第7話 事件

 瑞城ずいじょう女子高校のスキー部は、今年の春休み。アルペンスキーのワールドカップの試合観戦を兼ねてヨーロッパ遠征を敢行した。

 瑞城高校スキー部にとっては初めての海外遠征だった。

 もともとは「競技会で上位を目指す」なんて「いちおう言っておく」というだけの部だった。海外はもちろん、国内でも少し遠い場所で開かれる競技会に行く費用すら工面に苦労するのが常だった。

 ところが、その部にいるすすきが世界的なスポーツ大会の代表に選ばれる可能性が高いという。

 それで、OGや地元の企業が海外遠征に必要な資金を出してくれたのだ。

 薄はもちろん遠征に参加した。

 そして、相手国で注目を集めるのはいつも薄だった。

 そんな理由で他の部員から浮いてしまうのが怖かったのだろう。薄は積極的にみんなの世話を焼いた。

 しかも、「親にくっついて右も左もわからないまま海外旅行をした」とかいう経験を別にすると、海外を経験したことがあるのは顧問の先生と薄だけだった。

 みんな、自然と薄を頼りにするようになった。

 いくつかの国を回り、いよいよ日本に帰国するという日が来た。

 空港に入り、パスポートコントロールも通り、あとは飛行機に乗るだけ、というところまで来て、事件は起こった。

 部員たちは、初めての海外の最後だというので、写真を撮りに行ったり、お土産を買いに行ったりした。部長や顧問の先生もそれについて行った。

 薄は、その部員たちの機内持ち込み手荷物を預かって、一人、席に残った。

 部員たちの貴重品もまとめてバッグに入れていた。もともとは顧問の先生が持っていたのだが、顧問の先生が部員たちといっしょに行ってしまったので、そのバッグも薄が預かっていた。

 そのバッグを薄は隣の席に置いていた。

 部員たちはなかなか帰って来なかった。

 一人で待っているあいだ、薄は、疲れが溜まっていたからか、うたた寝をしてしまった。

 部員たちが顧問の先生といっしょに戻って来て、これから飛行機に乗るというので、持ち込み手荷物と貴重品を返そうとしたとき、薄の隣の席からは貴重品を入れたバッグが消え失せていた。

 そのバッグはどこを探しても出て来なかった。

 盗難に遭ったのは確実だった。

 パスポートコントロールを通った後だったので、パスポートは各自が持っていた。だから、「パスポートがないので帰国できない」という事態だけは避けられた。

 出発の時間が迫っていたこともあって、部員たちはそのまま飛行機に乗って帰国した。

 顧問の先生と薄だけがその異国の街に残った。

 しかも、顧問の先生は男だったので、その夜泊まる部屋は別々だった。

 薄は、ことばも通じない、日本人もほとんどいない異国の街でたった一人になってしまったのだ。しかも、その顧問の先生も、学校の授業があるという理由で次の日に帰国してしまった。かわりに生徒指導部の若い女の事務員さんが来たのだけど、日本から来るのだから、当然、時間がかかる。その事務員さんが薄のところに到着するまで、薄は心細さに耐えながら一人で待ち続けた。

 その生徒指導部の事務員さんは英語がとてもよくできる人だった。地元の警察への届け出から保険会社との交渉、その国の競技団体とのやり取りまですばやくすませてしまった。そのおかげで、薄も始業式までには帰国することができたのだけど。

 帰って来た薄に、瑞城女子高校の生徒たちはよそよそしかった。

 スキー部の子たちは薄を温かく迎えることに決めていた。

 でも、「決めていた」ということは、部内には、温かく迎えたくない、という気もちもあった、ということだ。

 才能と実績が段違いなことはわかっていても、同じメンバーなのに薄ばっかり注目される。おもしろいはずがない。

 それに、財布がなくなったので日本で空港に着いてから家までの交通費がない、ICカードもない、スマホまで盗まれたからまずスマホ会社に紛失届を出すところから始めないといけない、この忙しい新学年の始まりに、という悲鳴のようなやり取りを、薄は異国の街で見ていた。

 それで、薄のほうがその子たちに対してどう接していいかわからなかったようだ。帰国した薄はスキー部員の前に姿を見せることなく、

「わたしのせいでみなさんに大きい迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。何度謝っても謝りきれません」

という伝言が生徒指導部を通じてスキー部に伝えられただけだった。

 それ以上に、薄が頼りにしていた同じ学年の友だちが、何人も、手のひらを返したように薄に冷たくしたことが決定的だったらしい。

 薄は学校に出て来なくなった。

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