神里如月 / Kisaragi kamizato


「ひまちゃん、ごめん!」

「へ?」


 手を合わせた私に、向日葵ひまちゃんは、目を丸くする。何でもないよ、特に気にしていないよと。そう言うかのように、笑んで見せるから。


(バカ睦月――)


 あぁ、コイツ腹がたつ。ひまちゃんに、なんて顔をさせているのよ。

 言いたい、言ってしまいたい。コイツとはそんな関係じゃないし。想像をするだけで、嘔吐くわ。


 でも、言えないと思ってしまう。


 睦月は不器用だ。

 ひまちゃんは、内に籠もる。


 こういう子は、無理に背中を押しても、きっと上手くいかない。


 本家連中は期待の眼差しをこめるが、それこそ余計なお節介だ。釘を刺しまくって牽制する苦労を分かれ、バカ睦月。


「今日、用事があって。一緒に帰れないの! 本当にごめん!」

「え……。別に私は、大丈夫だけれど――」


 精一杯の、私なりの懺悔。でも、ひまちゃんに、取り繕った笑顔を浮かばせてしまって、口いっぱいに後悔の味が広がる。


「おいっ。とっとと行くぞ、如月きさ

「はぁ? 睦月むっつのお願いでしょ!」

「睦月って、呼ぶなって!」


 なんで、とっとと踵を返しちゃうかな。

 耳朶を真っ赤に染めてもダメだって。私は小さく息をついた。


 本当に、コイツは仕方ない。

 仕方なく、睦月バカを追いかけた。






■■■





「でも……これって、地味すぎないか?」


 まだ言っている。


 でも、ここは声を大にして言いたい。ホワイトデーのお返しに、桁が違う宝石つきの指輪をプレゼントされても、ドン引きである。


 ホワイトデーのお返し選びに付き合わされているのだ。同じ男で、どうしてこうも違うのか。文君をもう少し見習うべきだと思ってしまう。


「……あんたが、即婚約を申し込むつもりなら、そうすれば?」

「もちろん、将来的には婚姻を考えるが。まずは、許嫁からかな。俺たち、学生だし」


 そうだった……。頭が痛い。神里本家ならやりかねないのだ。そして、睦月は本気でそう思っているから、なおたちが悪い。


「学生なら、なおさらでしょ? いきなり高価な物を渡されても、困惑するでしょ」


 そして、ひまちゃんは、きっと悪いと思ってしまう子だ。そんな高価な物は贈っていない。絶対に、そう言いそうで。


 だから、気兼ねない物が良い。


 袋を開ければ、クッキーのつめあわせ。そして、星を象った片耳ピアス。そして、オオカミのぬいぐるみ。


 ――睦月君にそっくり。


 二人でお出かけをした時、ウインドーショッピングの最中に、ぬいぐるみを見かけた。ひまちゃんが、ボソッと呟いた瞬間を私は聞き逃さなかった。この問題児に、そこまで気持ちを傾けてくれる子だもの。そりゃ応援したくなっちゃうよ。


「ねぇ、あれさ」


 すっと出てきたのは、文君だった。


「文?! いつから居たんだよ?」

「睦月君だとしても、二人っきりにさせたくないからね」


「はぁ? 誰がこの脳筋を女として見るか――って、イタっ、痛っ、痛っ、痛っ、ってぇぇぇぇ!」


 あまりに腹がたったから、一想いに耳朶を引っ張る。ひまちゃんの為じゃなかったら、誰が睦月バカと一緒にショッピングになんか行くものか。だいたい、頼みこんできたの、アンタじゃないの。


如月きさ、あれはちょっとマズいかもよ?」

 

 文君が呟く。 


「へ?」

 私は視線を向ける。


(……なんで、ココにいるの?)


 これ以上、変な誤解を受けたくないから、わざと遠出したのに。


 今にも倒れそうなくらい、青い顔をしているひまちゃん。それに誰、あいつ? うちの学校の奴らなら分かる。格好からして、どこかの野球部員か。ソイツが、嫌がるひまちゃんを、無理矢理に引き寄せて、路地に連れ込んだ。


 ひまちゃんの過去は、文君がリサーチ済みだ。本家に取り入ろうとする輩なら、ごまんと居る。そんな輩を精査するのは、文君のお仕事だった。


(だけどねぇ……)


 息を着く。それも、無意味だって知る。

 ひまちゃんは、純粋に私たちと友達になれたことを喜んでくれたし。睦月を怖がらなかった。


 忖度しない関係が、こんない気持ち良いと初めて知ったんだ。


 私と文君は、ひまちゃんを追いかける。

 でも――それより、睦月の方が早かった。








「こっちに来てたのかよ。寂しかったんだぜ? ストレス解消のお友達がいなくなったら、さ?」

「と、友達なんかじゃ――」

「久々に遊び〜ましょう? ってな。呼吸止まったら負けよ、ゲームとかどうよ?」


 声が聞こえる。

 なに、それ?

 私は、文君を見る。


(……文君、出していない情報があるよね?)


