第19話 うさぎが誘う森のケーキ

 俺は深呼吸を一つして、スージョンとロイドルさんに向かって軽く頭を下げた。


「宜しくお願いします」

「ああ、宜しく。じゃあ、作品の説明をお願い出来るかい?」

「はい」


 もう一度深呼吸。気持ちを落ち着けて、俺はロイドルさんを真っ直ぐに見た。こういう緊張感は、学校で何度も経験したはずだ。毎月のように試験があったけれど、慣れない。


「……俺が作ったのは、こちらです。下はプレーンのカップケーキで、上にチョコレートのうさぎを乗せました。森の中に誘う、そんな童話のイメージです」


 俺が作ったのは、クリームを森の木々に見立てたカップケーキ。小さめなチョコレート用のうさぎのモールドがあったから、それを使ってみた。

 イメージの中には、うさぎが主人公をいざなって不思議な世界に入り込ませる童話がある。この世界にも同じような物語があるのか、わからないけれど。

 他にもチョコレートを細い棒状にして、固まり切らないうちにアーチ状に曲げた。それをクリームの上から刺して、森の入口に見立てている。

 そんな説明を出来るだけ手短にして、ロイドルさんの実食を待つ。


「では……」


 ロイドルさんがケーキの入った桜色のカップを手にした。ケーキが全体的に茶色っぽいから、少しでも明るくしたくて桜色を選んだんだ。

 ちょっとクリームが多めだったなとも思ったけれど、ロイドルさんは美味しそうに食べてくれている。この人、食べ方綺麗だな。


「うん、チョコレートの苦さと生クリームの甘さの関係が丁度良いな。生地もふわふわしている。これは、かなり審査が難しいな……」


 うんうん唸ったロイドルさんは、ハッと何か良いことを思い付いたという表情で顔を上げる。俺とスージョンが首を傾げると、ロイドルさんはニコニコと笑って俺たちを見て、余っていたカップケーキを指差してみせた。


「お前たち、相手のを食べてみろ。美味いから」

「え……」

「……父上、審査放棄か?」


 スージョンがロイドルさんを「父上」と呼んだ。それ程、呆気に取られたということだろう。かく言う俺も、この人何言ってんだと言いたくなった。


「酷いな、スージョン。お互いの作ったものが食べたいと言ったのはお前たちだろう?」

「ものは言いようってことか」


 軽く息をつき、スージョンはちらりと俺を見た。その目が「どうする?」と尋ねている。


「俺は、それでも良いよ。スージョンの作ったカップケーキ、食べてみたい」

「それは俺も。……仕方ない。互いに食ってみて、それで判断しよう」


 俺はスージョンの、スージョンは俺の作ったカップケーキを手に取った。

 スージョンのケーキは、イチゴの香りがふわりと食べる前から漂って来る。その甘酸っぱい香りが食欲を刺激して、腹が鳴りそうだ。


「……いただきます」


 ほのかなピンク色をしたカップケーキを、一口かじる。甘い生クリームも一緒に食べたけれど、くどい甘さはない。皿に中に入っていたイチゴの食感もあって、緩急を感じた。


「うまい」


 それが素直な感想だった。イチゴに生クリームは鉄板だけど、色合いといい味といい、文句の付け所はない。


(俺なら、これにどう加えるか、それとも引くかな……?)


