「男だったら絶対好きになる」と言った幼馴染、男だとわかった今も全然好きになってくれない件。
沙月雨
第1話 天満瑠夏という男の話
夢を見ている時、今体験している『それ』が現実ではないことに気づく時がある。
そして――その時見ている夢が、実際に起きたことの走馬灯、というのが、時たまある。
『っひ、うぐっ……』
『よそ者は出てけ!』
『やめて、』
『反抗すんな!』
土砂降りの雨の中、泥だらけになって蹴られている。
なんとか逃げようと微かに動くと、再びみぞおちに衝撃が走った。
『いっ、た……』
『あ?』
いつもは我慢している呻き声が、思わず漏れる。
すると近づいてきた目が細められたのが見えて、ひゅっと喉が震えた、けれど。
『こらーっ! そこの男子ー!』
次に目を開いたときには、先ほどまで自分を蹴っていたはずの同級生達が同じように泥の上にいる。
顔をあげれば鼻息荒く仁王立ちしているその少女に、目が奪われた。
『私の友達、虐めんな!』
ふんっと息をついた少女は、『大丈夫?』と言って手を差し出す。
そうして引っ張り上げられたとき、彼女が同級生達を追い払っている姿が見えた。
『カッコいい……。天音ちゃん、カッコ良すぎて好きになっちゃいそうだよ!』
『でしょ? 天音はヒーローだから!』
少女が笑い、少年もそれを聞いて笑顔になるが――小さく肩を落とす。
そして俯いたままじっとした後、意を決して口を開いた。
『天音ちゃんみたいに、カッコよくなりたい』
『十分カッコいいよ! もし男の子だったら絶対好きになるもん!』
その言葉に僅かに頰を赤く染めると、不意に少年は声を上げた。
『あのね、実は
『あ、お母さんだ!』
天音ー、と呼ばれた少女はその声へ走って行った後、不意にくるりと振り返る。
今日も言えなかった、と。
少年はそう思いながら諦めた笑みを浮かべ、少女にばいばいと手を振る。
少女は、それに手を大きく振り返しながら満面の笑みを浮かべた。
『じゃあね、
◇◇◇◇◇
ピピピピッ! ピピピピッ!
「……また、この夢」
聞き慣れた目覚ましの音をそのままに、俺――
何十度か見たその夢は、そろそろセリフまで暗記しそうになっていた。
そしてぼんやりと見える景色には見慣れた蛍光灯と、時計に見える——『10時50分』と書かれている文字盤。
「って、嘘だろ!?」
遅刻! と飛び起きると、目覚まし時計が音を立てて落ちる。
鈍い音が鳴ったそれを慌てて拾いながら階段を駆け下り、俺はパンをトースターに入れている母親に叫んだ。
「母さん! いるなら起こせよ!」
「もう学校には行かなくていいんでしょ?」
「そうだけど!」
今は三月で、そして俺は高校三年生。
受験が終わったこの季節では、適度に休んでいる生徒が殆どだ。
そんな中、俺は受験が終わっても毎日高校に通い続けている。
「瑠夏、遅刻だって言うなら早く準備しなさい!」
「遅刻決定だからいいんですー」
鞄を準備していると、母から叱咤の声が飛んでくる。
それに舌を出すと、「何でこんな子に」と母はため息をついた。
「昔は素直だったのに」
「DNAのせい」
「私はしつこくないわよ。父親似かしら」
そう苦笑した母は、父に何度も求婚されたと聞いたことがある。
それを思い出し「違う」と渋面で返した俺を無視して、母はトーストを俺の口へと突っ込んだ。
「天音ちゃんが気の毒だわ、幼馴染が高校まで追いかけてくるなんて。いつまで追いかける気?」
「
と、いいつつも。
受験が終わった今、学校に行く理由もその幼馴染が理由だったりするので、母親の勘というものは馬鹿にできないものである。
そんなことを考えながら洗面所に向かい、歯ブラシを手に取る。
洗面台にある時計を確認しながら、俺はぼんやりと鏡を見つめた。
「……いつまで、なんて」
人生の中の十年間を、ずっと同じ人に捧げてきた。
だったら——もう『終わり』にしてはいいのではないかと、そう思ってしまうのだ。
◇◇◇◇◇
「暖かくなってきたな……」
あれからゆっくりと家を出て、学校への道を歩いていく。
日差しは一ヶ月前よりも暖かくなっていて、確かに春の訪れを感じさせた。
「来年は大学生か」
受験は終わり、学校に来る人は少ない。
そうして徒歩十分の高校の門を潜り抜け、教室がある校舎へと入る。
