第8話 タメ口は特別

 ラスティーナ王国の王都は、アニメやゲームで見た西洋風異世界の都市によく似ていた。大理石で作られた聖堂や煉瓦の建物が軒を連ね、石畳の道にはたくさんの人が歩いている。

 窓から王都を眺めていると、小さな女の子が俺に気付いて手を振ってくれた。何だか嬉しくて、俺も振り返す。すると女の子のお母さんが、照れくさそうに会釈してくれた。

 向かいに座っていたセーリが、俺と女の子の交流に目を細めている。それに気付いて、俺は彼に目を向けた。


「穏やかだな、王都って」

「そうだね。昼間は特に、大通りは賑やかで明るい雰囲気だよ。通りを外れれば、落ち着いた脇道や住宅街もあるんだけど」

「そうなんだな。……あ、あれが城?」


 俺が指差したのは、馬車が進んでいる大通りの突き当たりにそびえ立つ大きな建物だ。壁が白っぽく見えるのは、そういう塗料や石材を使っているのだろう。

 幾つもの塔が連なったような形のそれの周りには、高い塀がそびえている。塀には幾つか穴が空いていて、そこから内側に生えているのだと思われる木の枝が覗いていた。

 やがて馬車は、見上げるほど大きな門の前で立ち止まる。門番らしい兵士が門の両側に一人ずついて、片方のひげを蓄えた壮年の男が前に進み出た。


「ようこそ、王城へ。……これはセーリ様。お連れ様は?」

「こんにちは、ダンジールさん。彼はノヴァ殿下の客人です」

「ああ、お話は聞いています。……お客人、殿下を宜しく頼みます」

「え? あ、はい。頑張ります」


 ダンジールと呼ばれた兵士は、俺がグッと拳を握り締めると優しく微笑んだ。

 後から聞いた話だけれど、彼はノヴァ王子を幼い頃から知っているらしい。だから、お菓子を作る俺を呼んだことが感慨深かったんだそうだ。

 無事に門をくぐり抜け、馬車は日本で言うところの駐車場に止まった。そこで御者と馬とはお別れだ。


「さあ、こっちだ」

「わかった」


 セーリに導かれ、俺は生まれて初めて王城というものに入る。間近で見ると思っていた以上に大きく威厳のある建物で、萎縮しそうになった。

 俺が唖然としていたのだろう。セーリはクスッと笑って「取って食いはしないぞ」と言ってくれた。


「流石に俺も、建物が動き出して人間を食べるとは思ってないよ」

「ふふ、だろうね。けど、こういう場所は初めてかい?」

「初めてだ。元々住んでた世界じゃ、こんな経験……あ」


 やばい。俺は慌てて手で口を塞いだけれど、遅かった。セーリは王城の扉を開けようとしていた手を止めて、俺のことを振り返る。


「……今の、聞こえた?」

「不思議には思っていたんだ。だけど、その話はノヴァと一緒にしよう」

「わかった」


 別に隠し通すつもりはない。尋ねられれば話すし、不審な奴だと疑われるかもしれないという気持ちくらいはある。

 でも、セーリは俺を放り出しはしないらしい。それにちょっと驚きながら、俺は大人しく横に何人並べるんだという広さの廊下を歩いて行く。


「ここだよ、貴継」

「お、おお」

「緊張し過ぎ」


 呆れを含んだ笑顔でセーリに突っ込まれ、俺は眉をひそめてみせた。仕方がないだろう、廊下ですれ違う人が全員貴族や役人だと思うと緊張するんだから。服も上等だし、会釈が綺麗な人が多いって何なんだよ。

 そんな場違いな文句を呑み込んで、俺はセーリが扉をノックするのを黙って見ていた。


「ノヴァ殿下、セーリです」

「セーリ、入ってくれ」

「失礼します。……ほら、貴継。入って」

「あ……はい」


 一度会ったことのある人だ。それでも、店で会うのと城で合うのとでは違う。どうしても緊張してしまう俺は、何回か深呼吸してから部屋に入った。


「いらっしゃい、貴継」

「……こんにちは、ノヴァ殿下」


 俺が部屋に入ると、ノヴァ王子は部屋の中央にあるソファに座っていた。その後ろには執務用らしき素材の良い事務机が置いてあり、大きな窓を控えさせている。カーテンの開いた窓からは明るい光が燦々と降り注いで、ちょっとホッとした。

 緊張しきりの俺に、ノヴァ王子は「座って」と着席を促してくれた。セーリも後ろから押してくれて、俺はようやくふかふかのソファに座って一心地つく。


「ノヴァ、連れて来たよ」

「ああ、ありがとう。貴継、紅茶で良いか?」

「あ、お構いなく!」

「構うよ。それに、これ美味しいんだ」

「ありがとうございます」


 咄嗟に日本人の癖が出てしまった。ノヴァ王子はそれを不審がることもなく、オススメだという紅茶を入れてくれる。王子自ら、と俺は驚いた。


「……さて、来てくれてありがとう貴継。勝手に名前で呼ばせてもらっているけれど、よかったかな?」

「好きに呼んでもらえれば、俺は嬉しいです。セーリにも言いましたが、それで」

「おや、セーリとはもう仲良くなってしまったんだね」


 羨ましい。ノヴァ王子が、ちらりと俺の隣に腰掛けるセーリを見た。二人共ニコニコしているのに、ちょっと雰囲気が怖い。なんでだ。

 セーリはすぐに、俺を呼び捨てにする経緯を簡潔にノヴァ王子に話した。


「僕は言ったよ? ノヴァも僕と同じように接したがるだろう的なことは。ね、貴継」

「ああ。だから、ノヴァ王子も……」

「ノヴァ」

「え?」


 俺が目を瞬かせると、ノヴァ王子は少しふてくされた表情で「ノヴァだ」ともう一度言った。どうやらこの王子様は、俺に呼び方を改めさせたいらしい。それは鈍感な俺にもわかった。


「私の……俺のことも、名前で呼び捨ててくれて良い。タメ口で。せめて、三人だけの時は」


 懇願するノヴァ王子の目は、キラキラと輝いているように見えた。イケメンはこういう時も効果抜群な攻撃を放って来る。俺が、ノヴァ王子の頼みを断れるとでも思っているのだろうか。

 俺は、ちらりと隣に座るセーリを見た。セーリはのんびりと紅茶を飲んでいたが、俺に見られていることに気付いてふっと目を細める。その目を見て、セーリと約束したのだから大丈夫だと俺は心の中で呟く。


「……わかった。改めて宜しく、ノヴァ」

「ありがとう、貴継」


 俺がタメ口で言うと、ノヴァは嬉しそうにはにかんだ。それからようやく、俺がここで求められている役割についての説明が始まった。

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