第3話 店改革
ワージルさんとメルさんの夫婦のもとで暮らし始めた俺は、少しずつこの世界のことを知っていった。自動車や飛行機はないけれど、オーブンや掃除機はある。それらの道具は、魔力が少し加えられることで動く魔道具でもあるらしい。
日本との大きな違いは、魔法の有無と人々の容姿だろう。
魔法は人によって強さも何が出来るかも違い、個性のような扱いをされる。中でも王族は先祖代々強い魔力を持ち、戦では前線に立って戦った王族も多いとか。
日本人は茶色い目に黒髪が主流だが、ラスティーナ王国では様々な色の目と髪の人がいる。この家に世話になって三日目には店を手伝うようになったけれど、その時出会ったお客さんは皆髪の色も瞳の色も違った。むしろ、俺のような黒髪とこげ茶に瞳の色は珍しいらしい。
「……今日も朝に数組来ただけか」
店を手伝うようになって七日が経ち、俺は店の危機を肌で感じるようになっていた。気持ちの良い昼下がりにもかかわらず、客は一人もいない。
ワージルさんとメルさんの店は、なんとケーキ店だ。ワージルさんはパティシエで、自ら原材料を買い付けてケーキを作る。事前に食べさせてもらって、素朴でシンプルな味がとてもおいしいと感じた。しかし、店は流行っていない。
「何か、目玉になるような商品があれば良いのかなぁ……?」
立地条件が悪く、隠れ家以上に隠れている店のことを知っているのは、近所の人たちくらいだ。日本であれば、SNSや他の媒体で宣伝することも出来るが、そんなハイテクな利器はない。
なんとか二人の店を繁盛させたい。俺はその気持ちを胸に、新商品の開発に着手することにした。
店の営業時間が終わってから、俺はキッチンに一人で立つ。ワージルさんのケーキの作り方は教えてもらったから、それをベースに我流を加えようか。折角だから、学校で習ったことも使いたいよな。
そんなことを考えながら、まずはスポンジを作る。この世界には、小麦粉も卵もある。ミルクもあれば、砂糖も塩もある。そういう意味では、口に合わなくて困ることはない。
生地を作っていると、制服姿のワージルさんが顔を出した。
「ワージルさん、どうしたんですか?」
「いやな、坊主は菓子作りの勉強をしていたんだって言っていたな。わしにも、それを教えてくれ」
「俺に教えられるかわからないですけど、一緒に店をお客さんの笑顔でいっぱいにしましょう!」
人生の大先輩が、俺と一緒にケーキを作りたいって言ってくれた。最近は俺も商品の仕込みとかを手伝わせてもらっているけれど、それとはまた違う感覚だ。湧き上がってくる嬉しさがある。
俺は脳内の引き出しからお菓子のレシピを取り出して、覚えている範囲でワージルさんとすり合わせを行なっていく。これはこっちに合いそうで、そっちとは相性が悪い、みたいな感じだ。
「これをこうして……出来た!」
「なんとも鮮やかな色だな」
「飴を使ってみましたから、目にも鮮やかですよね」
「うんうん。これは、今まで店になかったぞ」
満足げに頷くワージルさんに、俺はほっと胸を撫で下ろす。ワージルさんの店の商品は、何というか、シンプルな装いのものが多い。それ自体が悪いことは全くなく、むしろ俺は大好きだ。シンプルな中から複雑で幸せな味が溢れ出すから、びっくり箱みたいだと思う。
だけど、初見の人にはそれがわからない。だから少しだけ付け足して、魅力があるんだぞって見せないと売れないんだ。そんなことを、誰かが言っていた。胃袋さえ摑んでしまえば、後はこちらの腕次第だって。
そんなことをぼんやりと俺が考えている間に、ワージルさんはほとんどの後片付けを済ませてしまっていた。謝る俺に、ワージルさんはニヤリと笑った。
「良いんだよ! それよりも、坊主はこのケーキの名前を考えてくれ。明日から、その何だ。期間限定、数量限定メニューってことで販売するぞ」
「決断早っ! ……わかりました、考えます。というか」
「あん?」
何だとワージルさんに問われ、俺は肩を竦めて口を開く。ずっと気になっていたことがある。
「俺のこと、そろそろ名前で呼びませんか? ずっと『坊主』って」
「悪かったな、呼びやすいんだよ。ならお前も、わしらに敬語は禁止だ。敬語を止めたら、わしも名前で呼んでやるよ」
「わ、わかり……わかった」
わかりましたと言いかけて、俺はワージルさんの目が怖くて言い直した。何となく、据わっていた気がしたんだ。
俺が敬語を止めると、ワージルさんは嬉しそうに笑ってくれた。更に俺の頭に手を伸ばし、撫でてくれる。ワージルさんは俺より頭一つ分背が低いから、俺は少しだけ体を低くした。
「いい子だな、高継」
「な、何か恥ずい……」
十六歳ともなると、誰かに頭を撫でられるなんてことはなくなる。俺は大人しくワージルさんに撫でられていたけれど、恥ずかしさが頂点に達してゆっくりと立ち上がった。
耳まで熱を持っている気がして、パタパタと手で仰ぐ。
「お、れ、あとこれの名前思い付いたら寝るから! ワージルさんはもう寝て良いよ、ありがとう」
「そうか? なら、そうさせてもらおうか」
あまり根を詰めるなよ。ワージルさんはそう言って、鷹揚な動きで自宅へと戻って行った。
ワージルさんの後ろ姿を見送って、俺は引き出しに入っていたメモ用紙とペンを前に物思いにふける。飴細工を使って表現したのは、この世界に来て最初に見た緑の葉を茂らせた木々の色。この世界には日本と同様に四季があり、今は春と夏の間らしい。元いた世界と気候がそれほど変わらないのは、俺にとってありがたい。
「英語……? いや、ここの言葉まだ書けねぇしな。……日本語でいっか。で、ワージルさんに後で訳してもらおう」
この世界の言葉は、最初から難なく理解出来たし、意思疎通もこなせる。しかし、書くとなれば話は別だ。転移の特典も、そこまで万能ではないらしい。要勉強、というわけだ。
俺はうんうん悩み、ある単純な名前を思い付いた。思い立てばそれしかない気がしてしまい、疲れも手伝って俺は部屋の照明を消して自室へ戻った。まさかそのスイーツが、俺に新たな展開を見せることになるなんて、この時はまだ知らなかったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます