13輪:課題図書探し


 放課後。


 なぜか美鎖子みさこは図書室の受付に座り、本の貸し出し手続きをしていた。

クラスの図書委員の1人が風邪で休み、もう1人は部活だということで、

美鎖子が代理として図書委員の仕事をしていた。


 美鎖子はいつも図書室を利用しているので、

どこに何の本があるのかも受付の人が何の作業をしているのかも、何となくだけれど知っていた。


だが本当に図書委員の仕事をするとは思ってもいなかった。



神楽かぐら美鎖子みさこ「夏休み明けの返却をお願いします」


 美鎖子は3年生の先輩に参考書数冊を差し出した。


3年生を見送ると、ふぅっと息を吐きながら深く椅子に腰掛け直した。


 すると隣に座っていた2年生が「ごめんねぇ」と美鎖子に謝ってきたので、


「あ、ごめんなさい。来週の方が忙しいと思ってたので、びっくりして」と答えた。


2年生「あーね、来週じゃ借りたい本を借りられない可能性が高くなるから、3年生は先に借りに来るんだよ」


 美鎖子は「へぇ」と相槌を打ちながら、

生徒の名前とバーコードが書かれたファイルを閉じ、机の上のスタンドにファイルを立てかけた。



美鎖子「私も今日借りておこうかな」


2年生「あーそうね、今受付使う子いなそうだから見て来てい…あっ」



 2年生は驚いたような表情をして、美鎖子の方を指差した。


美鎖子は首を傾げて、先輩の差した指先の方に顔を向けた。



三毛みけ稜太郎りょうたろう「すみません」


 受付する美鎖子の目の前に、図書室にあまり似つかわしくない姿をした稜太郎が立っていた。



美鎖子「どど、どうしましたか?」


 美鎖子はまさか稜太郎が図書室にいるとは思っていなかったので、うまく言葉を出せなかった。


しかし稜太郎はそんな美鎖子を全く気にすることなく、「これの返却と」と言って本を受付の机に置いた。

2年生は「あはいはい」と言いながら、稜太郎が机に置いた本をさっと取り上げた。



美鎖子は『前世の記憶の保持について』という本のタイトルを見て、


“三毛くんなんか凄い本読んでるっ”と思いながら、本のバーコードが読み取られるところを見つめた。



稜太郎「それと…」


美鎖子「あ、はい、何でしょうか」


 美鎖子が聞くと、稜太郎はパーカーのポケットから四つ折りの紙を取り出した。


そして「夏休みの課題図書ってどこにありますか?」と言いながら、美鎖子と2年生に紙を向けた。



2年生「何が読みたいとかあるの?」


稜太郎「何が読みやすいですか?」


 2年生の質問に対し、稜太郎はすぐに質問で返した。



美鎖子は“何が読みやすいって…


お兄さん、『前世の記憶の保持について』っていう如何にも難しそうな本読んでらっしゃいましたよね?”といったような目配せを稜太郎にした。


けれど稜太郎が全く気にする素振りを見せなかったので、



 美鎖子は仕切り直すように咳払いをして、

先輩が持ってる『前世の記憶の保持について』という本を指差しながら聞いた。



美鎖子「この本読めました?」


稜太郎「読みました」


美鎖子「ご、ごめんなさい」



 美鎖子は自分の質問の意図を汲み取って欲しかったけれど、

稜太郎はあまりそういうことが得意ではないことを思い出した。


あまりにも純粋な顔で稜太郎が『読みました』と答えるものだから、


美鎖子は“自分がした質問があまりにも失礼だったのでは”と思い、情けない声ですぐに謝った。



 美鎖子は、今度は言葉を変えて「この本の内容わかりましたか?」と聞いてみた。


稜太郎「んー…インタビュー?の部分以外はあんまり」



 美鎖子は「すみません、ちょっと借りていいですか?」と言って、

2年生が持っていた本を借り、ページをペラペラとめくり始めた。


美鎖子が本を確認している間、

先輩が稜太郎に「偉いねぇ」などと声をかけていたけれど、美鎖子は全く気にならなかった。



 新書サイズの本は文字が小さく、堅苦しい言葉遣いが使われていた。

たしかに“前世の記憶を保持する子ども”をもつ親などのインタビュー部分は読みやすそうではあったけれど、

作者の考察の部分は専門用語が織り交ぜられていて、論文のような形式で書かれていた。


 美鎖子は“あぁ、これはちょっと大人でも分からないかもしれないなぁ、参考にはならない”と思い、2年生に本を返した。



美鎖子「一緒に課題図書、探して来てもいいですか?」


 美鎖子がそう聞くと「ついでに自分の借りたい本も見てきなよ」と先輩は答えてくれた。


 美鎖子は先輩にお礼を言うと、稜太郎から<夏休み 課題図書>と書かれた紙を受け取った。

そしてその紙の内容を確認しながら、2年生が座る椅子の後ろに回り、受付スペースを抜けて、


稜太郎に「行きましょうか」と呼びかけた。



 稜太郎は美鎖子より少し背が高かった。


けれど美鎖子について行く稜太郎の歩き方は、


スーパーで迷子にならないように親について行く、子どものように覚束おぼつかなかった。


美鎖子はそんな稜太郎を何度か振り返って確認しながら、日本文学コーナーに向かった。



 日本文学コーナーに着くと、


美鎖子は本棚を眺めながら「どうしましょうかね」と呟いた。

稜太郎も美鎖子の左隣に立って、本棚を眺めた。



美鎖子「教科書に載っているものだとテスト勉強になりますけど」


