第3話 望まない里帰り



 <絡繰と魔導の世>は、かつて緑と鉱石の豊かな世界だった。大地は黒や赤の土と頑健な岩、豊かな樹木であふれていた。そして、そのほとばしる生命力を象徴するかのような、美しい結晶の原石が、いたるところに露出していた。水晶、トパーズ、オパール、クオーツ──様々な宝石の大きな結晶が、地面より生え出て、独特の景観を彩った。

 さらに、土の中や木の吸い上げた水、草原の表面など、あらゆるところに、侵食で細かくなった鉱石の破片が存在していた。そのため、日が昇って大地を照らし出すと、世界はどこもかしこもきらきらと輝いた。昔、この世界は煌めきに満ちていた。

 マイッタによると、パンゲアの世界の名称は固定のものではないという。その時々で、世界で最も勢いを持つ二つの物の名を用いて、呼ばれるらしい。

 だから、当時のこの世界は、パンサラサの民より<宝石と魔法の世>と呼ばれていた。その美しい景色を一目見たいと、担当でない御使たちが、仕事の合間に代わる代わる訪れ、夢のような景観に感嘆の息を吐いたこともあったそうだ。

「それが変わったのは、カーライ国の世界進出の後だった」

 マイッタは語る。

「カーライ国は、峻険な山々の谷合いにある、日のあまり届かない影の国。鉱石はあったけれど、よその肥沃な土地ほどではない。他に資源もないから、世界のどの国からも相手にされていなかった。それが変わったのは、ある優れた魔導技師の活躍がきっかけだった」

 そこまで話した少年は、僕へ顔を向けた。

「俺が死者の魂を集めながら聞いた噂はここまで。ここから先は、クルスさんの方が詳しいよね」

「そうですね」

「カーライ国の魔導術は、世界の急激な発展や成長を引き起こすんじゃないかと、俺は思ってた」

 俄かに、マイッタの顔が曇る。

「それが、どうしてこうなってしまったんだろう」

 僕は、身をひそめる家屋の外の景色を眺めた。

 吹きすさぶ強風が、生気のない灰色の土を巻き上げて、さかんに砂嵐を起こす。

 いぶされたような色合いの草がまばらに生えたそこは、カーライ国の外れにできた荒野だった。

 荒野ができた、などと言うことになるなんて、予想していなかった。かつてここには、平原などなかった。僕が生きていた頃、この土地は山だった。

 空を仰ぐ。見渡す限り、真っ黒に暗雲が立ち込めている。時折、雲の中を光る筋が走る。

 まるで、滅びた後のような世界だ──そう言いたくなる気持ちを押さえた。

「世界の異変は、カーライ国を中心に起きてる」

 マイッタは言った。

「空はどこに行ってもこんな感じだけど、他の土地は、まだここまで荒れてないんだ。カーライ国に近づくにつれて、変化が強くなってる感じで」

「変化って、どんな」

 シャーロが訊ねた。まだ、何も思い出さないらしい。

「土地が貧しくなるんです。まるで、大地の力がすべて抜き取られてしまったように」

 少年は、干からびた周囲の景色を悲しげに見回す。

「ここに家があるのを、俺は知らなかったけど、地理は覚えてるよ。前までここは山で、森があった。小川も流れてた。木々と結晶に包まれている、この世界らしい場所のはずなのに、僕がうまく来られなかった短期間のうちに、消えてしまった」

 マイッタは悲しそうだった。

「環境開発にしては大規模で、急すぎる。地殻変動と言われた方がまだ納得できるけど、それにしては、景色の変化が自然じゃない。だから、俺は誰かが人工的に地殻変動を起こしたんじゃないかと考えた」

「その通り。まず人為的なものでしょうね」

 僕は呟いた。

「僕が死んでから、どのくらいの時間が経ちましたか」

「この世界の感覚で言うと、三年です」

「早いなあ」

 土地が荒れることは予想していた。

 だが、ここまで早く変わるとは思っていなかった。

「何が起きたのか、クルスさんには分かるんだ」

 マイッタの問いに、僕は頷いた。

 シャーロは、僕らの潜む廃屋を見回していた。

「ここはどこだ」

「僕の家だよ」

 昔のね、と付け足した。

「まず来るならここかな、と思ったんだ。ここの変化を見れば、彼らがどう動いたか見当がつく」

「この変化をもたらしたものを、知っているんだね」

「おそらく、ですけれどね」

 僕は荒れた外の景色に背を向け、屋内に向き直った。

 家は、荒れていた。扉は外され、棚はひっくり返り、中にしまわれていたはずの素材がすべてなくなっている。飾ってあったはずの工具も、ない。持ち去られたのだろう。

 かろうじて、面の広い作業机と、椅子が一つ残っていた。僕はそちらへ、何とはなしに寄っていった。

「話してください」

 マイッタが言った。

「俺たち御使は、界層の壁を超え、死者の魂をパンサラサへ導くことはできますが、世界のすべてを見る力はありません。カーライ国で何があったか──あなたの知っていることを、教えてください」

 僕は、考える。

 何から話をしたらいいのだろう。この世界に触れるのは久しぶりだったから、物事の順序を忘れていた。

「カーライ国の発展に、魔導技師が寄与していたことは、知っていましたね」

「はい」

「この家は、その魔導技師の家です」

 厳密には、工房だったのだのだが。

 僕は、ささくれた椅子に指先を置く。

「セイガイ・深浪。僕の祖父にして、養い親でした」






 僕の世界において、世界三大奇術と言えば、魔法、魔術、魔導術を指す。今でこそ三大奇術の一つとして数えられるようになった魔導術だが、その前は、魔法魔術と並び称するなんておこがましいと言われてきた時代があった。

 魔法は精霊の恩寵、魔術は精霊の約束と呼ばれる。その一方で、魔導術は、妖精のままごとと揶揄されていた。

 道具に魔法を施し、半永久的に動くようにするには、途轍もない手間と時間がかかった。そのため、当時は、小さな布や人形などに、皿拭きや歌うたいなどといった、小さな奇跡を宿した魔導具を作るのが、精一杯だった。

 ささやかな奇跡で生活を支える魔導術は、庶民の生活の中で好まれた。だが、あまりに消費的で短絡的な奇跡であったため、弱者の魔法、卑しい術とみなされた。魔法使いや魔術師は、たとえ使えたとしても、魔導術を用いることを嫌がった。その頃は、精霊との折衝をこなす者や、人間の精神に関わること──たとえば洗脳、恋など──を操れる者が至高とされていた。

 その認識が変わったのは、カーライ国のめざましい台頭がきっかけだった。

 カーライ国は、僕の生まれる前まで、弱小国家だった。どこの屈強な国も欲しがらないような、山の隙間の小さな谷に、貧しい人々が身を寄せ合っていた。それが世界有数の先進国と呼ばれるようになったのは、祖父セイガイの働きのおかげだった。

 セイガイは変わり者だった。人への関心が薄く、他の人間のように汗水垂らして土地を耕すことを嫌い、生活のほとんどを、険しい斜面ばかりの森で過ごした。晩年こそ魔導技師らしい、触媒や道具の収納と作業に特化した魔導作業衣を着るようになったが、若い頃は生家に寄りつかず、原始人同然の格好で野山を駆け回っていたという。そんな彼を、集落の者たちは奇異な目で見て近寄らず、親兄弟は勘当同然の扱いにしていた。彼らとしても、食い扶持が少ないに越したことはなかったのだ。

 セイガイの生まれた集落は、カーライ国領の西の端にあった。集落の接する山は、国内外から魔境として恐れられる怪峰、ダゴンニッダ山だった。ここで暮らし続けたセイガイは、何故か魔導術を習得した。集落には、出産のまじないを行う産婆以外に魔法を使える者などいなかった。セイガイは、独学で魔導術に秀でるようになったのだった。

