君が生まれた夏の終わり

まなつ

(お題:アストロラーベ、さくら猫、君が生まれた夏の終わり)

 君のきょうだいの話をしようと思う。そう、二匹の美しい雌猫、リートとアリデードがうちに来た理由をね。それは、君が生まれた夏の終わり。ぼくがまだ、猫の集会に参加していたころの話だ。


 夏の夜は蒸し暑い昼間の空気を冷やすようにぬたりと訪れる。日光の消えた空に星たちのささやかな灯りがともると、猫たちの時間がはじまる。

 アストロラーベはこのあたりのボス猫で、なわばりの秩序だ。右腕のメーターと左腕のティンパンを従えて、夜の集会を取り仕切る。メーターもティンパンもさくら猫だが、アストロラーベはそうではない。人間に一度も捕まったことがないのが彼の自慢だ。彼の愛する妻のルーラ。美しい娘のリートは、くるくると回って自分のしっぽを追いかけるのが癖。アリデードは二番目の娘で、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう。どちらも世話係のティンパンを翻弄するお転婆娘たちだ。

 星の美しい夜の幻のような猫集会。

「今夜でここに来るのは最後になりそうだ」

「それは残念だ。人間の唯一の参加者」

 僕がさっと手を挙げて発言すると、アストロラーベが厳かに答える。彼が話す間、「にゃーにゃー」言うものはいない。みな、ぴたりと静かになる。そもそも猫たちはテレパシーで会話している。だから、猫集会を見た人間たちは「猫たちが無言でただ集まっている」と思うのだ。

 唯一テレパシーに参加できない僕だけが声帯を使って発言し、アストロラーベはそれに猫語で答えてくれる。つまり、ぼくには猫語が理解できる。普通の人間が見たら、にゃーにゃー言う猫に話しかけるへんなおっさんだけれど。

「だけどもしかしたら、ぼくの力が引き継がれるかもしれない」

「なるほど、新入りの人間を迎える準備もしておこう」

 アストロラーベは賢い。ぼくが言わんとしたことを瞬時に理解してくれた。

「どうだ、娘たちを人間の世界に遊学させてみようと思うのだが、おまえには覚悟があるか」

 ぼくはアストロラーベの考えがわかった。去勢手術の意味を語った際に、野良猫より家猫の方が寿命が長いという話をしたことがある。ボスの彼だって永遠の命を持っているわけではない。娘たちの行く末を心配するのは当然だ。

 だが命を二つ、いや、これから三つも預かることになるのかと思うと、ぼくは慎重になった。

「妻に相談してみるよ」

「うむ。よい返事を期待している。娘の美しい耳をちょん切られるのは、人間の善意とは言え、いささか惜しい」

「さくらみたいな耳、ぼくは好きだよ」

 ぼくはボスの両サイドで恥ずかしそうにするメーターとティンパンを気遣った。

「君たちとお別れするのはさみしいな。でも、ぼくはもう、人間のおとうさんになってしまったからなぁ」

「人生に別れはつきもの。人間よ、達者で生きろ」

 ぼくなんかより寿命がずっと短いはずのアストロラーベに励まされてしまった。ぼくらは本当に偶然出会い、なぜだかわからないままに、時折ぼくはこの猫集会に参加していた。

 さくら猫の意味を教えたのもぼくだ。最初は子分を傷つけられたと怒っていたアストロラーベも、それから少し考えをあらためてくれて、もっと人間のことを知りたいと言うようになった。

「おまえの子に会えるのを楽しみにしている」

 別れ際、娘たちを父親のまなざしで見つめながら、アストロラーベがそう言った。ぼくは父親の後輩として、彼の娘を保護しよう、奥さんをなんとしてでも説得するぞと心に誓った。

 

 そんなわけで、二匹はうちにいるってわけ。

 おや、君はアストロラーベを知ってるのかい? もしかして、君も猫語がわかるのかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君が生まれた夏の終わり まなつ @ma72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