第2話 助けてくれた夫婦

 徐々に意識が浮上する中、俺の耳は周囲の音を拾う。人の気配がして、誰かが寝ている俺の近くにいるらしいことも分かった。


「……だが、こんなところに若者がな」

「珍しいですよねぇ。それも、こんな子は見たことがありませんよ」

「そもそも人自体が……おぉ?」


 何故会話を理解出来るのか、それを考える意味を見失う。有り難く受け取っておけば良い気がして来た。

 俺がぼんやりと目を覚ますと、誰かが俺を上から覗き込んだ。目の焦点が合わないうちは相手の年齢も性別も判断がつかなかったけれど、覗いて来たのはおじいさんだった。白髪の髪はあまり豊かとは言えず、かなりの年配らしい。


「……誰?」

「目が覚めたか、坊主。ばあさん、目を覚ましたぞ!」

「聞こえていますよ、おじいさん」


 おじいさんの声に、部屋の外から応じる落ち着いた女性の声がある。俺が起き上がるのと同じくらいのタイミングで、品のある老女が何かをお盆に載せて部屋に入って来た。目の前のおじいさんの奥さんだろう。


「あらあら、目を覚ましたのね。よかった」

「日頃鍛えていてよかったわい。坊主、お前は店の前に倒れとったんだ。ここまで運ぶのに苦労したぞ」

「助けて頂いて、ありがとうございます。――あ」


 ぐうー。俺が目を覚ましたことで、腹の虫も目を覚ましたらしい。よりにもよってこのタイミングでと頭を抱えたくなったが、俺の腹は正直だ。

 顔を赤くして「すみません」と謝る俺を見て、おばあさんが「良いのですよ」と微笑んでくれた。


「実は、寝ている間も貴方はお腹を鳴らしていたんです。よっぽどお腹が空いているんだろうと思って、少し用意しておいたんですよ」


 お昼の残りですけどね。そう言って、おばあさんが持って来たお盆を俺に差し出す。そこには、おいしそうなおじやに似た食べ物が載っていた。

 おじやを見て、俺の腹は限界を訴える。俺はおばあさんからスプーンを貰い、いただきますと言うのもそこそこにがっついた。

 ご飯が柔らかく、卵と出汁との相性が抜群だ。この世界にも米があるんだなと妙に感動しながら、俺は一皿ぺろりと平らげた。


「――ごちそうさまでした。お蔭で命拾いしました」

「ふふ、よかったです。おじいさん、私は片付けをしてきますから、この子とお話していてください」

「わかった」


 おばあさんがその場を去り、俺とおじいさんの二人だけになる。

 俺は助けてもらった礼を含めてきちんと言わなければと思い、おじいさんに向かってもう一度頭を下げた。この時点でまだ布団の上にいることが心苦しい。その気持ちも込めて、おじいさんに礼を言った。


「助けて頂いて、本当にありがとうございます。ここが何処かもわからず空腹で、どうしたら良いかわからなかったので助かりました」

「ここが何処かもわからなかったって……。坊主、お前一体何処から来たんだ?」

「あ……」


 ほぼ確実に、この世界は俺がいた日本でもなければ地球の他の地域でもない。そもそも目の前にいるおじいさんの髪は白いが、目は宝石のような緑色をしている。先程までいたおばあさんの目も、紫色だった。そんな瞳の色は、地球上には自然には存在しないはず。

 俺は言うべきか言わざるべきか、そもそも言っても信じてもらえるのかと考えた。だけど、この人たちに助けてもらわなかったら死んでいたと思うと、きちんと話しておきたい。

 ドキドキと心臓が跳ねる。緊張しているんだ。

 おじいさんは、俺が話し出すのをじっと待ってくれている。


「俺の名前は、瀬尾貴継せおたかつぐと言います。日本から来ました」

「セオ・タカツグ? 珍しい姓と名だな。それに、その……ニホン? という国の名は聞いたことがない」

「そう、だと思います。多分俺は、この世界とは別の世界から来たので」

「別の世界?」


 首を傾げるおじいさんに、まずは今いる世界のことを知りたいと切り出してみた。比較した方がきっとわかりやすい。


「そうだな……。ここは、ラスティーナ王国の王都から二日程の距離にある片田舎の森の中だ。ラスティーナ王国の他にも幾つもの国が点在しているが、幸いにもこの国は、今何処とも戦争をしていない。平和な国だな」

「ラスティーナ王国というか、この世界には……魔法とかあるんですか?」

「魔法? あるに決まっているだろう。誰もが生まれながらにして、強弱はあれど魔力を持っている。例えばわしは……ほれ」


 おじいさんが指を鳴らすと、火花が散った。手のひらサイズの炎が現れ、静かに燃えている。


「このように、火を操ることが出来る。ちなみにばあさんは、水を操れるでな。喧嘩をするとすぐにこちらの負けだ」


 はっはっは。楽しそうに笑ったおじいさんは、ふと俺を見つめると、首を傾げた。


「坊主からは、魔力の波動を感じん。まさか、魔力を持っていないのか?」

「そうだと思います。俺の元居た国には、魔法は存在しませんでしたから。空想上の存在です」

「なんとなぁ!」


 目をむいて驚いたおじいさんの声が聞こえたのか、おばあさんがひょっこりと顔を見せた。どうしたのかと尋ねられ、おじいさんが俺の話したことを伝えてくれる。


「まあまあ、別の世界から? まるで御伽噺のようですね」

「……あまり、驚かれないんですね?」


 俺の心臓は、まだドクドクと音を鳴らしている。二人に俺のことを伝えないといけないと思うから頑張れているけれど、正直内心はパニックだ。

 しかし、おばあさんはおじいさん以上に落ち着いている。不思議に思った俺が尋ねると、おばあさんは「ふふふ」と楽しそうに笑った。


「だって、楽しいではありませんか。そんな奇跡が起こって、私たちは出会えた。私は、こうやって貴方とお話し出来て、とても嬉しいですよ」

「まあ、そういうことだ。この国については、おいおい色々教えてやるよ」

「おいおいって……え?」


 どういうことだ。俺は飯を食わせてもらったし、今後の身の振り方を考えないといけないなと途方に暮れていたのに。

 目を丸くする俺に、老夫婦は顔を見合わせてくしゃりと笑った。


「まさか、わしらが坊主を放り出すとでも思ったのか? そんなに薄情じゃない」

「この世界に来たばかりなのでしょう? 右も左もわからずにうろうろしたら、今度こそ餓死してしまいます。それに、私たちのお店を手伝ってくれれば助かりますしね」

「……まあ、流行ってはおらんから暇だがな」

「ふふ、そうですね」

「……」


 俺はぽかんとしてしまった。つまり、このご夫婦は俺をここに置いてくれるというのだ。この世界のことが何もわからないのは、今後元の世界に戻れる保証がない以上駄目だろう。俺はここで働かせてもらいながら、厄介になることにした。


「ありがとうございます。お世話になります。……あの、お二人のお名前聞いても良いですか?」

「ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。わしの名はワージル」

「私はメル。宜しくね、セオさん」

「あ、俺の名前は貴継です。瀬尾は名字なので……」

「あらあら、では改めて。タカツグさん、これから宜しくお願いしますね」

「はい。宜しくお願いします」


 こうして、俺の新たな生活が始まった。

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