 彼の魔導術に初めて気づいたのは、都へ売りつけるための霊草をダゴンニッダ山へ取りにやってきた、山師だった。

 険しい山を分け入っていった彼は、森の奥に、建つはずのない小さくも堂々とした小屋を見つけて驚いた。すわ化け屋敷かと思いながらもおそるおそる中を覗いてみると、セイガイが昼寝をしていた。その周りでは、鍋が勝手に肉じゃがを作り、洗濯縄が洗った敷物を振り回して脱水し、木彫りの鳥がオペラを歌っていた。山師は、仙人の家に迷いこんだかと思ったという。

 起きたセイガイと話してみた山師は、彼が人であることを知り、熱心に交流した。そして、彼の持つのがとんでもない力の魔導具であること、またその魔導具を作ったのがセイガイ自身であることを察すると、彼を説得して、都へ連れていくことにした。

 セイガイの魔導術は、特別だった。彼の作った魔導具は、使い手を選ばなかった。これは、当時の魔導具の常識から考えて、とんでもないことだった。

 魔法は精霊に選ばれし素養のある者にしか使えず、魔術は彼らの言葉を操り、法則を理解した者にしか使えない。魔導具も同じだ。魔導具の使い手は、効果の持続性が高く、強い力を発揮するものほど、使い手が限られた。選ばれし戦士のみが伝説の武器を使えるように、魔導具が優れた力を発揮する条件は、かなり限定的だった。だから、世間に出回る魔導術の施された道具は、子どものおもちゃ程度のものしかなかったのだ。

 だが、セイガイの魔導具は違う。彼の作品は、山師が扱っても動いた。山師はそこに、利潤の匂いを感じたのだった。

 はたして山師の読み通り、セイガイの魔導具は都の人々にもてはやされた。セイガイの作品はあっという間に民の生活を潤し、生活水準を急激に引き上げた。彼の名は、たちまち国内に広く知られるようになった。

 山師──この頃には彼専属のビジネスパートナーとなっていた──に囲われたセイガイのもとには、たくさんの魔導具作成依頼が舞い込んだ。同時に、弟子にしてくれ、技術を教えてくれという者が押し寄せた。国からも助力依頼が来た。セイガイは気前よく、自分の知識や力を分け与えた。

 カーライ国は、こうして世界一の魔導術の国になった。魔導具の輸出で、国外へも知られるようになった。

 だが、後のことを考えるに、悲劇の種はこの時に芽吹いたのだろう。

 東に隣接するジーングォルト帝国が、強硬な交渉をしてきた。簡潔にその内容をまとめると、属国にならなければ武力で制圧する、というものだった。根拠としては、カーライ国の民はそもそもジーングォルト帝国の流民がほとんどであり、帝国の許可なくして国を名乗るなどおこがましい、というものだったが、交渉の背景に、カーライ国の魔導術と、魔導術の根付いた地盤を求める目論見があるのは明らかだった。

 ジーングォルト帝国は、強力な魔神との契約によってのし上がった、呪術の大国である。しかも代々、祭司でもある皇帝の烈しい執政が続いており、属国が家畜の如く扱われることも知られていた。

 領土の大きさも、人民の規模も違う。普通に戦うなら、勝てるはずがない。

 しかし、カーライ国には優れた魔導具があった。誰でも使える強力な武器を作れる魔導術師も、多くなっていた。

 カーライ国は抗戦を選択した。魔導兵器の作成者の中には、祖父もいた。

 結果、決して小さくはない犠牲を強いられながらも、カーライ国は勝利した。皇帝の自刃により、ジーングォルト帝国との戦争は終わった。国力がついたと、勝利に歓声を上げたのは束の間だった。

 ジーングォルト皇帝の自刃は、契約した魔神によって仕組まれた、召喚儀式だった。かの国と契約する魔神は、小道具を用いる人間との戦いに興味を示し、皇帝の命とジーングォルトの民の身柄と引き換えに、世界へ降り立つことを選んだのだ。

 すぐに悪夢のような戦争が、幕を開けた。

 人間相手に使ってきたこれまでの魔導兵器は、無限の生命を持つ魔神に憑依される兵士に使っても、キリがなかった。魔神は兵士の身体を、時には戦闘経験のない市民の身体を、戦場へ持ちだした。そして、高い高いをしてもらう子どものように、駆り出した小さな命が魔導兵器で吹き飛ばされるのを見て、キャッキャと喜んだ。その傍から、新しく作った人間を魔法で無理矢理に成長させて、再び戦場へ向かわせた。

 ジーングォルトの民を繋ぎ合わせた生物兵器を作り、魔導兵器を破壊しにかかることもあった。ジーングォルトの民でできた兵器は、凶悪な生きる呪具だった。丸い肉の塊に、男女の顔や腕が無数に生えていた。完全な生殖を備えた生物兵器は、魔導兵器の攻撃を多少喰らっても、自己増殖で生き延び、侵攻を続けることができた。そうして、うまく魔導兵器のもとへ行き着くと、自らも溶かす赤い酸の涙で、兵器を溶かしながら自滅してしまうのだった。

 かと思えば、急に自ら戦場の上空へ現れ、すべてを焼き尽くす極限の魔法で、一個大隊を消し炭にしてしまうこともあった。これは本当に稀な攻撃だったが、カーライ国軍兵士の士気を削ぐには十分だった。

 魔神は、魔導技師と遊びたいという、その一点に執着しているようだった。魔法使いと魔術師は、戦場で長生きできなかった。魔導技師より霊的存在に通じる感性を持つ彼らは、さらに上位である魔神に干渉しようとすると、それより遥かに濃い力を注ぎこまれて、すぐに発狂してしまった。

 魔導技師だけが、戦いの手段だった。しかし同時に、魔神におもちゃとして永遠にもてあそばれる存在でもあったため、肉体、精神共に、多くの魔導技師が嬲り殺された。

 魔神との戦争は、ジーングォルト帝国との戦争より、ずっと長く続いた。だが、戦いの末に、魔神をこの世界から打ち払う方法を発見した。

 そしてカーライ国は、どうにか生き延びた。






「その方法とは、宝石魔術を流用した、兵器タイプの宝貝式魔導人形の開発でした」

 僕は無心に、祖父の使っていた椅子を撫でていた。

 彼が、魔導人形開発の祖だった。その核に宝石を用いることで、長く働き続ける給仕人形を作りだした。コミュニケーションはうまくできなかったが、人形を引き取った家の者たちは満足そうにしていた。

「あれには欠点がありました。宝石を媒介として、周囲の霊力を吸収し──吸命と僕らは呼んでいました──それを動力として消費し、戦うという仕組みなので、他の命を吸いすぎるのです。その性質だからこそ、無限の命を持つ魔神との戦いを有利にできたわけですけれど、魔神のいなくなった今は、魔導人形は使い手と環境の寿命を縮めてしまう」

 椅子の表面に付着した砂は、命の感覚が薄い。

 このような砂を、魔導人形の試用段階で触ったことがあった。

「この景色は、魔導人形の吸命が起こった時の状況に似ています。けれど、人形一体ではここまでの惨状にはならない。祖父の工房がここまで荒れて放置されているところを見るに、新しい魔導人形か、もしくはそれに似た動力を持つ新しい兵器を開発しているのでしょう。指示を出す人がいるとすれば」

 脳裏に、身なりの良い壮年の男の姿が浮かぶ。

 祖父を亡くし、工房で一人暮らしていた僕を、連れ出した人間。

 軍に籍を置いてからは、上司ともなった男。

「おそらく世界の異常の原因は、カーライ国首脳で軍事名誉顧問──トミガヤ・益飼マスカイの周辺にあるはずです。祖父の魔導術を発見した、かつての山師です」

 野心のある魔導技師は、たくさんいた。しかし、大地を蹂躙するほどの兵器開発を断行できる度量を持つ人物は、トミガヤ以外に思い浮かばない。彼が主格でなかったとしても、一枚噛んでいる可能性は高い。

