第2話 橘天音という女の話
「本当信じられない! 鈍感!」
私——
ずんずんと進んで行くと、先程まで瑠夏を共に揶揄っていた男女——進藤碧と
「二人とも聞いて!」
「どうしたどうした」
「また瑠夏絡み?」
中学からの私と瑠夏の同級生である二人に泣きつくと、目を丸くされる。
慰めるのが慣れている手つきの二人に、私はこの攻防の長さを感じて泣きそうになった。
「これ、告白だよね!?」
「「えぇ」」
なんで気づかないの!? と半泣きで叫ぶ。
そんな私に首を傾げた二人に事情を説明すると、なんとも微妙な顔をされた。
「うわそれは……」
「どっちも不憫というか……」
「しかも自分は言わないし!」
私が再び叫ぶと、円満なカップルは苦笑いする。
そうやって不満を言いつつ階段を上がっていると、誰かがこちらへ向かう足音がした。
「瑠夏?」
「天音……って、碧と日向も」
「ご飯誘ったのそっちのくせにー」
「瑠夏のいけずー」
「何そのだる絡み」
うぜぇ、と顔を顰めた瑠夏を笑っていると、そういえばと瑠夏が登校した時を思い出す。
その手には何も持っていなかったと首を傾げ、私は彼へ視線を向けた。
「瑠夏。ご飯は?」
「え? あっ」
受け取るの忘れた、と項垂れている瑠夏に苦笑いする。
弁当ちょーだい、と進藤くんに言って拒否されている幼馴染を菜乃花と笑っていると、不意に瑠夏が声を上げた。
「そういえば。さっきなに話してたんだ?」
「私の好きな人の話」
「天音!?」
目を見開く菜乃花に向かい、私は笑いかける。
今度こそ、もう本当に『終わり』にする。
——ずっとずっと一緒にいて、私の隣にはいつだって君がいた。
でも、それももう終わり。
「私、もうこの恋終わらせようかなって」
「……は」
目を大きく見開いている彼は、何を思っているのだろうか。
そう思いながら幼馴染をじっと見つめていたけれど——不意に、目の前にいたはずの彼が、傾いた。
「あ」
◇◇◇◇◇
小学校三年生の時、家の隣に引っ越してきた子がいた。
その子は透き通る肌と長いまつ毛を持つ、それはそれは美しい——女の子だった。
それから友達になり、毎日遊ぶくらいの仲になって。
そして瑠夏を苛める同級生は、私が全て返り討ちにした。
その度に、瑠夏は目を輝かせて、決まった言葉を口にする。
「天音ちゃん、カッコいい!!」と。
その言葉を聞くたびに「私が瑠夏ちゃんを守る」と思う気持ちが強くなった。
しかし、中学生の時。
『瑠夏ちゃん、男の子だったの!?』
瑠夏ちゃんは——私のお姫様だった瑠夏ちゃんは、『瑠夏くん』だった。
瑠夏はやっぱり女の子に間違えられるくらい可愛かったけれど、学ランを着た『男の子』だった。
そして何故かその事にすごく狼狽えた私は、瑠夏にとっての禁句を口にした。
『名前も女の子っぽいし、私と声の高さも身長も変わらないし……』
今なら言ってはいけないとわかるけど、その時の私には余裕がなかった。
それでも段々とその事実を飲み込んで、何ともないふりを出来るくらいの関係に戻って——そんなとき、『それ』は起こった。
『天音……?』
瑠夏はいつのまにか私を呼び捨てにしていて、私も釣られるようにそうして。
当時陸上部だった私が保健室にいる際に瑠夏がその場に来たのは、本当に偶然だった。
『あはは……怪我、しちゃった』
担当だったハードルで転んで、保健室の先生に見てもらったあと、もうハードルを全力でやるのは難しいと言われて一人にしてもらった、すぐ。
悲しかったけど瑠夏が来た時に笑みを作ったのは、今思えば一種の意地だと思う。
そして彼は、そんな私を見て戸惑った顔をした。
『なんで、笑ってるの。ハードルが出来なくなるかもしれないのに!』
『あ、聞こえてた? まあ、しょうがないよ』
そう言って笑った私に、瑠夏はずんずんと近づいてきて。
そして固まった私を見て、何故か泣きそうな顔をしたのだ。
『瑠夏?』
何でそんな顔をするのかとか、大丈夫かとか声をかけたいけど、それよりも先に瑠夏が口を開き――くしゃりと顔を歪めた。
『天音の事情とか、俺、何にも知らないけどさ……』
——いつから私の幼馴染は、『俺』というようになったのだろうかと、そんなどうでもいいことが頭をよぎった。
