第26話 待ッテイテ。アナタノ許ヘ返ルカラ


 ヴィルーべリネール隊長に肩を貸してもらい、家に入る。


 破壊された家屋とは別の、家としての輪郭がはっきりとした家屋に入りベッドに寝かせられた。

 装備を外すとすぐさま傷の手当が始まった。


 手当をする間、ヴィルーべリネール隊長と話すことになった。


「本当にお早かったですね」


「……失礼ですが、夕刻の大鐘は鳴り終えました」


 救護班と呼ばれた騎士たちに手当されながら雑談を始めようとした私は初っ端から間違えてしまった。

 未だ空の深さに気づけていなかった。風の温度には気づけたのに。

 瞑色に黒と紫の絵の具を足したような深みのある色をしている。いつの間にこんなに暗くなっていたのやら、そんなに無我夢中で〝彼〟と闘っていたか。


「………本当に、」


「?」


「生きていてよかったです、ありがとう」


 手を握られた。ガントレットは冷たいはずなのに温かく感じられて心がぽわぽわしていると降り注いだ声に顔を上げる。

 あまりの光景に、火花が散るように一瞬の奇声を上げてしまった。火花のように熱もわずかに籠もっていた。


「ピャッ」


 か、顔がいい!

 滑らかな曲線はあるものの、メリハリの付いたそのラインが美しい。


 なんて美丈夫兜イケメンなのだろう。


「本当によかったです……。国への道中、村への道中、酷く、恐ろしかった……」


「あ……あ、あのっ、あにょっ」


「何度神に願ったか。貴方が無事で生き延びれるようにと」


「あにょぉっ……っ」


 青少年の育成にこの状況は非常にまずい。

 青少年でなくともまずい。よりまずい。もうバクバクの心臓はダンボールで火薬を包んだようにでいつ爆発が抑えられなくなっても可笑しくない。

 そんな心境はいざ知らず、私の顔と彼女のヘルムが接近する。ヘルムの光沢がキラキラと私の目を照らす。


「ヴィルーべリネール隊長」


「どうした」


 入口に立つ部下に応答すると、私の手は後腐れなく、そして優しく私の膝へと戻された。意外にあっさりしていることに悲しくなる。

 彼女が外へ出ることの断りを私にいれるともはやドアとして役割を果たせなくりただの仕切りとなってしまった出入り口から出ていく。


「髪の毛上げますねー」


 ドロっとした液体は落とせないまま見える部分の手当をする。そのためか、衛生観念の最底辺を行くことをプライドが許さなかったのか、救護班の騎士の一人が私の髪を纏めてお団子にする。


 騎士という生き物は基本みんな器用だ。料理もできれば編み物も、小物作りだって片手間で、できてしまう。国で開かれる年一のバザールだって毎年交代で手づくりの品物を売るのが長年の伝統になっているくらいだ。


 私はというと、救護班の人たちの距離にもまたドキドキしながら手当をし続けてもらった。







 アルケー村の隣にその側面を構えるフィナンナ大星林。

 その最深部には墓地があった。しかし存在を知っているのは余程の愛国心の持ち主と言えよう。


 その墓地には名前がなかった。無かったというより失ったと言えよう。深く暗い森の墓地。忘れ去られたその墓地。もはや名前を知っている者はこの世にいない。


 墓地に訪れる者はいなくなってしまったからだ。皆墓に入ってしまった。

 シャベルの横に一体の、骨だけの骸が斃れていた。墓地を管理する者の亡骸。墓荒らしにでも襲われたのだろう。


 誰も訪れない墓地。誰も管理しない墓地。誰も知らない墓地。忘れ去られた墓地。


 華やかな花は根こそぎ肥料に変わってしまった。

 周囲でかつて栄華を極めた村の痕跡もなければ、墓地事体にはほんの少しの特徴すらももう無い。時間がたちすぎて風化してしまったのだろう。

 そんな状態が何年も続いたからか、由来すらももはや見つけられない。由来がないのならどんな名前がついていたかの想像もつくはずがない。

 だから〝フィナンナ大星林最深部墓地〟〝大星林墓地〟としか言いようがなかった。


 そんな大星林墓地に一体の首なし騎士が訪れていた。

 ここに人が、外部の者が訪れるなんて何百年ぶりだろうか。

 しかし、そんな墓地の中心に佇んているというのに、気づく様子はまったくなかった。


 自身の身に起こっている変化に恐れ慄き、冷や汗を流す。その緊張と恐怖、言い表せない高揚感。

 それは跨る馬にも鮮明に伝わったようで落ち着きをなくした。


『ぐッぅ…………私は……何を……』


 彼は一騎当千の首なし騎士ワイルドハント・デュラハン

 七つの原罪のうち一つ、強欲を司る魔王の統治する国、グローフィリアにおのが忠義を尽くす〝死んだことに気づいていない〟死霊の騎士。それは変わらないだろう、今までも、これからも。


 ならば問題は一つ。なぜ人の国にいるのか。不運にも、それは彼にもわからない。


 彼にはこの国に侵入する前からの記憶がないのだ。自分の体を制御できていなかった。なんだなんだと焦りを募らせて苦悩する合間に、今まで自身の行った愚行がすべて蘇る。


『なんてことを……本当に、私が?』


 自分の体がほかの者に操られていたようだ。暫く眠っていたと目を覚ませば見知らぬ土地。無意識のうちとしか言いようの無い間に愚行を犯していた。


 自身を前に呪いに倒れた者たちの光景が目の裏に映る。


 敵対しない者たちを傷付けるつもりはなかった。人の国に侵入するつもりなどことさら無かった。

 人間と魔王の交わした契約を破り侵入。魔王の統治する国に属する者であるならば、完璧な離反行為であった。


『なぜだ……クソッ』


 彼は思う。早く戻らねば、魔王様に報告を、そして謝罪を、次に相応の罰を受けなければ。そう馬を走らせようとした彼は胸部の奥に違和感を感じた。


『なんだこれは?』


 まるで心が鎖で繋がれているようだった。鎖の元へ行かなければならないような、そんな気がしてならない。

 後ろ髪を引かれる思いを胸に、手綱を握り返したその時。


『!……ぐあぁあっ!?』



 一筋の禍々しい光を宿した稲妻が彼の身を穿ち、光が挿さないせいで湿って、陰気な空気を含んだ地面へ流れる。



 彼の意識が戻った直後の稲妻。タイミングを見計らったような稲妻。単なる偶然の産物か。はたまた怒れる何者かの所業か。そして不運にも、それは彼の中の騎士の矜持を再び眠らせ、あの暴君を呼び覚ましてしまった。


 お前は赦されていないと何者かが囁く。淡くもおどろおどろしい光の邪霊が纏わりつく。

 彼の角膜が再び闇に染まる。瞳には今まで見てきた血肉の色が宿る。彼は目元をぐにゃりと歪ませ笑う。





『行カナケレバ』


 邪霊がそのからだに収束すれば、その器は大剣を振るい再び馬を走らせてしまった。


 どこか愛おしそうに笑う目元。馬は走る。主の意向に添い走る。騎士自身の心をがんじがらめにしている鎖を辿って。


 己を鎖で繋いだ愚者の許へ。



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