「彼の近辺を探れば、異常の原因も、シャーロに何があったかも、分かるはずです」

「どうやって探んだ」

「僕が都に潜入するよ」

 僕ら三人は死者、仮死者、御使、と肉体を持たない者ばかりだが、霊体を見る技術が発展している都では、下手に動くと目を付けられる可能性がある。都に慣れた僕ひとりで行った方がいいだろう。

「シャーロとマイッタさんは、ここで待っていてもらえますか。手がかりが掴め次第、連絡しますから」

 マイッタは丸い眉を持ち上げた。

「ひとりで行く気ですか?」

「はい」

「駄目だ」

 シャーロがぴしゃりと言った。

 僕は驚いた。マイッタから止められることは予想していたが、まさか、記憶喪失の人間に強く言われるとは思っていなかったのだ。

「なんでだよ」

「お前がひとりで行くのはまずい」

「どうして。お前は記憶がないだろ。そんな状態の奴を連れていった方がまずいんじゃないか」

「俺のことはいい。とにかく、お前ひとりじゃあ行かせられない」

 僕は、隣に佇むマイッタと顔を見合わせた。

 どちらかというと、それはこちらの台詞だ。調査の鍵を握っていることは間違いないので連れてきたが、記憶がない以上、いざという時の立ち回りに一番不安がある。

「でも、お前は」

 僕が説得しようと、彼の方へ目を戻した時だった。

 顔の横を鋭い風が切った。

 追って振り返る。

 風化した壁に、銀の投げナイフが刺さっていた。その切先に、柘榴石の嵌めこんである蜘蛛が、縫い止められている。

 ツチグモ式魔導人形──索敵のために生み出された魔導具だ。

 僕は顔を元の方へ戻した。そして、利き腕をぶらぶらさせているシャーロを見て、やっとナイフを振り抜いたのが彼だったのだと認識した。

「悪ぃな。怪しいとは思ってたんだが、近づいてくるまで確信が持てなかった」

「いや、十分だよ」

 蜘蛛人形は新しく、つやつやとしている。ナイフがちょうど腹の中央に固定された宝珠を貫き砕いたから、会話の転送は阻止されただろう。

 この工房に放置されていたものではない。

 ここへ誰か来るのを警戒して、何者かが置いていたのか?

 僕はナイフを抜き、微動だにしない蜘蛛をひっくり返した。やはり、作り手の名前は書いていない。しかし素材から見るに、都市でしか流通していない糸を使っていたため、これを作った人間は都に住んでいるだろうと予想された。

 ──鈍ってるな。

 僕は苦笑した。これでは、シャーロのことを言えない。

「な? 俺、役に立つと思わないか」

 シャーロは唇の片側だけを吊り上げる、不適な笑みを浮かべた。僕は頷いた。

「確かに」






 カーライ国の首都グステは、天高くせり上がる崖の上にあった。

 死んだ灰色の大地の中央に、巨大な椀を逆さまにしたのに似た天井が盛り上がっている。夜の砂嵐の中、下から照明で照らし出された都は、巨大な怪物の卵のようだった。

 僕たちは、霊視によって姿がバレる可能性をおそれ、念入りにカモフラージュをして都へ忍び込んだ。それでも、都の正門に仕掛けられた魔導カメラでバレることも視野に入れて、突破計画を練っていた。

 だが、僕たちは見つからなかった。あっさりと通過できてしまい、拍子抜けした。

「なんでバレなかったんだ」

「いや、なんでこれでバレると思ったんだよ」

 シャーロは呆れているようだ。

 僕らは関門抜けに成功し、あまり利用客の多くない宿の、空いていた一室を拝借していた。

 宿の部屋を借りている理由は三つある。

 一つは、都の様子を落ち着いて観察し、今後の行動計画を立てられる拠点がほしかったから。

 二つ目は、どの部屋も同じ構造をしている宿ならば、監視や盗聴などを避けるための魔導具を置きやすく、守護結界を作りやすいから。

 三つ目は、都へ忍び込む時に紛れ込んでいた堆肥袋の山の匂い──僕たちは霊体なので、本当に堆肥と触れ合っていたわけではないのだが、匂いの記憶は霊体に染み込むほど強烈なのだ──を落とすために、風呂を借りたかったからだ。

「いくら荷物検査でも、堆肥なんて確かめねえだろ」

「いや、前は確かめてた。チェックが緩くなってる気がする」

「もっと他に、身の隠し方があったんじゃねえの」

「なら、グリフォンの落とし物を積んだ黒魔術屋の馬車の方が良かった?」

「同じ糞を引き合いに出すな。他の選択肢をくれ」

 シャーロは文句を言いながら、タオルで髪を拭いている。湿ってベルガモットの香りを漂わせるタオルを眺めつつ、チェックアウトする時はチップを多めにしないとなあ、なんて僕は考える。

 宿の従業員や宿泊客には、この部屋の存在を忘れさせて認識させなくなる、認識遮断のまじないをかけてあるので、互いに誤って接触してしまうことはない。この宿から去る時には、「僕たちではない利用客がいた」という認識操作の呪いを与え直していくので、彼らからすれば、何の変哲もない日常としか思わないだろう。

 しかし、世界調査という名目があっても、彼らを偽ることに変わりはない。罪悪感があった。

「服も洗うだろ」

「物質として触れたわけじゃないんだから、香水で良くない?」

「洗わせてくれ。マイッタが風呂から出てきたら、三人分まとめて全部洗うからな。この洗濯機、洗濯から乾燥まで一時間もかからねえやつみたいだぞ」

 そう言いながら、シャーロはすでに自分の着ていた軍服一式を、洗濯機に放りこんでいる。いつのまにか、ちゃっかり備えつけのガウンまで身に着けていた。

 この非常時に、匂いなど気にしない。僕が構わず胴衣を羽織ろうとすると、シャーロは鬼のような形相で胴衣を奪った。さらに、他の服まですべて略奪し、洗濯機へ放り込んでしまった。

 そういえば、昔からシャーロは綺麗好きだった。ラフで無造作な格好を好むくせに、衛生には人一倍こだわるのだ。

 国寮で暮らしていた頃は、僕が転んで穴を開けたズボンを構わず穿いていると、よく文句を言ってきたものだった。

 ──お前、モノを作るのが得意だろ。器用なんだから、そのくらい直せよ。

 自分の着るものはどうでもいいんだよね。

 僕がそう言うと、彼はぶつくさ言いながら僕のズボンを洗濯し、ほつれた箇所に当て布をしてくれた。

 記憶を失くしても、身についた感覚は健全らしい。

「お待たせしましたぁ」

 風呂場から、髪が湿ったままのマイッタが出てきた。彼が最後の入浴者だった。

 彼を見た僕たちは、目を丸くした。マイッタは、見覚えのない白のシャツとズボンを身に着けていた。

「お前、それどこから持ってきたんだよ」

「イメージでぽんっと出した」

 マイッタは、ぽん、と言いながら、自分のシャツの腹を指さす。

 すると、何もない白の生地に、ピンクのコスモスの絵が咲いた。

「御使の特技です。魂を扱う仕事だから、無から有を生み出す力が、ちょっとだけあるんだぞ」

「便利だな。瞬間移動とかできねえの?」

 できたらいいのにな。

 シャーロの言葉を聞いて、僕も思った。調査が楽になりそうだ。

 しかし、マイッタは肩をすくめた。

「それは無理。超絶力のある御使じゃないとできない」

「ふぅん」

 シャーロは洗濯機を回し始めた。

 マイッタは、空いていたベッドに腰かけた。

「それじゃあ、この後どうしようか。異変の原因の調査、どこから当たったらいいかな」

「心当たりがひとつある」

 僕は片手を軽く挙げた。

「魔導兵団に、協力してくれそうな同僚がいるんだ」

「俺たちの姿が見えるのか?」

 シャーロが訊ねるので、僕は頷いた。

 マイッタが腕を組む。

「国軍の人間なんだよね? しかも魔法使いでも魔術師でもない。魔導技師が、死者にそう簡単に協力してくれるのかな」

「問題ありませんよ。彼は魔術師ですから」

 僕は笑みを浮かべた。 

「名前はソダ・八重ヤエ。魔導兵団に所属している魔導技師ですが、それは表向きの話。本業は魔術師で、情報屋です。集めた情報を各方面に売る、国際魔術師連盟魔術適正運用委員会の、諜報員なんです」

