしろお前の願いであろう?」
御館様は小さく笑む。
「どうかの、
ダメ、ダメだ。本当に、引き返せなくなってしまうから――。
とん。
指がのびて、畳につく。
その指先が心なしか
悔しいけれど、想像できてしまう。
きっと七瀬さんは、はにかみながら満面の笑顔を浮かべている。
そして、彼女には帰る場所がないことを僕は知っていた。
三つ指をつくのが、背中越しに見えた。
そんな古式なお辞儀を知っているのは、七瀬さんらしい。
脱力するのを感じる。
急に圧が抜けたのだ。
「ようこそ、伏魔殿へ。睦月、妻を支え、見事、添い遂げろ」
「……当たり前だろ」
「文月、お前はもう少し上手く立ち回れ、興ざめだ」
「も、申し訳ありません……」
「如月、部屋の準備を。成人までは、別室とせよ」
「承知しました」
たんたんたん。
足音。音を刻む。
襖が空く。
そして、閉じられた。
ガチガチ、歯が鳴る。なんとか、奥歯を噛みしめて。震えを止める。認めない、こんなこと認められない。
歯を噛みしめながら。
噛みしめて、血を流れるのも構わず。
ぐっと、拳を固める。
――七瀬さんを、契りを結ぶのは僕なんだ。
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