 美鎖子は本棚の上のブックスタンドに立てかけてあった『蜘蛛の糸』の絵本を取った。



美鎖子「『蜘蛛の糸』これも教科書に載ってますよ。


教科書には挿絵が少ししか無かったので、絵本こっちの方が読みやすいかと」


稜太郎「ぅん」



美鎖子「あぁそれから」


 美鎖子は本を抱えてしゃがみ込んだ。



稜太郎も美鎖子の横にしゃがみ込むと、


美鎖子の腹と腿の間に挟んであった絵本をゆっくりと抜き取った。


美鎖子「あぁ、すみません」


稜太郎「ううん」


 稜太郎は絵本をペラペラとめくり始めた。


美鎖子は、ヤンキー座りをしながら絵本の試し読みをする稜太郎を横目に、

本棚に置かれた本の背表紙を人差し指でなぞりながら、目当ての本を探し始めた。



美鎖子「『蜘蛛の糸』は物語調だから、絵がイメージできると読みやすいと思います。

で、これは…」


 美鎖子は『方丈記』の現代語訳版を見つけたので、本棚から引き抜こうとした。


しかし本棚いっぱいに本が詰まっていたので中々取り出すことができなかった。



 その様子を見ていた稜太郎は何も言わずに絵本を床に置いて、


美鎖子の手の上に、触れるか触れないかの距離感で自分の右手を重ねた。



美鎖子(え?)


 ふわりと香った香りと、


美鎖子の手と稜太郎の手の間にある温かな空気の層。


それらが美鎖子をドキッとさせた。



稜太郎「これ?」


美鎖子「はっはいそれ…」


 美鎖子は本と稜太郎の隙間から、ぬるっと自分の手を引き抜いた。



 すると稜太郎は『方丈記』と書かれた背の上、花切れの部分に人差し指を引っ掛け、本を倒してから本棚から取り出した。

そしてその本を床に置いていた『蜘蛛の糸』の上に重ねて置いた。



 美鎖子は稜太郎の重なった方の手の甲を摩りながら、何か話そうと口を開けたが、


口をパクパクしたまま何も言葉を発せなかった。


少しの間、美鎖子の唇から出た“パクパクパクパク”という音だけが、2人の間を繋いだ。



稜太郎「『方丈記これ』は?」


 稜太郎は『方丈記』の表紙を摘むようにして持ち、親指をズラしながらページをめくり、中身を確認した。


 稜太郎の態度があまりにも普段通りだったので、

美鎖子は気合を入れ直すため肩を上げて、すとんと肩を落として体の力を抜いた。



美鎖子「ほ、ほ、『方丈記』は古文なので、先に現代語訳、今使われている言葉で訳されたものを読んで、


内容を掴んだ方がテストに…」


 美鎖子は自分が本を選ぶ基準が


“テストに出るかどうか”で決めていることに気づいて、口を真一文字に結んだ。



美鎖子は<夏休み 課題図書>と書かれた紙をもう一度見直すと、


「他ノ本モ見テミマスカ自由図書デモ良イミタイデスシ」とロボットのような口調で稜太郎に聞いた。



稜太郎「んんん」


 稜太郎はそう言いながら首を横に振った。


そして「どっちの方がおすすめ?」と美鎖子に聞いた。


美鎖子「あー、んーとっ、読みやすい方がいいんですよね?」



稜太郎「ぅん」


 稜太郎は頷きながら答えたので、


“う”の部分が小さくなって『ぅん』と発してしまっていることに、


美鎖子は“可愛い”と一瞬思ってしまった。



美鎖子「そしたら『蜘蛛の糸』の方ですかね。


でも後々楽になるのは『方丈記』なんですけど…」


 美鎖子はまた“後々のちのち楽になる”と言ってしまったことに、


“だからその選び方をしてるのは私だけだって”と自分でツッコミを入れた。



稜太郎「んー、じゃぁ両方借りる」


美鎖子「…あっ、そうしますか?」


稜太郎「うん、ありがとう」


美鎖子「いえいえ」


 美鎖子は持っていた<夏休み 課題図書>と書かれた紙を、折り目に沿って折ってから稜太郎に返した。


稜太郎がその紙を受け取る時にまたお礼を言ったので、

美鎖子もまた「いえいえ」と返した。



 美鎖子がスカートを払いながら立ち上がると、稜太郎は床に置いていた本を拾い上げて立ち上がった。



美鎖子「受付手続きしますか?」


 美鎖子がそう尋ねると、


稜太郎は「調べたいことがあるから後でいいかな」と答えた。



美鎖子「探すの手伝いましょうか?」


稜太郎「んんん、大丈夫ありがとう。


僕のこと気にしないで、神楽さんも自分の本選んで」


美鎖子「あ、はい…」



 美鎖子がそう答えると、


稜太郎はふわっと心地良い香りを残し、美鎖子の横を通り過ぎて行った。



 美鎖子は稜太郎の後ろ姿を見送ると、深呼吸をしてからまた本棚の前にしゃがみ直した。

自分のための課題図書を見つけるため、本の背表紙を人差し指でなぞっていたけれど、


美鎖子は別の考え事をしていた。



美鎖子(三毛くんって、前から思っていたけれど、本当に人の目をまっすぐ見る人だな。


サングラス越しなのに、でもたしかに目が合ってる。


 それになんか、お花畑みたいな匂いがする…。


そう、お花畑…)



 美鎖子は本棚の1番端に埋もれていた、1冊の本を引き抜いた。


美鎖子(テストと関係ないけれど、こういうのも良いかな)


 美鎖子はその本を持って図書室の受付に戻って行った。





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