 彼の正体は、現役の頃に知った。彼が仕事でしくじったところを助け、見逃したのだ。それからというもの、彼は僕の協力者になり、いろいろな情報をやりとりするようになったのだった。

「八重ならきっとまだ、魔導兵団に所属しているはず。会いに行って、最近の状況を聞きます」

「そういうことなら、行ってみようか」

 マイッタも乗り気になった。シャーロは何も言わないが、反対しないところを見るに、構わないということだろう。

 僕は窓の外を眺める。首都グステは、完全屋内だから空が見えず、時間の変化も分からない。天井より吊るされた魔導照明が光を発しており、真昼のように眩い。人々は呑気に会話をしながら、モノクロのレンガ通りを歩いている。

 明るい街の景色を見つめていると、何故か外の暗黒の景色を思い出された。

 壁一枚隔てた外には、荒涼とした死の大地が広がっている。それなのに、どうしてこの町の人々は、ここまでのんびりと落ち着いていられるのだろう。

 僕には分からなかった。






 カーライ国一の都グステは、石組の城郭都市である。灰色の石を組んで作られた堅牢な造りをしており、壁には宝石が埋め込まれている。さらに、僕の生きていた頃にはなかった、金の飾り細工まで埋め込まれていた。

 魔導具で存在を隠した霊体が三つうろついても、街を歩く人々は気づいていないようだった。それぞれの生活を見据えて、てんでんばらばらに歩いている。

 歩いていると、気になる住人の姿をちらほらと見かけた。彼らは顔の上半分に、金属でできたカーニバルマスクのようなものをつけており、本来なら両目があるだろう位置には、レンズを埋め込んでいた。さらに、四肢のいずれか──もしくは全て──も機械化している。

 魔導機巧人サイボーグだろうか。

 僕の生きていた頃にも魔導機巧人サイボーグはいた。けれど、失われた肢体や怪我の補強がほとんどで、今日見かけるような、顔の上半分を強化する者は見なかった。

 僕は、商店街から少し外れた辺りにある、とある店に入りこんだ。そこは、一見した限りは普通の敷物屋のようだった。カーライ国特有の草を編んだ敷物の他に、無地、花柄、毛編、幾何学模様など、国外からの輸入品が並んでいる。

 僕は商品を無視し、店の奥まで進んでいった。豪奢な反物が積まれる横に、壁一面をほぼ覆うタペストリーがかけてある。

 僕は、タペストリーに頭から突っ込んだ。

 ぶつかる感覚はなかった。タペストリーの向こうには、大きな部屋があった。さきほどまでいた店の清潔で明るい造りと異なり、くすんだ石を積み上げた四面の壁に蔦が這っているような、廃れた雰囲気の一室である。魔導照明はなく、壁と床に据えられた燭台が光源になっている。北の壁を書架が埋め、東には植物棚が、南には羽ペンとインクの種類を豊富に取りそろえた執務机が並んでおり、一目見て、魔術のための部屋だと分かる構成になっていた。

 部屋の中央にある巨大な丸いクッションに、人がひとり寝転がっていた。長い手足の目立つ成人男性で、軍服をだらしなく着崩し、暗褐色の髪はざんばらに散らばっていた。モノクルをかけた一重の双眸は、手元の賭博雑誌へ落ちていた。クッションの手前──彼の左手を伸ばしやすそうな位置では、湯気に似た煙を蓄えた水煙草が、ぶくぶくとひとりでに泡を吐いている。

 僕は声をかけた。

「八重君」

 男は顔を上げた。目が丸くなったのは、一瞬のことだった。

「うわあ。死人がおるわ」

 言葉こそ驚いているようだが、声に抑揚がない。平坦な低い声には、アンニュイながらも落ち着いた冷静な響きがあった。

「でも、深浪大佐ならありえるか。どうしたんですか、大佐。この世に忘れ物でもしました?」

 ソダ・八重は賭博雑誌から手を離した。起き上がるのかと思えば、水煙草を吸い始める。軍で共に働いていた頃から変わらぬマイペースさに、僕は笑みをこぼした。

「新兵器の開発が進んでいるっていう噂を確かめに来たんだ。何か知らないかな」

「本当、仕事熱心で頭が下がりますな」

 よっこらせ、とソダは身体を起こした。

「この情報、結構手に入れるのに苦労したんですけどね。幽霊との再会なんて、めったにない。特別に差し上げますよ」

 その透き通った耳の穴をかっぽじって、よく聞いといてくだせえ。

 ソダは手を組み、話し始めた。

「確かに、政府と軍の共同で、新兵器の開発をやっているみたいですわ。開発は、この都の北東にある、旧基地のシークレットスペースで行われています。お偉い魔導技師さんたちが行きやすいように、この都のどこかに、研究所直通の抜け道もあるって噂ですよ。その場所はまだ

確かめられてないですがね」

「何を開発してるんだ」

「新生、女神の仔」

 僕は顔を顰めた。

 マイッタが目を瞬かせる。

「それって、もしかして」

「先の大戦で活躍した英雄をモデルにした、新しい宝貝式魔導人形でさあ」

 ソダは肩をすくめた。

「新生女神の仔の名前は、国民にも発表されてます。能力を受け継ぐためにそういう名前をつけてるところはもちろんあるんでしょうが、名前は、国民に支持してもらうための、露骨な人気取りにも思えますねえ。今もなお、国民からかなり神聖視されてますから」

 情報屋の話を、シャーロは不思議そうな顔で聞いている。記憶のない彼には、何のことか分からなくて当然だろう。

 僕は構わず話を進めた。

「なんで、この期に及んで兵器開発を進めるんだ。ジーングォルト帝国は消滅した。魔神も、もういなくなっただろ」

「本当に、なんででしょうね。野心に燃える人たちの気持ちは、私には分かりませんな」

 暗褐色の髪が、首を振るのに合わせて気だるげに揺れる。

「支配欲に、取り憑かれてしまったんかもしれません」

「はあ」

「今や旧ジーングォルト帝国の領土を吸収したカーライ国は、列強諸国に名を連ねています。世界の大国たちと表面では仲良くやってるけど、実は、隙さえあれば侵略する気満々。虎視眈々だって話です」

「それは無茶じゃないか」

 カーライ国にそこまでの余裕があるとは、僕には思えなかった。

「いくら滅びたジーングォルトの広い土地を得たとしても、あそこは魔神降臨の影響で、まともに住めないはずだ。国力を上げるための元手には、到底ならない」

「ええ。これまでのカーライの民なら、住めないでしょうね」

 ソダは、意味深な言い方をした。

「そういえば、大佐。ここへ来るまでに、街の様子は見ましたか」

「え? ああ」

「なら、頭に金属のゴーグルを埋め込んだ奴らも、見ましたか」

「見たよ」

「あれは、新人類と呼ばれる奴らです」

 いつも眠そうな顔が、ここで真面目な表情になる。

「最近、金に余裕のある奴や、人生の瀬戸際にいる奴が、人体改造やってるんです。あれで、この世のいかなる苦難にも負けない、新しい人類になるって話でしてね」

「そんなバカな」

 俺は笑おうとした。しかし、ソダは笑みの欠片も浮かべなかった。

「この国は変わっちまったんですよ、大佐。私だって、この仕事がなければ、とっととトンズラこいてます。連盟からも、避難勧告が出てる。ここだけの話、必要最低限のものを持って逃げる準備は、もうとっくにできてます」

