第4話 認識で世界は変わる
重たいスーツケースは部屋に置き、小さなバッグにお財布と最低限の物だけを詰めて、一気に身軽になって私たちは部屋を出た。
1階のフロントの前を通ると、何故か芸者さんがいた。紫の着物と、裏地である八掛の赤がとても鮮やかで、つい私も「わあ」と声が出てしまった。
そして、フロントの人に英語で「お写真撮りましょうか?」と聞かれ、「日本人です」と答えた。もうこのやりとりは旅行中何度もすることになる、定番のやりとりになった……。
芸者さんは月に2日ここへ来ているらしい。外国人観光客が多い宿だから、そういうサービスもあるのだろう。
私は着物好きだし、現役の芸者さんにお会いできることはあまりない。やっぱり新橋芸者が発祥だというお太鼓に結ってるのかな? と帯を見せてもらったり、お話を少し聞かせてもらったりしている中で、「ご旅行ですか?」とあちらから私たちについて尋ねられた。
さて、私と娘はかなり思い詰めて家を出た身である。
けれども、これこれこういうわけで、という説明は今はいらないだろう。それは重すぎる。
「夫にムカついちゃって、ふたりでプチ家出なんです。家は埼玉で近いんですけど、ふたりで一泊して好きな事しようって」
ふふっと苦笑しながらわざと明るく私が言うと、芸者さんはにこりと笑い「それはいいですねえ」と言ってくれた。
この一言で、決定的に私の心は軽くなった。
背景に何があろうが、母と娘で「一泊してきます!」と近場にホテルを取って出かけたら、見方を変えるだけでそれはちょっぴり優雅な過ごし方なのだ。
家事からも、学校の勉強からも逃亡して、好きなものを食べ、普段見ない物を見て、広いベッドで猫に邪魔をされずに眠る。
猫がいないのは寂しいけれど、私たちに必要なのは「非日常」なのだから仕方ない。
実際、家を出てから、原宿を歩き、動物を撫でたりして過ごす時間は単純に楽しかった。
負のスパイラルに陥っていた思考は、完全に断ち切られた。
マイナスイメージでの逃避行ではなく、プラスイメージでのプチ家出。その認識の違いは、「この旅行は楽しい物」と思わせてくれる。
何かを楽しめるなら、人間はまだ大丈夫なのだ。
さて、これからは娘が「生牡蠣食べてみたい」と言っていたのでふたりで生牡蠣を食べに行こう。
体は疲れているけれど、心はいつになく軽い。
ホテルから出たら時間は見事なマジックアワー。
浅草寺の裏手にあるホテルなので、駅に行くには浅草寺から仲見世を逆に進むことになる。
大学時代にも冬にここに撮影に来たな、あの時は鳩が日向でもっこもこになっていたなあと思いつつ、ライトアップされた浅草寺や五重塔は私にとっては初めて見る景色だった。
娘は「スカイツリーが見える」とめざとく見つけていたが、私は日が暮れる寸前の、夕景が一番美しく撮れるこの時間にどうやってこの景色を撮影しようかと四苦八苦していた。
今ではスマホでしか写真を撮らないが、これでも写真学科を卒業している身なのだ。こだわりは物凄く強い。
そこそこに満足できる構図で撮影をし、仲見世を地下鉄の浅草駅方面へ向かってふたりで歩く。私は浅草寺の仲見世の、「外国人から見て喜びそうな日本」感が結構好きなのだ。
娘もこういう雰囲気は嫌いじゃないだろう、いやむしろ興味深いだろうと思って、宿泊先に浅草を選んだという理由もあった。
これから生牡蠣食べ放題をするぜというタイミングなので買い食いはしなかったが、仲見世の買い食いの誘惑はなかなかのものだ。
その中で、私はきびだんごのお店の前でふと前回浅草に来たときのことを思い出していた。
それは18年くらい前だろうか。私の友人と、当時は恋人だった夫と私。3人でここできびだんごを食べた。その時は夫が奢ってくれたのを覚えている。
「前に浅草に来たとき、ここで友達とパパと、きびだんごを食べたよ」
当たり前の思い出を話しながら、私は「ああ、またか」と思った。
どこへ行っても、夫との思い出が付いて回るのだ。
ある意味仕方ないだろう。夫と出会ってから20年近くになる。その間、どんな友人よりも一番一緒に出かけたのは彼なのだから。
原宿も浅草も、別に思い出の地を選んだわけじゃない。
単純に、関東近郊にふたりで出かけた場所がとても多いだけなのだった。
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