第5話 王子と伯爵令息
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております!」
カランカラン。扉が閉まり、その日最後の客を見送った。
俺が息をついてレジ台の上に突っ伏すと、キッチンの片づけを終えたらしいワージルさんが俺の前に立つ。そして、労うように頭をぽんぽんと撫でた。
「お疲れ、貴継。今日もよく頑張ったな」
「ワージルさん、お疲れ様っす。いや……マジで最近の客入りビビってんすけど。何がどうなったら、今までの暇が嘘みたいになって忙しくなるんすか」
「そりゃあ、お前のあのケーキのお蔭だろ。今日も完売だしな、あの『森で得たいのち』だっけ。面白い名を付けたなぁ」
「俺は、ワージルさんたちに拾われなかったら死んでたので。森で、拾われた俺の命を繋げたことへの感謝を込めてみたんだ。でも、この世界じゃ、ケーキに名前を付けないの? お客さんにも珍しいって散々言われたけど」
俺の元居た世界だと、ショートケーキやチョコレートケーキという一般的な名前ではなく、フランス語や日本語のオリジナルな名前をつけることは結構よくある。何て読むんだと首をひねった経験があるのは、きっと俺だけではないだろう。
しかしこちらの世界では、まずそんなことはないらしい。ワージルさんが大きく頷いた。
「そうだな。まあ、自分の子どもとペットくらいか。ケーキにはもう名前がついているし、改めて自分で名付けるっていう発想はなかったな」
「成程」
「まあ、今回の売れ行きはそれだけが理由じゃないだろ。お前自身の腕前が上乗せされた結果だよ、貴継。お蔭さんで、わしのもともとあったケーキや焼き菓子も好評だ」
鷹揚に笑ったワージルさんに、俺は苦笑いを返すしかない。ワージルさんの作ったお菓子は無条件においしいから、俺の新作ケーキが話題になったことで一緒に売れるようになったのは、ただ嬉しい。だけど、改めて名付けたものを言われるのは照れるな。
「と、兎に角。片付けて帰ろう、メルさん待ってるし」
「そうだ……おや」
カランカラン。閉店を告げる木の札をかけているにもかかわらず、扉が開く。
俺は出ようとするワージルさんを制し、時間外の訪問者の前に出た。少々横柄な態度でも、時間外に来た方が悪い。
「申し訳ございません。閉店時間を過ぎておりまして……」
「こちらこそ、申し訳ありません。ただ、人目があるとはばかられる理由がこちらにもありまして」
「は、はぁ」
店に入って来たのは、二人の男だ。青年と言った方が良いだろうか。俺とさほど年恰好は変わらないけれど、その顔面の強さが俺を圧倒した。何だ、このイケメン具合が限界突破をしているんだけど。
戸惑いを隠しきれない俺に代わり、ワージルさんが焦った様子で出て来た。
「こ、これはこれは」
「知ってるの、ワージルさん?」
「知っているも何も……この国の王子と伯爵家のご子息だ」
「……へ?」
ぽかん、というのはこういう時使う言葉なんだろう。俺にとって王子や伯爵という名称は、マンガやアニメの中のものだ。こちらに来てからも、そういう身分制度についてはワージルさんから習ったけれど、お目にかかる機会はなかった。その機会が今、何故か目の前にある。
「王子と、伯爵令息?」
「申し遅れました。僕はセーリ・メリア。こちらはラスティーナ王国の第一王子ノヴァ・ラスティーナ」
「ノヴァ・ラスティーナです。こちらの新作ケーキを頂きまして、是非職人の方にご挨拶したいと伺いました。営業中はお邪魔になると思ったので、この時間に。驚かせて申し訳ありません」
「あ……いいえ。よかったら、立っているのも何なので、こちらにどうぞ」
我に返った俺は、ワージルさんにせっつかれるままに奥のカフェスペースに二人を誘う。彼らを座らせ、紅茶くらいは残っていたかなとキッチンに立とうとしてワージルさんに止められた。
「ワージルさん?」
「飲み物はわしが用意する。あのケーキを作った者、つまりお前に二人は用事があるんだ。お相手を頼むぞ」
「わ、わかった」
俺は仕方なく、イケメン二人の向かいに腰掛けた。そして改めて二人を観察させてもらう。
王子と名乗ったノヴァは、銀髪を短く切りそろえた清潔感のある美青年。碧の瞳は切れ長で、一見とっつきにくそうだ。しかしスイーツを見る目が、何となくキラキラと輝いている気がするのは気のせいかな。
セーリは、第一印象から穏やかさがにじみ出ている金髪蒼眼の大らかそうな青年だ。にこにことしていて人当たりが良さそうだが、王子と行動を共にするくらいだから、相当頭が良いんだろうな。偏見かもしれないけど、裏もありそう。
そんな俺の失礼な考察を知らないまま、ノヴァ王子はちらりとショーウインドーの中のケーキを指差した。
「あれは、売れ残りか?」
「え? あ、ああ。そうです。よかったらですけど、食って……じゃなくて、召し上がりますか?」
「い、良いのか!?」
明らかに目を輝かせたノヴァ王子に、セーリはくすくすと笑うだけ。どうやら、見てはいけないものを見たわけではないらしい。俺は内心ほっとして、二人を待たせてショーウインドーの後ろへ回った。
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