 一重の理知的な双眸が、僕を見据えた。

「大佐は、旧基地に行くつもりですか」

「ああ」

「トミガヤはもう、昔のせこいだけの奴じゃなくなっちまったって聞いてます。気をつけてください」

 僕は頷いた。

 新兵器について、彼の持つ情報は全部もらえたようだ。

「もう一つ、教えてくれ」

 そう言って、少し下がった位置で控えていたシャーロの肩を引いて、彼に見せた。

「この人を最近、見かけなかったかな」

 ソダはじっとシャーロを凝視して、間の抜けた声を上げた。

「あれぇ。行方不明の、剛真少尉じゃないですか。どこで見つけたんですか」

 僕はマイッタを窺う。御使いは頷き、ソダに向き直った。

「この人、生霊かもしれないんです」

「ええ?」

「記憶喪失で」

「わあ。それは、ご愁傷様」

 予想はしていたが、軽い。

 ソダは小首を傾げた。

「自分が最後に見たのは、半年前くらいです。行方不明届が出たのは、四か月前。早まったか、なんて銀騎士団の連中に言われてましたけど、生きてるんですね。良かった、よかった」

「早まった?」

 不穏な言葉が聞こえて、僕はつい訊ね返した。

 ソダは叱責されたと思ったのか、すかさず言った。

「おっと、失礼。ご本人を目の前に、嫌なことを言ってしまいましたわ。申し訳ない」

「いや、気にしてねえよ」

 シャーロはソダに言う。

「それより、早まったってのはどういうことだ。俺は、行方不明になる前にどうしていたんだ」

「ご本人にご本人のことを語るっていうのも、妙な気分ですな」

 ソダは独り言ちた。

「自分は面識ないので、全部伝聞になりますが、勘弁してください」

 そう前置いて、語り始めた。

 シャーロ・剛真少尉は、魔神大戦が終わった後から、人が変わったと言われていた。

 それまでシャーロは、鉄壁の強者揃いと言われた銀騎士団の中でも、抜群の戦闘技術と肝の太さ、何より、仕事への徹底的な取り組みぶりが評価されていた。きっと次世代の騎士団の中核の一人になるだろうと、上司や同期からも期待されていた。

 だが、魔神大戦が終わった後、彼は抜け殻のようになってしまった。仕事もしっかりやりはするのだが、以前ほどの覇気を感じられない。いつも心がここにないような、塞ぎこんでいるような雰囲気だった。

 どうしたのかと聞いても、はっきりしたことは答えない。

 愛想がなくとも付き合いは悪くなかったはずなのに、食事や飲みの誘いも断るようになってしまった。

「それが、去年くらいからだったかな。急に、社交界に積極的に参加するようになった。社交界って言っても、軍の飲み会から始まって、関係者のパーティーとか、そういうのだけど。いろんな軍企画のパーティーに、欠かさず参加するようになったって聞きました。話すのが好きなわけでもないのに、なんでだろうなって、銀騎士団の連中は首傾げてました」

 なんだか、ひどく行動の波があって怖い。

 もしかして気を病んで、世を儚みそうになっているのではないか。

 そういう懸念が、銀騎士団の間で囁かれていた、という。

「記憶の参考になりましたかね?」

 ソダは、シャーロを窺った。

 シャーロは頷いた。

「まださっぱり戻る気配はないが、助かった。ありがとう」

「僕からも。ありがとうね、八重君」

 僕も頭を下げた。

「財布をしっかり育ててる君に、何もあげられなくて申し訳ない」

「いいですよ。思いがけず、あんたのちゃんとした綺麗な顔が見られただけで、ええですわ」

 僕は苦笑した。

「ごめんね」

「謝ることはないですよ。おかげで、さっさと連盟に帰ろうって気持ちが固まりましたし」

 ソダは顔を顰めた。

「やっぱりカーライは性に合わんわ。街も飯も人も、みーんな地味。しょっぱい。景気が悪うてかなわん。あんたの顔も見れたし、そろそろ本当にトンズラこかせてもらいますよ」

「そっか。寂しくなるな」

 僕はもう一度、頭を下げた。

「今までありがとう、八重君。君がいてくれて、楽しかったよ」

「私からも、最後に言わせてください」

 ソダは背筋を伸ばし、僕に向き直った。

「あんたの部下でよかった。命を救われたからっていうのもありますけど、それ以上に、こんなしょっぱい国でも、あんたみたいな剛気のある人がおるんかって知れて、勉強になりました」

 彼は、長い手を差し出した。

「来世もどうぞご贔屓に」

「うん」

 僕はその手を取り、握り返した。






 ソダの隠れ家を出た後、僕たちはその足で街の北へ向かった。

 旧軍基地への抜け道なら、知っていた。北にあるマンホールのうち、星の絵が描いてあるものから下水道へ下りると、途中で旧軍事基地へ通じる道が現れるのだ。

「異常の原因かもしれない者が分かって来た。場所も、計画も分かった。良い感じだぞ」

 マイッタの頬は紅潮していた。

「あとは、辺獄の仲間が攻めこむ時のために、この通路の様子とか、旧軍事基地のことも確認できるとさらにいいんだけど。見張られていて、厳しいかな」

「僕たちは顔を知られてるから難しいな」

 僕は言った。

「でも、君だけならいけるかもね」

 マイッタは頷いた。

「ちょっと、待っていてくれませんか。俺、一人で行って見てきます」

 少年は、そそくさとマンホールを抜けて地下へ潜っていった。軽い足取りすぎて、踏み外さないか心配になったが、彼は難なく、マンホールの底へ下っていった。

 後には、僕とシャーロが残った。僕らはあまり怪しまれないよう。マンホールから少しだけ離れた位置にある図書館の壁に背を預け、マイッタを待つことにした。

「何とかなりそうだな」

「ああ」

 シャーロは俯いた。

 僕は、言ってしまってからはっとした。

「ごめん。君の記憶喪失のことは、まだだよな」

 シャーロは喋らない。横から見ていて、眉間に少しだけ皺が寄っているような気がする。

 ──やっちゃったか?

 記憶のない彼の気持ちを考えず、考えなしの発言をしてしまった。

 僕は少し後悔し、改めてシャーロに問い直した。

「何か、街並みを見ていて気になるものはなかった? よかったら、この後、三人で身に行こうよ」

「いや、特にない。いい」

 シャーロはきっぱりと言い、こちらを向いた。

 やはり眉間に皺のよった、難しそうな顔をしている。

 何か言われても、仕方ない。僕は身構えた。

「さっきの八重って奴、部下だったのか」

「え? うん、そう」

 予想していたのと、だいぶ違う質問が来たな。

 僕が困惑を押し隠して様子を見ていると、シャーロがまた口を開いた。

「俺とお前って、どういう関係だったんだ」

「うーん。幼馴染だよ」

「それだけ?」

「それだけ、って」

 他に何があると言うのだろう。

 シャーロは少しだけ、視線を斜め下へ外した。こうしてみると、何だかふてくされているみたいな顔にも見える。

「もしもの話なんだけど」

「うん」

「俺の記憶が戻らなかったら、どうする」

「え?」

 僕は返事に困った。

 彼は、何を聞きたいのだろう。

 僕個人の気持ちとしては、どちらとも言えない。

 戻らなかったら、寂しいだろう。幼い頃から一緒に育ち、楽しみや喜び、時には悲しみも分け合い、切磋琢磨して成長してきた。その思い出は、できれば二人で持っていたかった。

 けれど一方で、彼が記憶を取り戻すことで苦しむならば、無理に思い出さなくてもいいのではないかと思う自分もいる。さらに、軍官学校での仲違いや、自分のしたことを考えると、昔を思い出してほしくないと感じるのも事実だ。

