第6話 ミルクレープ

 俺がノヴァ王子とセーリさんのために選んだのは、イチゴのミルクレープ。何枚ものクレープ生地と生クリーム、そしてイチゴを重ねて仕上げた地味に難しいケーキだ。今日はそれが二切れ残ってしまっていたから、丁度良い。他の売れ残りは、俺が後で商品開発の反省会で食べれば良いから。

 ミルクレープを皿に乗せ、丁度ワージルさんが持って来てくれた紅茶のポットと一緒に持って行く。


「お待たせしました。イチゴのミルクレープです」

「これは……おいしそうだ」

「ですね。いただきます」


 フォークを入れると、柔らかく切り分けられる。俺自身の味の好みもあって、甘さは控えめだ。控えめにした方が、たくさん食べられる気がする。

 俺は目の前で高貴な身分のある人に手作りのケーキを食べてもらう機会なんてなかったから、とんでもなく緊張した。ドキドキという心臓の音を聞きながら、俺は二人が何かを発するのを待つ。


「……」

「……」

「……うまい」

「ああ、驚いたな」


 言葉少なながら、ノヴァとセーリが感想を呟く。それらは目の前にいた俺にダイレクトに届いて、心を震わせた。


(目の前で、うまいって言いながら食べてくれてる。何だろ、すっげぇ嬉しいな)


 今までにも、店内で食べてくれたお客さんはたくさんいた。おいしいと言ってくれる度、嬉しくてにやけが止まらなかった。

 それらの言葉と同じくらい、もしくはそれ以上の衝撃を受けたんだ。だから今、俺自身の視界がにじんでいることの方が驚きだった。何で、こんなに俺は泣いているんだろうか。


「あ、あれっ?」

「タカツグといったか。貴方の作ったケーキを、先日食べさせてもらった。その上で、この場所に来たいと私自身願ったんだ。だから、こうやって貴方に会ってお話し出来てとても嬉しいです」

「少し前僕がお店にお邪魔した時は、きみの姿はなかったから。直接お礼を伝えられてよかった」

「ちょっと、待って下さい。それ以上は、俺の涙腺が……」


 ボタボタと大きな水の粒が、テーブルに落ちてはしみ込んでいく。それが俺自身の涙だと気付いて、俺は慌てて袖で拭った。


「す、すみません。お客様の前で」

「いや、なんというか、気にしないでくれ。ケーキが本当においしくて、私たちも驚いたんだ。そこで、貴方に折り入って頼みがあってここに来た」

「頼み?」


 乱暴に涙を拭ったせいで、目の端が痛い。俺は別の意味で涙目になりながら、ノヴァ王子の「頼み」の内容が想像出来ずに首を傾げた。


「一国の王子であるノヴァ様とセーリ様が、一体俺に……」

「実は、王城のキッチンで腕を振るってもらえないかと頼みたくて。あの味そのままをとはいかずとも、城の料理の腕を上げたいんだ」


 頼む。ノヴァ王子とセーリ様に頭を下げられ、俺は驚いた。パニックに陥ったと言っても過言ではない。まさか、初対面の一国の王子にそんなことを頼まれるなんて、だれが想像するんだ。


「ま、待って下さい! 俺はまだパティシエ見習いみたいなもので、人に教えるような技術も技量も持ち合わせていませんよ」


 実際、俺はまだ専門学校生だ。見習いと言うのもおこがましい、まだまだお菓子作りはアマチュアなのに。そんな奴が、仮にもお城のキッチンに立つなんてあり得ないだろう。

 俺はそう言って断ったけれど、相手も簡単には引かない。


「貴方にしか頼めないんだ。私は、こんなにおいしいケーキを食べたことがない」

「……実は、王子の甘いものが大好きなんだ。しかし城に勤める料理人たちは、食事を作る腕は申し分ない。それでもお菓子となると勝手が違うらしく、なかなか王子が味に関して首を縦に振らないんだよ」

「ええぇ」


 ノヴァ王子の甘いもの好きという味の好みもさることながら、俺は彼の甘いものに対する執着と言うか情熱にも感心していた。きっと、城の料理人たちが作る料理は、俺のような庶民では思い描くことさえ出来ないような素晴らしい仕上がりなんだろう。そんな人たちの腕をもってしても、ノヴァ王子の納得するスイーツを作ることが出来ていない。

 俺は少しだけ、わくわくしていた。誰も納得させられていないノヴァ王子の舌を、俺ならば納得させることは出来るかもしれないのだ。少しずつ、やってみたいという気持ちが沸き上がる。

 しかし、俺は踏み止まっていた。


「……本当に、俺のお菓子で満足頂けるでしょうか」

「貴方はきっと、この先も腕を磨き続けるでしょう? であるならば、大丈夫。進化し続ける貴方がいれば、私はきっと飽きることなどないでしょうから」

「……そんなに高く評価されていると、断ることも出来ませんね」


 願ってもない、大きな好機だ。それでも俺がすぐに首を縦に振らなかったのには、きちんとした理由がある。


「お城でお菓子を作ること自体は、願ってもないことです。ですが」

「ですが、どうした?」

「……城へはここから通わせて頂きたいのです。俺は、この店に、店主ご夫婦に返しきれない恩があります。だから、この店からの通いであれば」

「勿論」


 ノヴァ王子の返答は迅速だった。俺はそのスピード感に感謝しつつ、ワージルさんたちと話し合う旨を伝えて時間となった。


「わざわざお越しくださって、ありがとうございました」

「こちらこそ、おいしいケーキと時間をありがとう。またこちらからも、連絡をしますので」

「はい。では、また」


 ノヴァ王子とセーリ様を見送り、俺はほっと息をついた。

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