『本当に大丈夫な奴は、泣いたりなんかしないだろ……』
その言葉が耳に届いた時、自分の頬に生温い何かが伝っているのを知った。
そして呆然とする視界の中で、瑠夏が無理やり顔に笑顔を浮かべるのが見える。
さっきの私もこんな顔してたのかな、とぼんやり考えて、瑠夏をじっと見つめていたら、彼は——私の幼馴染は、私が知らない顔で微笑んだ。
『俺、全部聞くよ。ゆっくりでいいよ。全部、聞くから』
その言葉にどうしようもなく安心して、全部全部話してしまって。
そして全て話した後、ずっと優しく微笑んでいる瑠夏を見て、ふと思った。
ああ、瑠夏も男の子なんだ、と。
そうわかってしまったその瞬間、今までの言動も全て見方が変わってしまったのだ。
歩く時にさりげなく車道側を歩いてくれるところとか、話を聞くときに目を見て聞いてくれるところとか。
そんなこと一つ一つに心臓が鳴って、——惹かれた。
そのうち自分の気持ちが何なのか知って、
『んー、可愛くて可愛くて仕方がなくて、カッコいい子だよ』
そう返ってきて、そんな抽象的な言葉に頭を抱えたりもしたけれど。
それでも外見に気を使うようになったり、『かわいく』なるためにメイクやおしゃれも頑張った。『カッコよく』なるために筋トレもした。
「——……っと」
傾いた瑠夏の体を咄嗟に掴み、抱えたまま手すりを掴む。
危な、と呟いた私の声は、前にいた二人の感嘆の声と重なった。
「橘さんかっけえ」
「天音、今日も男前」
その声にお礼を言い、私は幼馴染へと顔を向ける。
しかし当の本人は俯いたままで、私は心配になってその顔を覗き込んだ。
「瑠夏?」
「……ズルい」
その瞬間、瑠夏の顔が真っ赤になっていて、私は首を傾げる。
ずるい、かっこいい……と呟いているのが聞こえた私は、ようやく彼の顔が赤くなっている理由を察した。
「あ、あと可愛いとも俺はおもっ、」
「瑠夏もカッコいいよ!」
「……は?」
俺の話聞いてた? と低い声で呟いた瑠夏は、きっと怒っている。
昔から「カッコよさ」に拘る瑠夏は、きっと私に助けられたことに怒っているのだろうと、私は一気に真っ青になった。
「俺は天音はかっこいいけどかっ、かわいいって、」
「ごめん瑠夏」
「聞いてる天音?……聞いてる?」
「今のは不可抗力で」
「好きだー、天音」
「本当に申し訳ないとは思っていて」
「好きだー!!」
好きになってもらうどころか、嫌われたら元の子もない。
そう思う一心で謝罪してみるが、どうにも反応が芳しくない。
そう思って上を見上げると、顔を真っ赤にした瑠夏と目が合い、そして気まずげな表情をしている進藤くんたちとも目が合った。
「早く結婚しろ」
「両思いの二人が十年一緒に居たらそれは結婚」
「じゃあここに教会を建てよう……」
俺神父。私ブーケ。ブーケ……? と言いながら祈りを捧げている二人に必死にSOSを送るけれど、どうにも伝わっていない。
とりあえず何でかわからないが真っ赤になって震えている瑠夏をもう一度見ると、「とにかく、怒ってないから!」とどう考えても怒っている口調で言われた。
そうして教室の近くまで来たとき、今日ずっと言おうと思っていたことを思い出す。
「――ねえ」
十年間。
出会ってきて十年間、私たちはずっと一緒に、隣にいた。
けれど、私も彼も、それぞれ自分の進む道へ、大学へと進むから。
ずっと一緒にいたこの日々も、もうおしまい。
「今年も、四人で桜まつりに行かない?」
皆の承諾が得られた後、私は手を洗ってくると言って教室を一度出る。
振り向きざまに教室を覗き込むと、いつの間にか大きくなった幼馴染の背中が微かに見えた。
呑気な幼馴染は、先ほど私が言った「終わらせる」なんて言葉は忘れてしまっているのだろう。
いつの間にかその背中は、私よりも大きくなってしまったけれど。
――ふと、一人の声が脳裏に蘇った。
『天音ちゃん、カッコ良すぎて好きになっちゃいそう!』
「……あとどれぐらいカッコよくなったら好きになってくれるのよ、アホ」
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