 シャーロに思い出してほしいこと、思い出してほしくないこと。どちらもある。

「戻っても戻らなくても、いいよ」

 迷って、僕は正直なところを口にした。

 結局どちらになろうと、僕はきっと彼の変化を受け入れるだろう。

 彼が僕を許すと言うならば嬉しいが、憎むならば仕方ない。

 僕がどうなるかより、彼が彼でいられるに越したことはない。

「シャーロが元気に楽しく生きているなら、それでいい」

「そうか」

 シャーロは僕を、一途に見つめた。

 彼の眼は、どんな時でもまっすぐだ。僕は逸らしたくなる気持ちを堪え、見つめ返した。

「俺は、お前のことを思い出したい」

 こめかみが少し、痛んだ。

 しかし、シャーロは微かに笑みを浮かべる。

「相変わらず何も分からねえし、思い出せねえのは変わりねえんだけどさ。でも、お前を見てると──何だか知らねえが、妙に嬉しくなるんだよ」

 転生タワーで再会して、今に至るまで、ずっと。

 彼は、また少しだけ視線を落とした。恥じらうような面差し。それから、意を決したように顔を上げた。

「もし、俺の記憶が戻らなかったとしても。また、友達になってくれねえか」

 シャーロの頬は、少し色づいていた。

 目は、優しい色を湛えていた。

 僕は戸惑った。彼からまた、こんな優しい眼差しを向けられる日が来るなんて、思ってもみなかった。

「転生とか、そういうことはよく分からねえ。ずっとは一緒にいられないかもしれない。それでも、俺は」

 息を継ぐ。

 その間に。

「女神の、仔」

 感情の無い声が割って入った。

 身が強張るのが、自分でもはっきりとわかった。

 僕らは辺りを見回した。誰もいない。

 離れた位置にあるマンホールが動いた。

 蓋がずれ、そこから顔が半分覗く。

 人間の顔。上部に機械の目が埋め込まれた、人間の顔だ。

 人間はずるずると這い出てきた。

 一人。二人。三人。どんどん出てくる。

 僕は逃げようとシャーロの手を引きかけた。だが、次に出てきた機械頭の人間が、マンホールから引きずり上げたものを見て、息を飲んだ。

 引きずり出されたのは、目を瞑ってぐったりとしたまま動かない、御使だった。

「女神の仔、ついてくる」

 ちぐはぐな機械を埋め込まれた人間たちは、不気味に低い声をそろえて言った。

「ボス、待ってた」






 マイッタを置いていくわけにはいかない。

 僕たちは彼らの要求に従い、大人しく後をついていった。下水道から分岐した道を進み、最後に階段を上がる。目の前に、見覚えのある光景が現れた。

 生クリームの漆喰で覆われたロビー。天井の高い、長方形。銀の燭台がびっしりと集まる、シャンデリア。丸柱や螺旋階段の丹塗りは剥げかけ、絨毯の緋色は抜け、ピンクに褪せている。

 旧カーライ国軍第二基地。魔導術で兵器を生み出すために行われた実験の、そのほとんどの会場となった場所だ。

「まさか、本当に黄泉から戻ってくるとは思わなかった」

 正面の大階段の上から、声がした。

 階段の上部。二つに分かれたうちの右側から、男が降りて来る。

 綺麗に色の抜けきった髪を、七三にきっちり分けた老人。身にまとうのは、上質な赤いスーツ。

 僕は、彼を知っていた。

「トミガヤ」

「君の犠牲を活かして、今度こそ完璧な魔導人形を作ろうと思ったんだがね。どうにも、うまくいかない」

 呻くような僕の呼び声に構わず、トミガヤは話す。

「かつて君の見せた戦闘能力を発揮するために、君と全く骨格や筋組成にしたり。君の記憶を濃く持つ者を集めて、君のいる記憶を抽出して大魔導脳へ与えてみたり。だが、君がジーングォルトの魔神相手に見せた、あの鬼気迫る戦いぶりが、どうしても再現できんのだよ」

 老人は、深いため息とともに首を振った。

「国のために命を散らしてもらった君に、もう一度こんなことを頼むのは悪いのだがね。聞き入れてくれるね?」

「こいつは、何を言ってるんだ」

 シャーロが呟いた。

 老人の首が、彼の方へ向けて回った。

「おや。君、まだ生きていたのか。君の記憶には期待したんだが、新生兵器の誕生には足りなかったようだ」

「おい、クルス」

 シャーロは僕の方を向いた。

「このジジイ、何言ってやがるんだ」

「ごめん」

 僕が言うと、シャーロは眉を下げた。

 強気な表情が、途端に戸惑いに染まる。

 君はいつだって、本当に優しい。

「君の記憶がないのも、仮死状態だったのも、僕のせいだったんだね。本当にごめん。君には昔から、迷惑をかけてばかりだ」

「クルス」

「君が覚えていなくても、謝らせてほしい。ごめんね、シャーロ」

「何も心当たりがねえのに、謝るんじゃねえよ」

 怒っているかのように言う君。

 でも、言葉尻が少し震えている。

 本当は、この状況が察せてきてるんじゃないだろうか。

 僕は、幼馴染の方へ身体ごと向いた。

 すると、僕の行動を反逆とみなしたのだろうか。機械人間の一人が、僕の腕にナイフを刺した。

 刹那的な熱さ。上腕が濡れる感覚。

 久しぶりだった。

「何すんだよ、やめろ!」

 機械人間たちに取り押さえられたシャーロが暴れている。トミガヤは階段の上で、どこかへ電話している。

「シャーロ!」

 最後になるかもしれない。

 その思いで、僕は強く彼を呼ぶ。暴れていた友は、僕を見た。

 掘りの深い切れ長の瞳が、見開かれた。

「お前……その腕は」

 僕は自分の胸の前に、斬りつけられた腕を翳していた。

 傷口からは、血が溢れている。手加減をするなと言われていたのだろう。傷は深かった。

 だから、肉の裂けた下にあるものまで、見せることができた。

「思い出した? このくらいじゃ解呪にならないか」

 僕は、自分の腕を下ろした。

 切り口からは、赤い血と肉。

 そして、七色に輝く黒い骨が覗いている。

「僕は、鉱石に肉付けをされて生まれた人間。ダゴンニッダの女神が、悩める魔術技師のために生み与えた、魔導人形のプロトタイプなんだ」






 セイガイ・深浪は、天才的な魔導技師だった。加えて、大変おおらかな人柄だった。カーライ国に技術が広まったのも、生活水準が高まったのも、彼の技術への熱意と善意によるところが大きかった。

 だがそれは、多くの人を狂わせた。

 過ぎた技術と知恵は、人の欲を刺激した。

 戦争が起きた。セイガイは、愛する作品を、意にそぐわない人殺しのために使わざるを得なかった。戦争が終わったら、その技術を封印しようかとまで考えた。

 だが、彼の技術は思いもよらぬ存在を呼び寄せた。絡繰と魔法の世界に、時空を超えて魔神が降臨した。異界の無邪気な侵略者のために、戦争がまた始まった。

 その頃、兵器開発を主に担っていたのは、彼に技を教えてほしいと頼んだ若者たちだった。彼らは純粋な愛国心で、数多の命を奪い、また自分の命を散らせた。

 自分のせいだと、セイガイは思った。

 悩んだ。苦しんだ。懊悩のあまり、若い頃を過ごしたダゴンニッダへ引きこもった。

 魔峰ダゴンニッダには、女神がいた。この女神は、原始人同然だった彼に連れ添ってきた神だった。

 彼女は苦悩するセイガイを見て、何を思ったのだろう。

 女神は彼の眠る間に、子を与えた。

 子は、クルスと名付けられた。

 クルスは不思議な子どもだった。

 外見は普通の子どもと変わりない。しかし、魔法の心得があり、自分の身体を好きに加工することができた。さらに、魔導技師の心得を持っており、幼くして魔導具を創ることができた。

 セイガイの目には、この子がやがて魔導技師として、そして戦士として比類なき強さを持つようになるだろう、と映った。

 だから、それまで縁もゆかりもなかった南の山に身を隠し、彼を育てた。トミガヤに気づかれれば、子は兵器にされると分かっていた。そうなった未来で、子はきっと苦しむだろうと悲しんだ。