ちょうど四限目が終わって騒がしい中、俺は教室の扉をがらりと開いた。
「あ、天満!」
「重役出勤め!」
「はよー」
それらの言葉を無視すると、元気なブーイングが返ってくる。
それに苦笑しながら教室を見渡すと、唇の端を釣り上げた同級生と目が合った。
「誰を探してるの?」
「別に誰も、」
「ふっ」
「うわあっ!」
否定しようと口を開くと、耳に息が吹きかけられる。
思わず耳を抑えながら振り返った瞬間、十年間見慣れた整った顔が現れた。
「何するんだよ――天音!」
彼女――
小学校三年生の時に俺が引っ越してきて、俺と天音はすぐに仲良くなった――のは、昔の話。
「瑠夏は昔は可愛かったのに」
「生憎、可愛さは求めてないもので」
今はそんな嫌味をお互い言うほど、結構仲が悪い。
鼻を鳴らすと、本当可愛くない! と言った幼馴染は大きなため息をついた。
「はいはい、痴話喧嘩はそこまで」
「「どこが痴話喧嘩だ!!」」
「そういうとこだよ」
何でそうなるんだ、と呟いた友人に、俺はこぶしを握り締める。
何度も説明しただろ! と叫んだ俺は、同じ話を友人に聞かせた。
きっかけは、中学一年生。
忘れもしない、というか、忘れることができない出来事だった。
『瑠夏ちゃん、男の子だったの!?』
中学校の入学式の日、この女はそう言い放った。
何度も言っているのに頑なにちゃん付けをやめないと思っていたが、流石に未だに女だと思われているとは思わなかった俺は、大きなショックを受けたのだ。
『まだ女の子だと思ってたの……』
『だ、だって名前も女の子っぽいし、私と声の高さも身長も変わらないし……』
そして、彼女は俺の気にしている全部をフルコンボで、そして集中的に刺した。
その時少し視界が潤んだ気がするけれど、泣いていない。決して泣いてはいないのだ。
天音に男として意識させる。
そう目標を決めてはや三年。
俺はとにかく頑張った。主に筋トレとか筋トレとか。
男らしさで筋トレとか単純、と姉に鼻で笑われたりもしたけれど、とにかく俺は頑張ったのだ。
「……やべえ、何度聞いてもしょうもねえ」
「んだと!?」
呆れたような視線にたじろぐと、不意に天音が「あ」と声を上げる。
これ職員室に持ってけって言われてた、といった幼馴染は、教卓の上にあったノート――四十冊分あるそれを、軽々と持ち上げた。
「橘さん、今日も男前」
「でしょ」
「……それ、俺が持つ」
「え?」
天音が持っていたそれをやや強制的に奪い、開けっ放しだった扉を潜る。
登校早々忙しいねえ、と言った友人に「あとで飯食うぞ」と声をかけてから、追いかけてきた幼馴染を一瞥した。
「……男っぽい?」
「まだ引きずってんの」
男なのは知ってるよ、と呆れたように言う幼馴染は、やっぱり何もわかってない。
そんな彼女を見てから、俺は窓の外へと視線を向けた。
「天音って好きな人いる?」
「……まあ」
急に歯切れが悪くなった天音に、思わずノートをとり落としそうになる。
それを見て彼女がノートを半分以上持って行ったのが見えて、俺はまたその半分を奪い返した。
「それって、どんな人?」
「一緒にいて安心する人」
「……ふーん」
誰だよとか、そいつのどこがいいんだよとか言いたいけれど、結局言わない。
天音に好きな人がいるならば、別にもう『終わり』にしていいんじゃないか、と思ったけれど結局踏み切れない俺がいて、そんな自分なりに少し踏み込んだ質問をしてみる。
「じゃあ、俺の事はどう思ってる?」
「――……一緒にいて、安心するかな」
(……なんだよ)
あれだけ男ってわかってるって言ってたのに、と胸中で呟く。
『安心する』ってことは、やはり異性として見られていないと、俺は唇を噛んだ。
「あとは俺が出すから」
「……うん」
職員室の前で別れ、ノートを提出する。
遅刻届を出せと小突かれた頭を押さえながら、俺はその場所を後にした。
廊下を歩いていると、遠くに幼馴染の背中が見える。
――不意に、一人の少女の笑顔が鮮やかに思い浮かんだ。
『もし男の子だったら、絶対好きになるもん!』
「……全然好きになってくれないじゃん、ばーか」
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