 私が視線を向ければ、文君は目を逸らした。それは肯定と同意。でも、今はそんなことを詰問している場合じゃない。


「負けたら、俺の性欲解消に付き合ってよ? お前でムラムラできるかどうか分からないけどさ。どうせ、時間まだあるし」

「あ――」


 ふざけるな。

 私の親友をコイツはそうやって、苦しめていたのか。察するに、元いた中学校の生徒バカか。神里の地で狼藉。まして私の親友に手を出したんだ。五体満足で帰られると――。


「む、つ、く、ん……」


 ひまちゃんが、何とか声を絞り出す。

 上手く、言葉にならなかったんだろう。


 でも、睦月にはそれで十分だった。







「おい? 俺のヒマに何をしてくれるワケ?」

「へ?」


 その直後、蛙が潰されたような、そんな悲鳴が響く。でも、この生徒バカの顛末はこの際どうでも良い。むしろ、睦月が暴走する方が心配だった。お願いだから、殺さないでよ?


 ヒマちゃんは知らないだろうけれど――。


 アイツはひまちゃんに対して過保護だ。閉鎖的なうちの学校。余所者に対して冷淡な土地柄。ひまちゃんが馴染めているのは、睦月の――神里本家の暗黙のお触れに他ならない。


 私は、睦月が影で「ヒマ」って呼んでいることを知っている。

 ひまちゃんが絡むと一切の妥協がないのだ、この睦月バカは。


 それほどまでに、睦月を怖がらない存在は、本当に稀有で。

 おかげで、睦月のトリガーがすっかり外れてしまったけれど。


(……あいつは、頭に血が上ったら本当に厄介なんだよね――)


 小さく、息をつきつつ、私は文君を見やる。


「……文君には言いたいことがあるからね?」

「お嬢様が知れば、きっと放っておけないと――」


「それは無し。だって文君、覚悟をもって私の隣に立つんでしょ? 紙束かみさとから神里に籍を移したのは、そういうことだよね?」

「それは、もちろん」


 コクンと、文君が頷く姿を見て、私は笑んでみせた。よろしい、それなら文君――君は君の仕事を果たして?


 文君は、睦月のもとへ。私は、ひまちゃんの元へと駆けた。

 首のうっ血痕が、まるで手形のようで。


(ひまちゃん――)


 私の背中で、生徒バカが恐怖に歪んだ声が響かせた。私はそんな絶叫をBGMに、ひまちゃんの髪を撫でた。


「むつ、君――」


 うん。ひまちゃんが、密かにそう呼んでいることも知っていた。このおバカちゃんめ。もっと素直になっちゃえば良いのにね。


 睦月ね、ひまちゃんが思う以上に、君のことが好きだからね。

 その髪を優しく撫でる。


「えへへ」


 ひまちゃんは、安心しきった顔で――私の大好きな笑みを溢す。


如月きさちゃんも、文月君も大好き」


 私の膝の上で、そんなことを言う。

 隠れて言わないで、ちゃんと伝えてくれたら良いのに。たくさん、お話したいよ?


 私、ひまちゃんに『如月きらちゃん』って呼ばれるの好きだから。

 そんな気持ちをこめて、ひまちゃんの髪を、もう一度撫でる。



「あ゛ぁぁぁぁぁっっっ!!」


 愚か者の絶叫が響くけれど、私は意に介さず、ひまちゃんの髪を撫で続けた。


 人払いは、神里の家がしているから、ね。

 たくさん、声を上げたら良いよ。


 君が、ひまちゃんに一体どれだけのことをしたのか。

 あとで文君に報告してもらうけれど。


 今は、精々ね。良い声をだしていたら良いと思うんだ?




■■■





 ――3/14。いわゆるホワイトデーというヤツだった。

 神里睦月は、家長から自宅謹慎を言い渡された。


(バカなヤツ)


 一般人を徹底的にボコり、男性生殖器を機能不全にすれば。そりゃ、そうなるって。神里家が政治家を顎で指示、情報操作を行ったから、大事にならなかっただけのこと。


(それにしても、本当にバカ)


 一生懸命、プレゼントを選んだのに、全部台無しじゃんか。

 と、視線を向ければ、ひまちゃんがソワソワしていた。


「ひまちゃん?」

「あ、あの。睦月君は?」

「……睦月ね、その自宅謹慎になって――」


 バカだよね、と笑い飛ばしてあげようと思う間もなかった。ひゅっ、と息を呑んだかと思えば、両手で口を塞ぐ。


「ひまちゃん……?」

「わ、私のせいだ……」


「いや、あのね。あれは、睦月のバカがやり過ぎただけで――」

「でも、睦月君は何も悪くないよ!」

「お、おぉ。そう、だね?」


 ひまちゃんの勢いに、私まで呑まれてしまう。文君を見れば――本から視線を上げた彼も、困惑していた。それはそうだ。学校が神里の生徒を謹慎にできるはずがない。これは、あくまで家長の判断なのだ。


「私、先生に掛け合ってくる!」


 そう言うやいなや、ひまちゃんは席を立つ。


「ちょ、ちょっと待って? ひ、ひまちゃん?」

「大丈夫! ちゃんと、睦月君が悪くないって説明して来るから!」


 そう言いながら、もう体は走りかけ、振り返りながら言う。

 私は、文君に目配せをした。その視線を受け取るまでもなく、文君はひまちゃんを追いかける。


「これは、これは……」


 私は天井を仰いで――それからスマートフォンを取り出した。

 お爺さまに報告するために。








■■■






 期せずして、七瀬向日葵が神里家を訪問する事態となる。


 神里の暴れ馬――神里睦月の許嫁候補として、名前があがったのが数ヶ月前。暴れ馬を唯一、御せるかもしれない人物ひまわりの登場に、神里全家は静かに沸き立ったのだった。





【つづく】

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