 その読みは正しかった。

 二十年後。成長した青年は、魔神大戦で英雄的な活躍をする。しかし、彼に感化された者たちが、勇んで命を捧げてしまう。

 悲しんだ青年は、終わりにしてしまいたいと願った。

 そして単身魔神に挑み、彼をこの世に繋ぎ止めていたオリハルコンの刃を木っ端微塵にした。そして激戦を繰り広げた末に、魔神を世界から追い出すことに、からくも成功した。

 青年の身体は、左側頭部の辺りしか残らなかった。






 僕が幼くて、まだ軍官学校へ通わず、国寮だけで過ごしていた頃。

 シャーロと二人で、寮の裏山へ出かけたことがあった。何故裏山だったのかは覚えていない。冒険がしたかったのだろう。

 その冒険の途中で、シャーロが足を滑らせた。その前から彼をよく見ていた僕は、彼がそのまま倒れれば、背後にある石に頭をぶつけるだろうと読んだ。

 僕はすんでのところで、彼の身体の下へ飛び込むことに成功した。

 頭に衝撃を感じた。起き上がると、シャーロが僕の頭を見て叫んだ。僕の頭は一部がへこんでしまって、下の功績の頭蓋が見えてしまったのだった。

 僕は血の気が引いた。

 自分が普通の人間でないことは、祖父に教えられて分かっていた。さらに、僕を寮へ連れてきたトミガヤたちも、僕の体質を気味悪がっていた。

 すぐに頭に手を当てて、傷を治した。自分の治療なら、このくらいですぐにできるのだった。

 シャーロは泣いていた。僕は謝った。

「気持ち悪いのを見せてごめんね。もう見せないから」

 彼は首を激しく横に振った。

 それから僕の頭を、優しくそっと抱きしめた。

「死んじまうかと思った」

 僕の頭を怖々なでながら、シャーロは言った。

「俺の代わりに痛い思いをさせて、本当にごめんな」

 彼の涙は、恐れと安堵から来ていたのだった。

 シャーロは、僕を気味悪がらなかった。変わった体質の奴として、他の人間と変わらない態度で、でも他の人間よりずっと仲良くしてくれた。

 僕を打ち明けることができたのは、シャーロだけだった。

 まっすぐ向き合ってくれたのも、彼だけだった。






 軍官学校時代。シャーロは僕を、優等生ぶっていると言った。

「お前はすごくて、何でもできる。でも、お前が他の奴の雑巾がけと花壇の水やりと朝食当番を、全部引き受けてやることはねえよ」

「うん」

「お前がやっちまったら、そいつがいつまで経っても雑巾がけできねえままだろ」

「ごめんね」

「責めてるわけじゃねえよ」

 シャーロは、溜め息を吐いていた。

「お前ばっかり強くて、他の奴が弱いっていう状況が、ずっと続いちまう」

「そうかな」

「おう」

「シャーロは僕より強いよ」

 僕が見つめると、シャーロは頬を赤くした。

「う、うるせえ! 俺を庇って三回大ケガした奴が、何言ってやがる」

「それは、適材適所って奴だよ。シャーロが冒険しすぎなければ、そうなることもないんだけどね」

「その通りすぎて言い返せねえな」

 彼は大きく息を吐いた。

 そして、両手で僕の肩を押さえると、目を覗き込んできた。シャーロの目は、晴れた日の小川みたいに澄んでいて、綺麗だった。

「でも、これだけは言わせてくれよ」

「何?」

「誰かを守るために、軽率に自分の命を賭けるな」

「僕は、そう簡単には死なないよ」

「分からねえだろ。そう思ってても不意に死んじまうのが人間だぜ」

 シャーロは顔を顰めた。

「残された方は、二人分の痛みを一人で背負っていくんだ。たまったもんじゃねえだろ」

「そうだね」

 僕は頷いた。

「二人で一緒に生きられた方がいいね」

「おう」

 シャーロも頷いた。






 シャーロ。

 僕は、君の信頼や、君の命を失うことが、本当に怖いんだ。

 君がいなくなることを考えると、他のことが頭から消し飛んでしまう。

 君が考えるほど、献身的な人間じゃない。

 僕は本当に、自分本位な奴なんだ。






 トミガヤは、僕の霊体を新生人形に融合させたいらしかった。

 僕とシャーロは、第一実験室へ連れてこられた。飛び散った液体の痕跡が、壁にも床にも残っており、なんだか生々しい。

 部屋には、すでに先客がいた。気を失ったまま、診察台に括りつけられているマイッタと、僕と同じ背格好を持つ、限りなく僕じゃない誰か。

 ──これが、新しい魔導人形。

 トミガヤにその人形の正面へくくりつけられながら、僕はまじまじと見つめた。

 似ているのだろうか。違和感しかない。

「この部屋には、魂縛りの術が施してある」

 トミガヤが言った。

「儀式が始まるまでの間、せいぜい最後のお喋りでも楽しんでおくんだな」

 そう言って、彼は出て行った。

 扉が閉まると、部屋の六面に赤い魔法陣が現れた。これが霊体縛りの陣のようだ。

 僕は周りの状況を見る。

 古びた実験室。六面に魂縛りの術。薬を嗅がされ、部屋の端で気絶しているシャーロ。同じく診察台にくくりつけられて、意識のないマイッタ。

 括りつけている紐は、ただの紐ではないだろう。おそらく魔導具だ。

 ──だとしても、僕にほどけないわけがないけれど。

 僕は自分の縄に意識を集中し、解けるよう命じる。すぐに、紐の結び目が緩んでいくのを感じた。

 トミガヤも詰めが甘い。魔導具が、魔導人形のプロトタイプの僕に使いこなせないわけがないのに。

 これで、いつでも動き出せる。

 だが、まだ紐から逃れてしまうのは早い。縛られているふりをして、油断を誘いたい。

 僕は次に、魂縛りの陣を見る。

 こいつが厄介だ。僕とシャーロは、こいつがあると外へ出られない。何とかして無効にしないといけない。これさえ無効にできれば、マイッタを起こして転移できるかもしれない。

 ──何か、使えるものはなかったかな。

 僕は縄を大きく崩さないように気をつけながら、服の隠しポケットというポケットを探った。

 触媒。

 魔導具。

 武器、はない。僕はいつも自分自身が武器だ。

 トミガヤや、彼の連れて来る魔導技師全員を殴って逃げることも、できなくはないだろう。しかし、どのくらいの魔導技師が来るか分からない上に、シャーロとマイッタがどのくらい動けるか分からない。

 誰か一人でも目が覚めて、脱出に協力してくれればいいのだが。

 ──あ。

 指が、片方のポケットに覚えのない感覚を探り当てた。

 取り出してみる。しわくちゃになった金の葉っぱが出てきた。

 そこには「第イ型特級御使・ヨーマ&セーレ」と書いてある。

 そういえば、これを握りしめればどこでも駆けつけるなどと言っていたか。マイッタも、特級の御使ならばある程度自由に転移ができる、というようなことを言っていた気がする。

