美味しいお菓子を食って怒る奴はいないだろ?~パティシエを夢見る少年は、異世界でお菓子の革命を起こす~

長月そら葉

第1章 異世界転移は突然に

夢と現実

第1話 くだらなくない日常

 爽やかな風が吹き抜け、俺は目を細めた。そろそろ五月の連休になるから、成果専門学校に通い始めて一か月が経過することになる。

 気持ちの良い季節になって来たなと考えながら自転車を走らせていると、丁度友だちの和田わだ優矢ゆうやが校門を通るところだった。


「優矢!」

「おはよう、貴継たかつぐ。今日は遅刻しなかったな」


 振り返ったのは、生真面目な眼鏡男子の優矢。容姿端麗で、成績優秀。女子からの人気も高いが、若干女性が苦手な俺の親友だ。

 そして俺は、瀬尾せお貴継。優矢と共に製菓の専門学校に通う一年生。昔から甘いお菓子が大好きで、先週は授業課題のスイーツを考えていて徹夜した挙句に遅刻した。優矢が言っているのはそのことだ。

 俺は「あれはまぐれだ」と言い返し、自転車を降りて優矢と並んで歩く。駐輪場は下足箱の向こうにあるから、優矢とは途中で一旦別れる。


「優矢、今日のテストの自信は?」

「結構ある。あとは、卵白の具合とか次第かな」

「卵白、その時によって立ちにくいやつあるもんなぁ。鶏、今回は水飲み過ぎてないと良いけど」

「それは、生育状況次第だろ。鶏にはどうしようもないぞ」

「そうなんだけどさ」


 そんなくだらない話をしながら歩く、この時間はくだらなくない。

 一旦優矢と別れ、自転車を置く。そして教室に行って、一時間目の用意をしながら優矢や他のクラスメイトと話す。授業が始まって、終わって帰る。


「今日の阿部先生、機嫌よかったな。卵白立ちにくかったけど、それはみんな一緒だからって、そういう時の対処法すぐに教えてくれたし」

「奥さんと仲直りしたらしいからな。ああいう時は気持ちの余裕があるから、少々のミスは見て見ぬふりをしてくれる」

「さっすが、優矢はちゃんと見てるな」

「……まあ、ね。今回の、貴継も褒められてただろ。青葉をイメージしたケーキ、凄く綺麗だったけど、あの色はどうやって出したんだ?」

「あれはな……」


 その時はまだ、そんな時間がずっと、少なくとも専門学校を卒業するまでは続くと思っていたんだ。まさか、翌日にあんなことになっているなんて思いもしなかった。


「……ここ、何処だ?」


 俺は家で夕食を食べ、自室に戻って明日の課題と支度を終わらせた上でベッドに寝転んでスマホをいじっていたはずだ。優矢とメッセージで話してそれが面白くて、日付が変わりそうだったから中断した。それから寝たはず、それなのに。

 今、俺は見知らぬ森の中で空を見上げている。さわさわと吹く風は心地良いけれど、通学時に感じるにおいと全く違う。それだけでも十分、俺の気持ちはざわついた。


「俺は自分の部屋にいたはず、だよな。うん」


 最初は夢だと思った。だけど頬をつねったら痛いし、頬をくすぐる草の感触も土のにおいも本物だ。


(……もしかして、マンガとかでよくあるってやつか!?)


 トラックにはねられてはいないから、転生したわけではない。なんていうお約束展開を否定して、俺は上半身を起こして地面に胡坐をかいた。

 ぐるっと周囲を見渡すと、やはり森だ。何処までも木々が立っていて、下には草が生えて折れた木が横たわっている。

 誰かいないかと叫んでみるが、答えはない。どうやらこの森、少なくとも声が届く範囲には誰もいないらしい。俺は仕方なく、立ち上がって歩いてみることにした。こんな森の中に一人でいたら、現代専門学校生の俺は餓死しかねない。とりあえず、人に出会いたかった。


(誰かに会っても、言葉が通じるかはわからないけど……ジェスチャーとかでどうにかコミュニケーションはとれるはず! とりあえず、誰かに会いたいな)


 足元は舗装された道などではない。不幸中の幸いだったことは、俺はパジャマ代わりにTシャツとジャージのズボン姿で、何故か履き慣れたスニーカーを履いていること。足元は凸凹して歩きづらいが、裸足でなくてよかった。

 早く人里に行けますように。そう願いながら、俺はただただ森の中を進んだ。

 一時間くらい歩き続けただろうか。森の切れ目が見えて、気持ちが逸る。俺は慎重に進み、木々の間から森の外を眺めてみた。


「――あった、建物だ」


 それは、小さな小屋のような建物だ。赤い屋根の下、丸く大きな窓が二つ並んでいる。その小屋から甘い香りが漂ってきて、俺は自分がとんでもなく空腹なことに気付いてしまった。


(そういや、ここで目を覚ましてから何も食べてないな)


 気付いてしまえば、大きな腹の虫が鳴く。音は絶えず、俺はふらふらとしながら何も考えずに小屋に近付いた。冷静であれば、何があるかわからない小屋に近寄らなかったかもしれない。

 そして、俺はドアノブを回そうとした。ドアには何か文字の書いてある札がかかっていたが、異世界の文字で読めるわけもない。そう思ったが、頭の中に文字の意味が浮かんでぎょっとした。


(『もりのけーきや』? なんで俺、この文字が読めるんだ?)


 考えるには空腹過ぎる。俺はドアノブに手を伸ばし、そのまま意識を失った。

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