 どうしても、自分ならばどうするかという研究の方に頭が持っていかれる。俺が考えに落ちている間に、スージョンは俺が作ったカップケーキを食べ終えていた。


「……おいしい、なんだこれ」

「あ、食べてくれたのか。スージョン、お前の作ったケーキ……」

「仕方ない、今回は勝ちを譲ってやる」

「は?」


 ポカン、とかるく口が開いたと思う。俺がスージョンのケーキに対しての感想を言う前に、向こうから敗北を認めてくるなんて思わないじゃないか。

 正直、俺は勝ち負けを決める必要はないと思っていた。互いの実力がわかったら、もっと上に行こうっていう向上心に繋がるから。

 だけど、スージョンは何故か感極まっている。何故だ。俺は、生地に蜂蜜を入れるくらいしかしていないのに。


「あの、スージョン?」

「驚いた。ほとんど同じような材料を使って作っているのに、こんなに後味も風味も食感も変わるのか! これは、まだまだということかな……」

「おーい?」

「……」


 もしかして、泣かせただろうか。そうだとすると、こちらとしては後味が悪過ぎる。どうしようかとオロオロしていた俺に、ロイドルさんが笑って言った。


「貴継、焦らんでも大丈夫だ。な、スージョン」

「……ああ。貴継」

「な、何だ?」


 目の色が違う。そう思った。スージョンの目に、今までになかったひかりが灯っているように見えて、俺は思わず一歩後退する。

 スージョンは俺の驚きに気付かないまま、勢い良く右手を差し出してきた。


「私はいつかお前を超える。超えて、父の跡を継いで、最高の料理人になってやる」

「……俺も、負けないよ。いつか必ず、お菓子作りを極めてやる」


 そして、この世界に俺が来た意味を見付けるんだ。

 俺は、なんとなくスージョンの勢いに押される形で彼の手を取った。強く握り締められた手は熱くて、スージョンの気合が伝わってる気がする。


「スージョン……」

「これからは、ライバルとして宜しく頼む」

「ははっ。こちらこそ、お互いに高め合っていきたいよな」


 何だか、青春って感じだ。俺的には勝敗はどうでもよかったけれど、お菓子作りを通じてこうやって友情を結ぶことも出来るんだな。

 俺の手を離して、スージョンはロイドルさんへ目を向けた。そして、勢い良く頭を下げる。


「父上、明日からお仕事を手伝わせて頂けませんか?」

「……本気だな?」

「はい」

「だったら、皿洗いから始める覚悟で来い。一人前になる手伝いをしてやる」

「ありがとうございます!」


 ぱっとスージョンの顔が輝いて、ロイドルさんも満足そうに微笑んでいる。もしかして、審判を引き受けた時からこれを狙っていたのだろうか。なんて考えるのは、穿うがち過ぎだろう。


「……さあ、勝負もついた。そろそろ、皆さんにも振る舞って良いか?」

「あ、勿論です」

「持たせてしまいましたね、すみません」


 ロイドルさんは切り替えが早い。彼に言われて、俺たちはノヴァたちを待たせていたことを思い出した。

 カップケーキは小さいから、たくさん出来る。それを楽しんで食べてもらえるなら、それに勝るものはない。

 俺たちが「どうぞ」と言うと、廊下で待っていた人たちが嬉しそうに厨房に入って来た。思い思いにカップケーキを手に取って、笑顔で食べ始める。

 俺もスージョンの作ったカップケーキを食べ切り、その甘くておいしい後味の余韻に浸った。イチゴと生クリームの組み合わせは、やっぱり合う。今度、俺も作ってみよう。

 そんなことを考えていると、突然肩を叩かれた。振り返ると、俺の作ったカップケーキを手にしたノヴァがいる。


「殿下」

「……まあ、今は仕方がないね。貴継、スージョンとの対決はどうだった?」


 俺がノヴァのことを「殿下」と呼ぶと、ノヴァは少し不服そうな顔をした。仕方がないだろう、たくさんの人がいる前で、ノヴァのことを呼び捨てには出来ない。

 ノヴァも気を取り直し、俺に尋ねてくれた。だから俺も、正直に答える。


「どうなるかとは思っていましたが、まさかこういう結果になるとは思いませんでしたよ。……ただ、スージョンと料理を通じて高め合える友人になれたのは、何より大きかったです」

「ああ、あんなに敵視されていたのにな。……何がきっかけになるか、わからないものだね」

「その通りです」


 スージョンは何処にいるのかと見渡せば、少し離れたところでロイドルさんと数人の役人と話をしている姿があった。適度に肩の力が抜けて、笑っているようだ。


(よかった。色々、落着かな)


 この場が落ち着いたら、ロイドルさんたちを手伝うまでの時間でノートをまとめたい。俺は少し前から、お菓子作り研究用のノートを書いている。その中に、イチゴを使ったケーキのアイデアを書いておきたいのだ。

 考え事をしていた俺の耳に、ノヴァの低い囁き声が忍び込む。


「貴継、このケーキを幾つか持って帰っても良いか? セーリにも食べさせたい」

「いっ、良いけど。……突然囁かないでくれ。びっくりするから」

「ふふ、善慮しよう」


 何が楽しいのか、ノヴァはくすくす笑って俺の傍を離れた。

 カップケーキは二十個くらいあったはずだけれど、ほとんどなくなっている。俺のもスージョンのも、どちらも。それが嬉しかった。


「――よし、もっとおいしいもの作れるようになろう」


 気持ちを新たに、俺はノヴァやスージョンたちに近付いていった。

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