 やってみるか。

 でも、召喚のためのちゃんとした設備がないこの場所で、時間が足りるだろうか。

「クルス」

 押し殺した声がした。

 見れば、部屋の隅に放り投げられたシャーロが目を開けていた。

 助かる。

「応援を呼べるかもしれない。時間を稼いで」

 唇だけで言う。シャーロは頷いてくれた。

 僕は後ろ手に金の葉を握りしめ、念じた。

 微かに掌の中の葉が熱くなる。反応がある。

 いけるかもしれない。数さえいれば、魂縛りの陣も破壊できるだろう。

 金の葉に集中する。やや間が空いて、外から複数の革靴の音が近付いてくるのが聞こえた。

 扉が開く。トミガヤと、魔導技師が五人、ぞろぞろと入って来た。機械人間も五人ついてきた。

「始めようか。世紀の実験の再開だ」

 僕が縛られたままだと思いこんでいるトミガヤが、こちらへ向かってくる気配がする。

 僕は金の葉に集中する。葉はかなりの熱を放ちつつあった。こちらの召喚に応えようとしているのだ。

「待てよ」

 離れたところから、シャーロの声がした。

「思い出したよ。お前が俺を利用して、クルスを殺そうと仕組んだことをな」

 革靴の音が止まった。

「いまさら何だ」

「クソ野郎が。お前が学生だった俺に言った、余計なお節介そのものな言葉、今でも覚えてるぜ」

 シャーロは声色を作る。

「君がいることで、クルス君の可能性を潰しているとは思わんかね。彼は選ばれし子だ。女神の恩寵だ。その力を存分に活かせた方が、彼にとって良いことだと思わんか。君は彼から遠い、銀騎士団へ行け──けっ。反吐が出るぜ。お前は、セイガイの忘れ形見だったクルスが邪魔だった。自分よりいつか求心力を持ちそうなこいつを孤独にして、隙あらば排除しようと考えていた」

「その何が悪い」

 トミガヤは開き直る。

「生き残るというのは、そういうことだ。こいつのような、持つ人間には分からん。持つ者が他の全てを支配してきた。持たざる者は、奪って自分のものにするしかない。我々の同胞を少しでも多く生かすためには、妥協などしていられん」

「そのために、人間に魔導具を埋め込んでるのか」

 ──え?

 僕は一瞬目を開けた。

 シャーロは、壁際に並んで微動だにしない機械人間たちを見ていた。

「お前は世界の全てを支配するため、魔神大戦の終わった後、新たな魔導具開発に力を入れ始めた。そのうち最初にできあがったのが、魔導仮面。そいつらがつけている奴だ」

 自分たちの話をされていても、機械人間たちは動かない。直立不動で空を見つめている。

「どんな苦境でも──たとえば魔神に荒らされた土地でも──この仮面さえあればいい、だったか。ワンランク上の知覚を身につけ、危機を素早く察知する、みたいな謳い文句で、裏社会に回して売ってるんだったな」

「よく知っているな」

「俺がお前の企みに気づいたのは、遅かった」

 シャーロの声が低くなる。

「クルスが魔神に一人で挑んで──肉片しか帰って来なかったと知った時。俺はその時になって、やっとお前の嘘を確信した。徹底的に追い詰めると決めた。そのために、情報を集めた」

 掌の葉が、震えている。

 来る。召喚に応えてくれた。

 一心に魔力を籠め、縄を緩める支度をする。

「でも、このザマだ」

 トミガヤが嘲笑う。

「美しい友情に浸る若者は、操りやすくて助かったぞ」

「俺が失敗したのは、クルスのせいでも、俺たちの友情のせいでもない」

 シャーロが顔を伏せた。

「俺が、弱かったからだ。自分をもっと貫けたら、クルスを一人にさせずに済んだ。あんな惨い死に方をさせなかったはずなんだ」

「この世界を見ろ」

 トミガヤは叫んだ。

「美徳や理想、思いやりが何だ。綺麗事じゃあ腹は膨れん」

「お前の生き延び方は間違ってる」

 シャーロは冷静に言う。

「手段を選ばなければ、お前の首も簡単に周りから絞められる。お前によって生き延びさせられた、何も知らない奴らもだ。肝心なのは、綺麗か汚いかじゃねえ。筋が通ってるかどうかだ」

 ──今だ。

 葉が解けた。

 背後から、眩い光が迸る。

 僕は解けた自分の縄を振り回し、先端に括りつけておいた分銅を、振り向いたトミガヤに投げつけた。

 トミガヤが倒れ、場の魔導技師や機械人間の意識がそちらに集中する。

 その間に、光の中から子どもが二人出てきた。

「呼んだ?」

 ヨーマは言って、自分のやって来た空間を観察した。

 そうして、シャーロ、マイッタが拘束されており、彼を警戒する現地の人間たちがいることに気づいた。

 セーレが縄でトミガヤを縛り付ける僕を見て、言った。

「大捕り物?」

「そうか」

 ヨーマが笑った。

 幼い口元から、年齢に不釣り合いな尖った犬歯が覗く。

「助太刀するぜ!」






 辺獄で一番凶暴な生物は御使という説は、本当だった。

 特級御使は伊達じゃなかった。

 僕がトミガヤを縛り、シャーロとマイッタを縛る紐を解く間に、ヨーマはひとりで、自分の二倍以上の身長がある大人十人を叩きのめしてしまった。魔導技師の操る魔導具による銃撃や催眠光線を、ヨーマは瞬間移動で避けた。そして、一人、二人と、一人ひとり丁寧に拳で地に沈めた。機械人間は、トミガヤがやられた後茫然と立ち尽くしてしまっていたため、簡単に殴り倒された。

 セーレは、兄が戦う間に、魂縛りの陣の解析を分解を行った。彼の発する神秘言語──魔法魔術を構成する言葉だ──はすぐ光の文字となって術式へ吸い込まれ、術式の分解や再構築を繰り返し、解除した。

 おかげで、僕やシャーロが戦うまでもなく、その場が片付いてしまった。

 兄弟は、御使専用の凶悪な鞭で、トミガヤたちを縛り上げる。その背中に、僕は頭を下げた。

「急にお呼び立てして、すみません。ありがとうございました」

「おう、いいってことよ」

 ヨーマは破顔一笑した。

「現行犯だからな。おかげでこの世界に手を入れるのが楽になったわ」

「生物の持つ霊力──生命エネルギーを、武器開発に使ってたなんてね」

 セーレが冷ややかな眼差しを、トミガヤたちに送る。

「異界転生トラックの暴走も、この世界のエネルギーの偏りに反応して、誤作動を起こしたんだろう。研鑽区域のみんなに、よく研究してもらおう」

「おう、マイッタ。大丈夫か」

 ヨーマはマイッタに歩み寄る。

 マイッタは怯える子犬のようにぷるぷると震えていたが、ヨーマに縋りついた。

「先輩ぃ!」

「おうおう。元気そうだな」

「元気じゃありませんよぅ。あいつらに魔神の唾かけられました」

「あとで禊行こうね」

 御使たちが賑やかしい。

 僕がその様子を眺めていると、不意に視界を遮られた。灰色のそれが何だかすぐには分からなかったが、それが身じろぎしたので、自分がシャーロに抱きしめられているのだと分かった。

「本当に、クルスなんだよな」

「そうだよ」

「バカ野郎」

 シャーロはきつく抱擁して、さらに呟いた。

「ごめん」

 僕の死を責め、詫びているのだろう。

「こっちこそ」

 腕を回し、彼の背中を軽く叩いた。

 灰色の服が、ぼんやりと透けている。目の前に変化に、僕は目を見開いた。

「人形が」

 シャーロの姿が空けている。同時に、部屋の中央にあった魔導人形も炎を上げつつあった。

 シャーロは背後を見て、ああ、と声を上げた。

「俺の身体、あれに使われてたんだな。やっぱり死んでたんだ」

 魂縛りの陣が解けて、魔導人形も解放されるのだ。

 僕は、眼前の軍服を掴んだ。もうかなり手ごたえが弱くなっていた。

 シャーロは僕を見下ろして、笑った。

「大丈夫だよ」

「何が大丈夫だよ」

 声が震えた。

「やっと、元通りのお前と会えたのに」

「心配するなって」

 シャーロはの目は優しい。

「お前、言ってただろ。二人で一緒に生きられた方がいい、ってさ」

 その姿が掻き消える。

 僕は手を伸ばした。でも、もう何も掴めなかった。

「クルスさん」

 僕は顔を上げた。

 マイッタがこちらを見下ろしていた。手には、淡く煌めく漆黒の書がある。

「転生ルーレット、回しに行きますか」

 僕は書を眺めた。

 そして、呟いた。

「ああ、そういうこと」

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